1-16 凄い提案
「おはよ。ウィル、結婚して」
「……だめ」
早朝。まだ城に滞在しているキャロラインの目を盗むように呪いの求婚を済ます。目覚めきっていないウィルのぼんやりした声が、今日も順調に求婚を断った。
「今日もありがとうございました」
「ん……気にすんな……」
眠たそうなウィルはちょっと素直で可愛い。ふわぁ、と欠伸をする姿を見て、なんだか子供っぽいなと思ったのは致し方ないだろう。
そんなウィルは、まだ眠そうなぼんやりした目を私の方に向けた。
「あぁ、それ……つけたのか」
「そ、そう!えぇと、さっそくつけたよ。ありがとう……」
朝日に輝くガーネットのシンプルなネックレス。結局、つけないのも失礼だろうと意を決してつけてみた。慣れない手つきで必死でつけたそれは、シンプルな作りだからか、随分しっくりと私の肌に馴染んでくれた。
「ウィルって、ほんとにアクセサリーとか選ぶの上手なんだね!私のもキャロラインのもすごく可愛かったし」
そう若干早口でまくし立てながら、何を恐れているんだと自分自身に呆れる。
ウィルは、私とキャロラインにそれぞれ似合うデザインを選んでくれたのだ。あまり詳しくはないけど、きっとなかなかいいセンスなはずだ。心配せずとも洒落っ気のない私にもそれなりに似合うだろう。なので、爽やかにありがたく身につけないと。
そう思うのに、言いようのない不安が胸の中に残っている。似合わないとか言われたらどうしよう。そればかりが気になってソワソワしてしまう。
一体私はどうしてしまったのか。そう思いながら、まだ寝ぼけているウィルの方に目を向けた。ウィルは、またあくびをしながらぼんやりと答えた。
「?キャロラインのは選んでないけど」
「へ?」
何の話をしていたのか一瞬頭から抜けていた。そうだった、ウィルがアクセサリー選ぶの上手だねという話を私からしたんだった。内心慌てる私に、ウィルは寝起きのぼんやりとした目を向けた。
「あー……キャロラインにどっちの色がいいかって聞かれたから、なんかそれっぽい方指差した気がしたけど。鳥の形だっけ」
「いや、蝶と小花柄」
「へー」
そうしてゴースさんが差し出したオレンジジュースをゴクゴクと飲むウィルは、やっぱりなんだか子供っぽかった。
「なによ、案外適当に選んでるんじゃない。私のはいつも雑な服ばっかり着てるから、シンプルなのにしてくれたんでしょ」
妙に気にしてしまって損した。そんな大層なものではそもそも無いんだ。自分自身に呆れてしまう。
が、ウィルの次の言葉は、予想外の内容だった。
「お前のは結構ちゃんと選んだけど」
「へ?」
きょとんとした私と目が合ったウィルは、あ、と小さく言うと、私からふいっと目を逸らした。
「っ、一応そういう設定だろ。お前まじで下手すぎだし」
「あぁ、そういうこと。悪かったわね」
びっくりした、恋人のふりのためだった。まぁそうだよねと思いながら、首元の小粒の宝石に触れる。
それでも、なんだか嬉しくて。ふわっと心があったまって、胸の中のモヤモヤしたものが消えた。
へんなの。別に似合うと言われた訳でもないのに。自分でもおかしくて笑ってしまう。
「お前な。ニヤニヤしてないでちょっとは頑張れよ。キャロラインずっと疑ってるだろ」
「すいません……」
呆れるウィルに頭を下げる。確かに、全く上手くできていないという実感だけはあった。そんな私達を見て、ゴースさんがホッホと笑う。
「まぁ、確かに『熱愛!?』とか記事に書かれた割には、恋人らしい雰囲気は全く無いですからなぁ」
ゴースさんは、ご機嫌な様子でウィルにオレンジジュースのおかわりを出しながら、何かひらめいたようにぽんと手をたたいた。
「この際、ウィルフレド様とキスの一つでもしといたらいいんじゃないですか?」
「ゴフッ」
ウィルがオレンジジュースを吹き出した。さっとゴースさんがナフキンを手渡す。いや、落ち着いた顔して何言ってんだゴースさん!?
が、ゴースさんは引き続き当然でしょうという雰囲気を醸し出していた。
「別に、単純なことですよ。そういう雰囲気というのは、自然と滲み出るものではないですか。一発やってしまえば仲睦まじい雰囲気なんて簡単に出ると思いますぞ?」
「っ、やめろゴース、何ふざけたこと言ってんだよ」
「いいではないですか、簡単ですし。ちゃちゃっとやってしまえばいいんですよ。なんなら今すぐにでも。ねぇリズ様?」
二人が同時に私に目を向けた。嘘でしょう!?
アワアワした私は、変な汗をかきながら、もうどうにでもなれと目をぎゅっと閉じた。
「っ、わ、わかった!これでいい!?」
もちろん正解なんて全く分からない。心なしか、手も足も震えている気がする。でも、ゴースさんがここまで言うのだ。普通はもっと簡単にキスぐらいするものなのかもしれない。っていうかなぜ私は目を閉じて待ってるんだ?もういっそここは思い切って私から――
「痛っった!」
ビシッとおでこに痛みが走る。涙目でおでこをさする私の耳に、ウィルの少し苛立った声が聞こえた。
「するわけねぇだろバカ」
その言葉を聞いてから、目を開いた。ウィルは、私と目を合わさずに、ふぃっと顔を背けて席に戻ってしまった。
――あんなのとできるわけ無いだろ?
ふと、ロスナルの言葉が脳裏に蘇る。
――粗雑で下賤な、獣みたいな女……
ガチャリと扉が開いた。はっとして現実に呼び戻される。今朝もキラキラと眩しい天使の笑顔のキャロラインが、爽やかに食堂に入ってきたところだった。
「おはよう〜!あれ?二人ともどうしたの?」
「……べつになんでもない」
「ふーん……?そう?」
不思議そうな顔をしたキャロラインは、まぁいいかとふわりと笑うと、わぁ!と声を上げた。
「フレンチトースト!美味しそう〜!ウィル昔からこういう甘いの好きだったよね」
「まぁ……」
「チョコワッフルも好きだよね。フレンチトーストとどっちが好き?」
そんな二人の会話を聞きながら、私も口に一切れ運ぶ。
朝の大好きなフレンチトーストが、なんだかいつもよりも、味気ない。喉が詰まったように感じて、無理やりカフェオレで飲み込んだ。
「リズ?」
ウィルに問いかけられてはっとして顔を上げる。二人はとっくに食べ終わっているのに、私のお皿だけ、ほぼ手つかずの状態だった。
「あの、私、もう行くね!」
焦ったように立ち上がって、食堂を出た。そして、逃げ込むように獣舎に入る。
バクバクと胸が音を立てている。その煩い音と胸の痛みに、まさか生まれるとは思っていなかった感情を見つけて、慌てて首を振った。
「……いや、何してんだ私」
ロンの静かな獣舎で頭を抱える。本当に何してるんだろう。私は馬鹿か。しかもあんな風に飛び出して。失礼もいいところだ。
「…………覚悟、してたはずなんだけどなぁ」
自らを嘲るような乾いた笑いがこぼれた。
元々、私は金で買われた傷物令嬢なのに。私は一体、いつからこんな気持ちを――ウィルを好きだと、思っていたんだろう。
ロンが首を上げて、ルルルルル、と歌うように優しい声を上げた。誘われるようにそのひんやりした鱗を撫でながら、ポツリとつぶやいた。
「ウィル……そんなに、嫌だったのかな」
さっき、ウィルとは、目も合わなかった。やっぱり、あれは明らかな嫌悪なのかもしれない。ズキリと胸が痛む。
そして、気弱な自分の心の声を聞いて、はぁぁ、と深い溜息を吐いた。
「ほんと、何やってるんだろ私。自分から、うっかり愛したりしないって宣言したくせに。結局こんな風に困らせてどうするのよ」
胸にまたチクリと痛みが走る。自覚してしまえば、理由は明らかだった。これまでのおかしなモヤモヤも全部このせいだった。そんな自分に、ただただ呆然とする。
金で買った、呪われた傷物の令嬢。ウィルにとって、私はそれ以上でもそれ以下でもない。しかも、ウィルは公爵閣下だ。ウィルが気安く仲良くしてくれるからって、変な期待をすること自体お門違いだと、最初から分かっていたのに。
だから最初から「愛したりしない」って、爽やかに宣言したのに。
ウィルは、優しいから。いつの間にか、私はそれに、甘えたくなっていたのかもしれない。
朝の静かな獣舎で、黙ったまま立ち尽くす。まだ言葉も話せない小さな小鬼が寄ってきて、まん丸な目で、不思議そうに私を見上げた。
「っっっ、あぁもう!何グズグズしてるのよ!しっかりしなさいリズ!」
ぱちんと思いっきり両頬を叩いた。悩んだってしょうがない。答えは見えてる。不毛な気持ちは胸にしまっておく以外ないじゃないか。
そんな事より自分のやるべきことを思い出そう。一日金貨一枚。それが私の報酬だ。その分しっかり働かないと。
「よーし!やるわよ!」
「おっ!?リズのアニキ、朝から気合入ってますね!」
遅れてやってきた獣騎士のトニと、今日は大掃除だー!と腕まくりをする。悩むぐらいなら体を動かそう。
今までだって、ずっとそうして乗り越えてきたんだもの。
きっと、今回も大丈夫。
まずは餌箱の掃除だと、重たい木の箱に手をかけた。
「リズ!」
はっとして手を止める。薄暗いロンの獣舎に、いつの間にかウィルが入っていてきた。
「お前、ほんとどうしたんだよ。具合悪いのか?」
「だ、大丈夫!そういうんじゃないから!」
「は?じゃあなんで、」
「っ、ただ気分じゃなかっただけだから!」
「気分って……お前何言って、」
はっとウィルが言葉を切った。だめだ、ウィルの顔を見れない。胸の中がぐちゃぐちゃで、目に涙が滲んで。私は慌ててウィルを獣舎の外に押し出した。
「ごめん!大掃除中だから!」
そうして、無理やり獣舎の扉を閉めた。トニが、戸惑うように私の方を見ている。
「リズのアニキ……?大丈夫ですか?」
「っ、ごめん、掃除続けようか!」
そうして無理やり掃除に戻った。
ロンの餌箱を洗って部屋の干し草を取り替えて、隅々まで掃除をする。それから、豚っぽい魔獣たちの広場も掃除して、水桶も全部キレイにして新しい水を張った。みんなでやれば、あっという間だ。どの場所もピカピカだ。
最後はブラッシングだ。豚っぽい魔獣達は、私に短い毛をブラッシングをしてもらうのが大好きだ。きっと、もうじき魔界に呼び戻されちゃうだろうけど。それまでは沢山してあげなきゃ――
「そっか。リズは祝福持ちだったのね」
その可愛らしい声にはっとして顔を上げる。陽の光を浴びた、花のような優しい桃色のワンピース。天使のような笑みを浮かべたキャロラインが、柵の向こう側から私を見ていた。
「――獣令嬢、って言われてたんだっけ?」
その言葉に、息を呑んだ。ずっと、私を蔑んでいた言葉。帝国に来てから呼ばれなかったその言葉を聞いて、胸がドクンと嫌な音を立てる。
キャロラインは、あっと声を出してから、手を左右にブンブンと振った。
「ごめんごめん、そんな風に言われたら嫌だよね。違うの、リズのことを悪く思ってるんじゃなくて……きっと今まで大変だっただろうなって思って。帝国では祝福持ちは凄く大事に扱われているし、私も悪い印象を持ってるわけじゃないから、安心して?」
「あり……がとう……」
辛うじてそう言った私に、キャロラインは弾けるような明るい笑顔を向けた。
「良かった。ずっと心配してたのよ、ウィルが突然リズを恋人だなんていうから。新聞記事もだけど……皇国に祝福持ちのリズを連れ戻されないためには必要なことだよね。――嘘なんでしょ?恋人同士っていうの」
思わず口を閉じる。ぐうの音も出なかった。立ち尽くす私に、キャロラインが穏やかな笑みを向ける。
「大丈夫だよ、リズのこと追い出したりしないから。最初からそう言ってくれたら良かったのに」
「っ、ご、めん……」
「ふふ、いいってば。これからも仲良くしてね!」
そう言うと、キャロラインはふわりとスカートを翻して来た道を帰っていった。
遠目に、ウィルが庭園にいるのが見える。今日のウィルは、シンプルだけど、公爵らしい暗い色のフロックコートを来ていた。そこに、桃色のワンピースのキャロラインが走り寄る。
庭園の瑞々しい緑を背景に、それはとても絵になって見えた。
それを少しの間眺めてから、青い作業着の袖を捲って、水の張ったバケツを持ち上げる。
水面に映る自分の首に、黒いチョーカーが見えた。
この呪いがなければ、きっと私は、帝国でウィルと会話をすることすら無かっただろう。
「……あー」
耐えかねたように声を出し、どさっと干し草の上に倒れ込んだ。優しい陽だまりの匂い。頭の上を、小鳥が二匹、戯れながら飛んでいく。
「ほんと、何してんだろ」
干し草に横たわったまま、目を閉じる。陽の光が瞼の裏まで届き、暗闇を柔らかい色に染めている。ロンが小屋の中から首を出して、クルルルル、と私に頬ずりをした。
「……ふふ、ありがとう。私は大丈夫だよ」
ロンの滑らかな鱗を撫でながら思う。ここでの暮らしは最高だ。何を思い悩む必要があるだろう。
そうして、ロンの長い首に寄り添うように、もう一度目を閉じた。ロンのひんやりとした触り心地と、あたたかな陽の光をため込んだ干し草が気持ちいい。
そういえば、皇国でも干し草の上は気持ちよかったなぁ。ウィルとも干し草の上で寝っ転がったっけ。あぁ、そうだ。ウィルに謝らないと。恋人のふり、やっぱりできなかったって――
穏やかな陽の光に包まれて。私はそのまま干し草の上で、ゆっくりと眠りに落ちていった。
読んでいただいてありがとうございました!
あぁぁーちょっといい感じだったのにもうぐちゃぐちゃ(´;ω;`)
リズちゃんこういう経験無いからね……
「何してんだウィルー!!!」と耐えきれず叫んだ読者様も、
「むしろ今だろ!押せ!早くしろウィル!」と拳を振り上げた熱血派のあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
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