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1-12 手当て

 曲がりくねった怪しい色の木。見たことのない、足が六本の小さな象。カニのようなはさみを持った歩く花。時折大きな牙を持つ獣や、木の幹よりも太い大蛇にも出会ったけれど、どれも私を襲っては来なかった。


「あの狼さんがくれた胸の印のおかげかな。本当に私のことを守ってくれているみたい」


 そう言うと、男の子は私を振り返り、なぜか苦々しく睨みつけてきた。そして再びふいっと顔を背けると、ボソリと呟いた。


「あれは狼じゃない」


「そうなの?」


「……フェンリルだ」


「フェンリル?」


 そう首を傾げると、男の子はうんざりとした様子で吐き捨てるように私に言った。


「神も殺せると言われている神獣だよ」


「なにそれ!?強そう」


「強いに決まってるだろ」


 やっぱり男の子は不機嫌そうだった。何か気に障る事をしてしまったのだろうか。不安な気持ちでその背中に続く。


 少しして見えてきたのは、浅い洞窟だった。その手前には、食器のようなものや焚き火の跡がある。


「もしかして、ここで暮らしてるの?」


「魔界にいる間だけの場所に決まってるだろ」


「そ、そっか。君も突然ここに来たの?焚き火までできるなんて、すごいね」


「……別にすごくない」


 男の子はそう言うと、器用になにかの道具を使って火を起こし始めた。


 少しして、パチパチと火の弾ける音が聞こえ始めた。日が落ちて、辺りが薄暗くなり始める。ゆらゆらとオレンジ色の焚き火の光が揺れ、二つの長い影を作る。


「……いつまで泣いてんだよ」


 暫くすると、男の子は不機嫌そうに私に言った。こっそり泣いていたはずなのにバレていたみたいだ。悔しい気持ちになりながら、ゴシゴシと目をこする。


「っ、ちょっと、だけだし」


「……袖、ビショビショだけど」


「う、うるさい」


 強がってみたものの、鼻声は隠しきれない。恥ずかしさと悔しさと寂しさと不安で、さっきよりももっと涙が溢れてくる。


 お母さんの帽子は、自分の血と涙と泥で汚れてしまっていた。それが現実を突きつけているようで、目をそらすようにギュッと抱きしめる。


 お父さんとお母さんは、本当に死んでしまったのだろうか。


「……俺の母親も死んだ」


 男の子がぽつりとそう言った。その言葉に驚いて顔を上げる。


 男の子は、私から顔を背けたまま、ヤカンのようなものを火からおろした。そして、お湯を器のようなものにコポコポと注いでいく。


「……魔界は、人の世とあの世の間にある世界なんだ。だから、人が死ぬと、時々魔界への扉が開く」


「そう、なんだ……」


「……別になぐさめて欲しくて言ったんじゃないからな」


 そう言うと、男の子はちょっとむくれた顔で立ち上がった。手には先ほどのお湯が入った器を持っている。それから、何かの葉っぱを手にしていた。


「腕」


「え?」


「洗うから。怪我してる方の腕出せ」


 その言葉に、慌てて腕をまくる。まさか、手当てをしてくれるのだろうか。


 男の子は、厳しい目で傷口に目を向けると、ボソリと呟いた。


「……そんなに深くない」


「深くない?」


「傷。染みるけど暴れるなよ」


 そう言うと、男の子は手に持っていた葉っぱを潰して湯に混ぜ込み、温度を確認してから、その湯を私の腕の傷口にサラサラとかけ始めた。


「いっっったぁぁぁい!!!」


「っ、さ、さわぐなよ!」


「染みるぅぅぅ」


「仕方ないだろ!」


 男の子はわたわたと焦りながら、私の腕から滴り落ちる湯と血を自分の服で拭った。よく見たら、結構綺麗な服だ。汚してよかったのかと焦る。


「ねぇ!拭くの私のスカートでいいから!』


「うるさいな!だまってろ!」


 男の子は少し焦りながらも傷口を綺麗にしていった。そして最後に首に巻いていた上質なタイをしゅるりと外すと、たどたどしい手つきで私の傷口に巻いてくれた。


「ありがとう……」


「……汚れた手で触るなよ。ここで化膿したら死ぬだけだからな」


「う、うん」


 ゾッとして頷く。絶対に触らないようにしよう。


 そろそろと座り、手当した腕を丁重に扱う私を見て、男の子ははぁ、と溜め込んでいた息を吐き出した。そして、力が抜けたようにドサッと地面に腰を下ろした。


 もしかして。この子、私の傷の手当てをかなり必死でやってくれていたんじゃないだろうか。


『上手だ!上手にできた!』


「わぁ!?」


 突然岩の陰から何かが飛び出してきた。小さな人のような体に、尖った耳。おでこには小さい角がある。


「こ、小鬼……?」


『そうだ!俺たちゃご主人のかわいい子分の小鬼くんたちだ!』


 岩の後ろから次々と子鬼たちが飛び出してくる。ギョッとして身を引くけれど、私の後ろにも何匹も子鬼が出てきていて、ワイワイと騒ぎ立てはじめた。


『ご主人、がんばった!』


『ご主人、偉い!』


「っ、やめろお前ら、普通だから!」


 男の子もびっくりすると思ったのに、どちらかというと揶揄われて怒っているようだった。顔を赤くして手をブンブン振っている。


『ご主人照れてる?』


「違う!」


『ひゃははははは!』


 小鬼達は楽しそうに私と男の子の間をぴょんぴょんと跳び始めた。


「ご、ご主人ってこの男の子のこと?」


『そうだよ?』


 試しに問いかけてみると、小鬼は普通に答えてくれた。


『ご主人は魔界の門番だから』


『あっちとこっちを見張ってるんだよ』


『違うよ、見張るための一族なんだろ?』


『一族は俺たちと友達』


『友達は印持ち?』


『わかんない』


「おい、余計な事言うなよ、お前ら」


 男の子が怒ったようにそう言うと、小鬼たちは不満そうにえぇーと男の子を囲んだ。


『俺たち言われたとおりに頑張ったのに』


『水持ってきたのに』


『なんか叫んでる根っこも取ってきたよ』


『飛んでる草も捕まえてきた』


『石の実あったよ』


『いらないの?』


「いや……いるよ。ありがとう」


 そう言って、男の子は小鬼が置いていく怪しげな素材を受け取った。変な袋に入った水らしきものや、二股の人参に羽ばたく葉っぱ。そして、硬い石のように見える実らしきもの。男の子はそれらを少し吟味してから、長めの枝に石のような実を突き刺して、焚き火で焼き始めた。


「た、食べれるの、それ」


「食べるんだよ。食わなきゃ死ぬだけだ」


 パチパチと灰色の実が焼ける。


 少しして、香ばしい匂いが漂ってきた頃。男の子は、無言で私にそれを差し出した。


「ありがとう……」


 受け取ったそれを、少し躊躇してから思い切って頬張る。


 見た目は完全に石なのに、食べると仄かに甘い、パンのような味がした。


「美味しい!」


「そう」


 男の子はとてもぶっきらぼうに言ったけれど。その表情は、心なしかホッとしたように見えた。


『おい小娘!』


 目の前に小鬼がぴょんっと飛び出してきた。ぎょっとして石の実がのどに詰まりかける。ドンドンと胸を叩き、なんとか飲み下してから小鬼を見下ろした。


「な、なに?」


『お前フェンリルの加護を貰ったんだろ!?』


「え?あぁ、ええと、そうみたいね」


 そう答えると、小鬼たちは顔をぱぁぁぁ、と輝かせた。


『すげーな!』


『見せて見せて!』


『俺も見たい!!』


「そう?えぇと……ここにあるはず」


 そう言いながら、ぺろんと胸元をめぐる。


 ちょうど左胸の辺り。そこには、先ほど見たのと変わらない様子で、不思議な色の足跡のような刻印が浮かび上がっていた


『わーほんとだ!』


『強そう』


「へへ、そう?」


 案外悪い気はしない。私はえへんと胸を張ると、得意気に男の子の方に目を向けた。


 が、男の子は私から目を逸らした。


「見ないの?」


「胸見せつけんな変態女」


「違うもん!」


 まさか変態扱いするとは。酷く心外だった。でも、そんなことよりも、みんなが注目するこの印がどういうものなのかという興味のほうが勝った。


 私は一息ついてから、ムスッとしている男の子に問いかけた。


「ねぇ。これってどんな印なの?」


 そう問いかけると、男の子は変わらず不機嫌そうな目をこちらに向けると、もう一度そっぽを向いてから何故か悔しそうに答えた。


「……フェンリルの加護だよ」


「だから、なにそれ?」


「……フェンリルよりも弱い魔獣には襲われないし、強くても話し合いができる。そういう加護だ」


「ふうん?つまり、仲良くなれるってこと?」


「――っ、そんな軽いもんじゃない!」


 男の子は急に声を荒げた。びっくりして目を丸くすると、男の子は悔しそうに顔を俯かせた。


「俺だって……もっと、強い魔獣と契約しないといけないんだ」


「強い魔獣?」


 よく分からず首を傾げると、男の子は悔しそうな顔を私に向けてから、諦めたように肩を落とした。


「…………フェンリルは、最強クラスだ」


「そうなんだ?」


「そうだよ……わかんないかも、しれないけど」


 小鬼たちが元気のない主人の顔を覗き込んで首を傾げる。それを見て、あぁそうだと思った。


 この印がどう関係するのかよくわからないけれど。この子のお母さんだって亡くなっているんだ。さっきは平気そうにしていたけれど、落ち込んでいないはずがない。


「その……君はどうして強い魔獣と仲良くなろうとしているの?」


 なんと声を掛けるのが正解か分からないまま、沈黙に耐えかねてそう問いかけた。男の子はほんの少し私に目を向けた後、もう一度俯いてボソリと答えた。


「……それが俺の役目だから」


「役目?」


「そうだよ。俺が役目を果たせていないから……父さんは……母さんの死に目に、会えなかった。俺の、せいで」


 そう言うと、男の子はぎゅっと膝の上の手を握った。


「俺が、きちんと門番ぐらいできるようになってたら……父さんを、母さんの近くにいさせてあげられてたら。あんなに、父さんを絶望させなくて済んだかも知れないのに」


 声が少し震えている。顔は見えないけれど、もしかしたら泣いているのかもしれない。


 少しして、男の子はぎゅっと目元を拭うと口を真一文字に結んで固い表情で顔を上げた。


「俺が、もっとちゃんとしないといけないんだ。もうこれ以上、父さんを失望させられない」


「そうなの……?」


 不思議に思って思わずそう呟くと、男の子は苦しそうに顔を歪めた。


「そうだよ!父さんも母さんも、きっと役に立たない俺のことを憎んでる」


「憎いって言われたの?」


「――っ、言われては……ないけど……」


「じゃあ大丈夫だよ」


「そんなのわかんないだろ!」


 男の子の目にほんのり涙が溜まる。慌ててふいっと顔をそらした男の子は、もう一度俯いてぎゅっと手を握った。その男の子の周りに、小鬼たちが心配そうに様子を伺うように寄ってきた。その様子を見ながら、もう一度男の子に声をかける。


「言われてないなら大丈夫だよ。勝手に自分の中で妄想したことって、そんなに当たらないから」


「妄想……?」


「うん。疲れてるときなんて悪いことばっか考えちゃうでしょ?」


 私は木の枝を拾うと、赤茶けた土の上にその先を向けた。


「ほら、本当のことだけここに書いてあげるよ。お父さん、最後に話した時にはなんて言ってたの?」


「……『ごめんな』って言って……俺の事羽交い締めにして、泣いてた」


「お母さんは?」


「っ、『ありがとう、大好き』って……」


 私が地面に書いた『ごめんな』『ありがとう、大好き』という文字を見て、男の子は目からポロポロと涙を流し始めた。小鬼達が慌てたように男の子のまわりをウロウロとする。


 男の子は悔しそうな顔でぐいっと涙を拭った。


「――っ、お前、むかつく」


「なんで!?」


「泣かせんな、お前のせいだ」


「いいじゃない、泣いたって。涙は元気になろうとしてる証だよ?お母さん、言ってたもん」


 私も自分のお母さんのことを思い出して、また涙が出てきた。男の子と一緒に涙を流す。


 へんなの。二人ともびしょびしょだ。


「よし、食べて元気だそう!ねぇ、この変わったニンジン、どうやって食べるの?生齧り?」


「齧ると信じられないぐらい絶叫するぞそのニンジン」


「えぇ!!???」


 私がギョッとしてニンジンを放り投げると、男の子は涙に濡れた顔で、はは、と明るく笑った。


「元気出すなら、他にもいい方法がある」


「なに?」


「とにかく上向く」


「えぇ、なにそれ」


 私も笑いながら、男の子と一緒に上を向いた。


「……うん、なんか元気出てきた」


「だろ?」


 赤茶けていた魔界の空は、いつの間にか日が暮れていて。私たちの上で、満天の星空になっていた。





読んでいただいてありがとうございました!

リズちゃんはこの時からずっと、ヘコんだら上をぐいっと向いてきたそうです。

「な……泣ける……(´;ω;`)」と小さな二人のやり取りに涙してくださった優しい読者様も、

「私も泣いたら元気になってると思おう」と一緒に上を向いてくださったあなたも、

リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!

ぜひまた遊びに来てください!

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