1-17 塔
「――おい」
「わぁ!??」
突然頭を叩かれて飛び起きる。
寝ぼけた視界を、パサパサと干し草が舞った。目の前には呆れ顔のウィル。その背後には豚っぽい魔獣がへそを天に向けて気持ちよさそうに眠っている。
「…………あれ?」
「あれ、じゃない。お前どこで昼寝してんだよ」
「……今何時?」
「もう午後」
「うそぉ……」
やってしまった。あのまま干し草の上で爆睡していたらしい。今日の仕事も中途半端だ。
「ごめんウィル、今からしっかり働いて、」
「あほ。いいから。とりあえずこれ口に突っ込め」
ウィルは肉とレタスを挟んだパンと紅茶の入った籠を差し出した。それをぬるぬると受け取る。
「ありがとう……」
素直に受け取って、少し悩んでからパンを口に運んだ。もしゃもしゃと食べると、胃袋がぐぅ、と動き出す。そう言えば朝からほとんど何も食べてなかった。ごくんと飲み込むとお腹が満たされて、少しずつ元気が戻ってくる。
「……具合悪いわけじゃないようだな」
「うっ、その、がっついてごめん」
「別に責めてない。……元気そうで良かった」
「え?私の体調気にしてたの?」
「当たり前だろ」
その言葉にきょとんとウィルを見返す。まさか、そんな心配してたなんて。
そんなウィルは私を少し見つめた後、榛色の目を細めてふはっと笑った。
「やっといつものあほ面になった」
「は!?」
「お前が真面目な顔してると調子出ないんだよ」
「なにそれ!?」
意味がわからずしかめっ面をする私の頭を、ウィルがめちゃくちゃに撫でる。ちょっと!と怒る私に、ウィルは嬉しそうに笑うと私の手を取って立ち上がらせた。
「とりあえず食い終わったな?まずその藁だらけ何とかするぞ。ゴース」
「はい、こんな感じで」
「!?」
瞬きをする間に、私は見たことのないワンピースに着替えていた。
「なにこれ!?」
「ゴースの何かの魔術みたいなやつ」
「説明になってないよね!?」
「いいから。ほら行くぞ」
「どこに!?」
そうしてウィルに手を引かれて、慌ててその背中を追う。
のんびりとした午後の庭園。さっきウィルとキャロラインがいた場所を、ウィルに手を引かれたまま通り過ぎる。
やっと寝起きの頭が現実に戻ってきた。
このウィルの手はなんだろう。
強くなってきた風に、ウィルの紺色のフロックコートが大きく揺れる。
その私の手を引く後ろ姿と、自分のものとは違うウィルの手の感触に、まだ夢でも見ているのかと現実味が湧かない。
「着いた」
「へぶっ」
突然立ち止まったウィルに激突した。なんというだらしない声。鼻を擦りながら一歩下がる。
「っ、くく、お前……何してんだよ、鼻曲がるぞ」
「ごめん」
「いいけど」
一通り笑ったウィルは、にこやかに上を指さした。
「じゃ、登るか」
「登る?」
その指が指し示したのは、天にそびえる高い塔だった。
「死ぬぅぅぅ」
「大げさだな。こんなんで死ぬかよ」
「ほんと無理!これいつまで続くのよ!?」
何段目か分からない階段を登りながら叫ぶ。
ウィルが登ろうと言った塔は、想像以上に高かった。
「ねぇ!?なんなの!?この上に何があるって言うのよ!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで早く登れ」
「さっき私の体調気遣っくれてなかったっけ!?」
「腹減ってただけだろ」
「そうだけど!」
足が震える。息が上がる。今朝のウィルとの気まずさなど、もはやどうでもいいぐらいに階段が長い。
「もう置いてって!先に行っててよぉぉ!」
「ダメ」
「なんでよ!」
「お前が階段から落っこちてきた時に受け止められないだろ」
「なにそれ!?落ちないから!失礼ね!」
「ほら、あとちょっとだから頑張れ」
そうして必死に螺旋階段を登った先。
一気に開けた視界の先には、スルンガルドの美しい街並みと広大な大地がいっぱいに広がっていた。
「――すごい」
手摺に駆け寄り、その美しい景色を見渡す。緑の平原や高い丘。遠くの山々と、青い空。そして、優しさと歴史を感じさせるスルンガルドの街。それらが、あたたかい午後の陽の光に包まれて、柔らかく輝いている。
「気に入った?」
「うん……凄いね。登った甲斐あった」
「だろ?はい、水」
「え?」
ぽいっと果実水を手渡される。不思議に思ってウィルの顔を見返した。
「もしかして、わざわざ持ってきてくれたの?」
「は?当たり前だろ。こんなとこに水ないから」
「そ、うだよね……」
そうして、少し焦りながらも果実水を口に含んだ。
――ウィルは、果実水が苦手だ。だから、これは私のために、わざわざウィルが持ってきたということになる。
ごくりと飲みこんだ果実水は、長い階段を登って来た私の喉を、心地よく潤した。
「……ありがと」
「ん」
ウィルはちょっと優しい顔で笑った。その視線から慌てて顔をそらして、ごくごくと水筒を傾けた。
言葉遣いは荒っぽいけれど、結局いつでも、ウィルは優しい。それがなんだか居心地が良くて、くすぐったくて。呪われていることを忘れるぐらい、楽しくて。
だから、ずっとこうして一緒にいたいと――ウィルが好きだと、思ってしまうのだ。
100日が過ぎたら、全て終わるのに。
「ねぇ、スルンガルド以外でも、魔獣が出る森ってあるのかな」
「ん?まぁ、無いことは無いだろうけど。スルンガルドよりはずっと少ないな」
「そっかぁ。魔獣が出る森があるならそこがいいと思ったんだけどね」
「何が?」
訝しげに問いかけるウィルに、湧き出る願望を振り切るように、爽やかな笑みを向ける。
「何って。金貨100枚貰ったら、どこに住もうかなって考えてたのよ」
私の夢。金貨100枚を持って、どこか遠くの街で穏やかに暮らす。心から願っていたことだ。元から私が目指していたのはそれだ。ウィルだって、分かっているはずだ。
それなのに、ウィルの表情からは何故か、笑みが消えた。
「……どこに、住もうか?」
その予想外の様子に、思わず顔を背けて景色の方を向く。ウィルがなぜそんな顔をするのかわからないけれど。私はからっぽの水筒を握りしめながら、声だけはあっけらかんとした調子で答えた。
「うん。呪いが解けたら、いつまでもここにいるわけにいかないでしょう?だから、仲良くできる獣がいる森にでも住もうかなって。人より仲良くできそうだし」
「……スルンガルドを出て、どこにいくつもりだよ」
「決めてないけど……スルンガルドは皇国に近いでしょう?だから、もう少し離れようかなって。いつまでもウィルに迷惑かけられないし……」
「――――…………」
ウィルは、何故か何も言わなくなった。
風の音だけがひゅうひゅうと聞こえる。少し寒さを感じて、腕できゅっと体を包み込んだ。
それは、寂しさもあったかもしれない。
だけど、私はきっと、このままスルンガルドに留まっていられないはずだ。――いや、ウィルの近くにいることに、耐えられないはずだ。
ウィルは公爵だ。きっと私は、ウィルが未来の公爵夫人を迎え入れるのを、穏やかな気持ちで見ていることはできない。そして傷物の私が、ウィルの隣に立つこともきっとない。
居心地の良さを感じているのなら、離れ難いと思っているのなら。尚更、ここを出ていったほうが良い。
今は、100日の呪いがあるけれど。
本来、ウィルにとって、私は何者でもない傷物令嬢なのだから。
「――なぁリズ」
「なに?」
「キスしてみるか」
「………………え?」
今なんて言った?呆けたように瞬きをする。
……聞き間違いだろうか。
唖然としてウィルの方に顔を向けて、思わず息を止めた。
からかう様子もないウィルの榛色の目が、私を見ている。
聞き間違いじゃ、ない?
「なっ……なんで!?」
うまく飲み込めず、あわあわとウィルに問いかける。が、ウィルは落ち着いた様子で淡々と私に言った。
「なんでって。そういう流れだったろ」
「そういう流れ!?」
「この間ゴースとそういう話になっただろ」
「えっ、あれ!?だって……だって、ウィルは、するわけねぇだろバカって……」
その言葉を繰り返して、気持ちが沈む。そうだ、ウィルはその気はないと一刀両断だったじゃないか。どうして今さら?もしかして、同情心だろうか。
そんなのはごめんだ。はっきりとそう言おうとして。は?と首を傾げたウィルの次の言葉に、私はぽかんとしてしまった。
「当たり前だろ。ゴースの前でする奴がいるか」
ゴースさんの前で?きょとんとしてその言葉を頭の中で繰り返す。そういえば、ゴースさんの提案なのだから、あの場にはゴースさんがいた。確かに、好き好んで見られたくはない。
「えっ……そういうこと!?」
「はぁ?なんだと思ってたんだよお前」
「完全に私なんかとできるかよっていう拒否なのではと」
「なんだよそれ。酷すぎるだろ」
そう言ったウィルは、何故か私の顔を見てから、ふはっ、と嬉しそうに笑った。
「……まさかそれでフレンチトースト残したのか?」
「は……はぁ!?違うし!」
「ふ、ふふ、そうか、違うのか」
ウィルは可笑しそうに腹を抱えて笑い始めた。恥ずかしさに、真っ赤になって叫ぶ。
「違うからね!別にそれで拗ねてたわけじゃないし!っていうか、ゴースさんの前でも別に気にせず一思いに終わらせちゃえばよかったのよ!」
「あほか。絶対に嫌だ」
ウィルは一通り笑うと、少し真面目な顔をした。
「それに、さすがに俺だって一応ちゃんとする」
「ちゃ、ちゃんと……?」
「……お前、初めてだろ」
その言葉に、は、と息を呑んだ。
初めて。確かに、その通りだった。ロスナルと婚約していた時はまだ子供だったし。そして、その後は獣令嬢として人々から距離を取られる日々だった。
だから、当然のように初めてだけど。そんなの、気にしてもらえるような立場じゃないのに。
「べ、べつに、いいのに。婚約破棄されて虐げられてきた獣令嬢よ?傷物の女にそんな事で気を使わなくても……」
「アホか」
そう言うと、ウィルは私の頭をぐしゃっと撫でた。
「お前は傷物じゃない。自分のこと、ちゃんと大切にしろ」
その言葉が、妙に心に沁みて。ウィルに拒絶されていた訳じゃないと、理解して。
ずっと諦めていた何かを、救われた気がして。
目から、ほろりと涙が零れ落ちた。
「何お前。泣いてんの?」
「ない、てないし」
「うそつけ」
「ほんとむかつく」
「なんでだよ」
ウィルは笑いながら私の頭をわしゃわしゃと撫で続けている。それが、なんだか恥ずかしくて、でも妙に嬉しくて。わけも分からず涙を乱暴に拭きながら、憎まれ口を叩く。
「ウィルこそ無理しないでよ」
「してない」
「うそだ。私のこと男友達ぐらいにしか思って無いくせに」
「なんだよそれ」
「弟分か悪友みたいなもんなんでしょ?そんなのとできるわけ無いじゃない。嘘つかないでよ」
「しつこいな。嘘じゃないって。何お前、そんなに嫌なの?」
「い、嫌じゃ……ないけど……」
雑に私の頭を撫でていたウィルの手が、頭の上でぴたりと止まった。
榛色の目が、静かに私に向けられる。
何故か、どくんと胸が跳ねた。
「そ、その……」
何か、空気が変わった。今まで味わったことのない、じわりと甘くしびれるような空気。胸がぎゅっとなって、なんだか息がうまく吸えない。
それでも何か言わなきゃと声を絞り出す。でもそれは、自分が知らないような、何か少し気弱で、柔らかい声だった。
「ウィ、ルが……」
それでも、無理やり言葉を続ける。
「ウィルが、嫌、なんじゃ……」
「……嫌じゃない」
ウィルはふざけた様子の無い顔で、じっと私を見つめた。それから、ゆっくりと手が持ち上がって、私の頬に触れて。
いつもなら、悪ふざけしないで!と跳ね除けるはずなのに。なぜか、それはできなくて。
間近で合った目には、からかうような色は少しも無い。少しずつ近づく距離に、思わず息が止まる。
そうして、どうしようもなくなって、ぎゅっと目を閉じてすぐ。本当に、少しの間だけ、ウィルの唇が私に触れた。
それは、想像していたよりも、ずっと優しくて。呆けたように見上げると、ウィルと目が合った。
ウィルは、私を見下ろして、ふっと目を細めて。何故か嬉しそうに――幸せそうに笑った。
「真っ赤」
そうして、ウィルは私を抱き寄せた。それから、もう一度唇が重なる。
これは一体何?少しの疑問が胸に浮かぶけれど。
私はよく分からないふわふわとした気持ちのまま、ウィルの背に、ゆるゆると両手を伸ばした。
読んでいただいてありがとうございました!
遂にウィルが動いたぁぁぁぁ
「ひゃぁぁぁぁあぁぁ」と身を捩って下さった読者様も、
「もっと!おかわり!早く!」と前のめりになって下さった欲しがりなあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
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