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1-1 獣令嬢

「見てよあれ。獣令嬢じゃない?」


 セントサフィーナ皇国の荘厳な宮殿。白い大理石の廊下を歩く私の背に、ヒソヒソと蔑む声が響く。


「本当だわ。何をしに来たのかしら」


「獣臭さがうつるわ」


「ノイアー伯爵家もあんなのがいて大変ね」


 その声を聞き流しながら、コツコツと広い廊下を進んだ。首元まであるドレスが、なんだか重たく感じる。


「リズ……気にするなよ」


「うん、ありがとう。大丈夫よロスナル」


 そう明るく言って、隣を歩く男を見上げた。


 ロスナル・オスレーは、オスレー侯爵家の次男だ。男児のいないノイアー伯爵家を継ぐため、長女である私リズ・ノイアーと婚約をしていた。


 少し前までは。


「ロスナル?」


「マリー。あぁ、今行くよ」


 義妹のマリーの声かけに、ロスナルは優しく笑みを浮かべて答えた。それから、そっと私を振り返り、ごめんな、と耳元で囁いた。


「気にしなくていいのに」


「そういう訳にはいかないだろ」


 寂しそうな表情を浮かべたロスナルの腕に、マリーが手を絡める。


「では、お姉様。私達はこれで」


「えぇ。ありがとう」


 そう言うと、マリーは見下すような笑みを浮かべてから私に背を向けた。ロスナルも気遣うような視線を私に向けた後、マリーに続く。


 ローズブロンドの美しい髪のマリーと、ロスナルの柔らかな金の髪が日差しに輝く。その姿は、誰がどう見ても仲睦まじい婚約者同士だった。


 一人取り残された廊下に、ぽつんと佇む。またヒソヒソという声が聞こえた。他人の不幸を見て楽しむ美しい貴族たち。面倒に思いながら、その声を振り切るように一室の扉を開いた。


「来たか」


 大きな椅子に座っているのは、政務官をしている叔父で義父のノイアー伯爵だ。叔父様はまるで汚いものを見るように私に顔を向けた。


「お呼びでしょうか、叔父様」


「次の仕事だ。つつがなく進めろ」


 バサ、と床に投げ捨てられた書類を拾う。サッと目を通すと、そこには『アルガリア帝国スルンガルド公爵閣下の迎え入れ、及び蛇龍率いる獣騎士団の滞在支援』と記載があった。


「隣国の公爵閣下……」


「勘違いするな。公爵閣下の対応をお前に任せる訳が無いだろう。お前は獣どもの世話役だ」


 叔父様はピシャリとそう言った。


「長らく結ばれていなかった停戦協定のための来訪だ。お前が帝国でも悪名高い悪魔公爵に嬲り殺されたところで別に構わないが。獣同然のお前なら同じ獣どもの世話には適役だろう」


「……承知しました」


 意図を理解して心の中でため息を吐く。


 『獣の刻印』。そう呼ばれるものが私の胸にはある。荒ぶる軍馬も、空腹の狼も、時折現れる魔獣でさえも私を襲わない。むしろ獣からも同類と見なされ、時には懐かれる獣の刻印のある令嬢。それが獣令嬢と言われる私、リズ・ノイアーだった。

 

「つつがなく進めろって……私以外誰も世話役を準備してないじゃない。予算が国から出てるにしては少ないわ。叔父様、絶対着服してるわね」


 渡された書類を眺めながらうんざりと呟く。が、文句を言ったところで殴られるだけだろう。諦めて書類をポケットにつっこみ、宮殿の馬車停めを通り過ぎて街へと続く橋を渡った。


 もちろん獣令嬢の私のための馬車などないし、従者なんているわけがない。清廉と高潔を掲げるセントサフィーナ皇国では、獣は穢れとして触れてはならないものだった。特に貴族は穢れを極度に嫌うため、獣の刻印のある私に近づく貴族はほとんどいない。


 まぁ、そっちの方が気が楽なんだけどね。そう呟いて、結い上げた髪の毛を解いてからごみごみとした下町に足を踏み入れた。込み入った裏路地を進み、一軒の飲み屋に入る。


「クレアさーん!いる?」


「おやリズ、今日は綺麗な格好だねぇ!」


「でしょ!はい、これお土産」


「わぁ!なんだいこれ?美味しそうなお菓子だねぇ」


 手渡したのは叔父様の部屋からくすねてきた上等なお菓子だ。クレアさんにはお世話になっているからせめてもの恩返しだ。


「はい、今月のお給料。来月も頼むよ!」


「ありがとうクレアさん!今日は本当に働かなくて大丈夫?」


「もちろんさ。たまにはしっかり休みな!」


 そうしてクレアさんに手を振り、お金を持って店を出た。露店で甘辛い肉を挟んだパンを買い、夕暮れの道を鼻歌交じりに歩く。


「ひひ、お嬢さん、こんなところでグフゥァ!!」


 絡んできた酔っ払いを蹴飛ばしてパンを完食する。お腹いっぱい!やっぱり屋台料理は最高だ。さて、目立たないように帰らないと。


 裏路地から貴族街に入る。ノイアー伯爵家の寂れた裏門からサッと敷地に入った。


「遅かったじゃない」


「ミラ……」


 侍女のミラが待ち構えたように裏門の先に立っていた。きっと叔父様から何か指示が入ったのだろう。面倒だと思いながら、じっとミラを見る。


「何か用?」


「は、いつまでもその物言いが治らないわね。あなたは獣同然の穢れたゴミなのよ。立場をわきまえなさい。躾が全く足りていないようね」


 そう言うと、ミラは私の腹を思いっきり殴った。ぐふぅ、と膝をつく。


「ふん、今日の食事よ。残さず食べなさいね」


 見ると、地べたに残飯の入った皿がある。ミラはわざと土がかかるように乱暴に踵を返すと、屋敷の中へ行ってしまった。


「ミラも随分と暴力的になったわね。注意力は大した事ないみたいだけど」


 何事も無かったかのようにスクッと立ち上がり、隠していたコンポストに生ゴミみたいな食事を突っ込む。最近腹筋を鍛えているおかげか、今日のミラの一撃は大したことはなかった。


 伯爵家の屋敷……ではなく、敷地の中にある小屋に入る。ここが私の家だ。まぁ、見慣れれば案外レトロでかわいいし、結構広いので気に入っているけれど。


「さて、幾ら溜まったかなぁ〜?」

 

 ランプに灯りをつけて、こっそり貯めていたお金を丁寧に数えた。あの手この手で貯めたお金は、ついに金貨50枚ほどになった。


「目標金額まであと半分ね!」


 金貨が100枚貯まったら、伯爵家を出ていく。それが私の夢だった。今はまだ無理だけれど、ロスナルが伯爵位を継承して叔父様が引退したら、私への支配はなくなるはずだ。そうしたら、私は伯爵家を出ていける。


 伯爵家を出たら、どこか遠くの街に家を買って穏やかに暮らそう。どんな家がいいかな、と妄想を膨らませた。


「リズ!」


「あれ、ロスナル?」


 小屋の窓からロスナルが私に手を振っている。なんだろうと外に出ると、ロスナルは小さな袋を私に差し出した。


「大丈夫だった?これ、差し入れ」


「わぁ、ありがとう!」


 リンゴが一つと小さめのフランスパンが一つ。それを受け取ってにこりと微笑む。


「いつも悪いわね」


「いや、これぐらいしかできなくてごめんね。……僕はいつもリズの事を思ってるから」


 そう言って、ロスナルは私の手の甲にキスを落とすと、じゃ、と微笑んでどこかへ行ってしまった。


「……いつまでも婚約者だったこと気にしなくていいのになぁ」


 パタンと扉を閉めて、ため息をつく。貴族の中では、今でも私に唯一気を使ってくれる人だけれど。ロスナルは、マリーと結婚してノイアー伯爵となるのだ。だから、私達はただの友人か、親族みたいなものだ。


 ロスナルが私の婚約者だった頃を思い出す。あれは、まだ私が子供の頃だった。花束を渡してくれたロスナルの笑顔も、記憶の中では少しあどけない。


 あの時喜んで花束を受け取った私の気持ちは、恋心と言うより憧れや親愛だったと思うけれど。それでも、マリーと夫婦になった姿をずっと眺め続けようとは思えなかった。


「早くここを出ていこう。頑張ってお金貯めないとね!」


 そう独り言を言って胸を張り、上を見上げる。


 上を見たら元気になれる。そのおまじないのような仕草は、私があの日から大切にしている事だった。


「大丈夫!獣令嬢だもの。森でも山でも海でも、どこでだって生きていけるわ!」


 そう言って胸を張って、古びた窓から身を乗り出し、空に現れた一番星を見上げた。


 きっと、お父さんもお母さんも私のことを見ている。そう願いながら、私はリンゴをまるごとのまま、シャクッとひとかじりした。



 そうして迎えた隣国の公爵閣下がやってくる日。私は蛇龍と獣騎士団を迎え入れるために、皇都の森に来ていた。


 はじめましての、大切な迎え入れ。国にとっても大切な務めなのに。私は今、その森の端の入り口で地べたに這いつくばっている。


「なぜマリーに嫌がらせをしたんだ」


 怒りと悲しみが滲んだ表情で、ロスナルが私を見下ろしている。その隣には、土で汚れたドレスを着たマリーが、ハンカチで乾いた目を押さえていた。その二人を見あげながら、苦々しく口を開く。


「……私はそんな事してないわ」


 マリー曰く、私がマリーを突き飛ばしたらしいのだけど。正直こんな忙しい日にそんな余裕はない。ロスナルだって分かるでしょうと思ったのだけど。残念ながら、ロスナルは斜め上の理由を思いついたようで、私を厳しい目で睨みつけた。


「意地を張るなよ。君の気持ちも分かっているつもりだ。嫉妬、してくれたんだろう?でも……僕がマリーの婚約者になったのは、どうしようもない事だ」


 まさか、そんな理由をつけられるとは。思わず、ふっと笑いが溢れる。


 どうしようもないこと。爵位が欲しいロスナルにとっては、鞍替えは絶対必要だったのだろう。


「そうね。どうしようもない事だわ。現伯爵は叔父様だもの。その娘のマリーの血を伯爵家に残すのだから、貴方がノイアー伯爵になるためには私からマリーに婚約を変えないといけないものね」


「っ、酷いわ!どうしてそんな言い方をするの!」


「マリー、いいんだ」


 ロスナルは、顔を歪めると残念そうに私を見下ろした。


「……僕は君にこのまま伯爵家に残ってもらっても良いと思ってるんだ。もう少しいい関係でいられないか?」


 ロスナルが優しい声でそう言った。その言葉を、切ない気持ちで聞く。


 なぜ、元婚約者と義妹の夫婦の元で、私が平穏に暮らせると思うのだろう。


「――私はいつか家から出ていくわ」


 そう言うとロスナルもマリーもぎょっとした顔をした。


「何言ってるんだリズ、どこに行く気なんだ」


「そうよ、お姉様。出ていくなんてそんな――」


「獣令嬢に行く当てなど無い、そういう意味?」


 そう言い返すと、二人はぐっと押し黙った。その様子を冷えた気持ちで眺める。


 行く当てのない獣令嬢。それを家に飼い続ける理由など、都合のいい召使いか鬱憤晴らしの理由ぐらいしかない。そう明確に言ったところで、この人たちは認めないだろう。


 ため息を吐いて、張り付けた笑顔で二人に言った。


「ご心配頂かなくても、私は自分の力で生きていくわ。叔父様が伯爵を退けば養女の私がノイアー伯爵家に留まる理由もなくなるもの。すぐに出ていくから、どうぞそれまでには次の使い勝手のいい次の駒を見つけておいてね」


「ひ、酷いわお姉様!そんな言い方……」


「リズ……残念だよ」


 ロスナルはそう言うと、ミラに後は任せたと伝えてからマリーと共に立ち去った。


 二人の姿が見えなくなるとすぐに、ミラは拳を振り上げた。


「黙って聞いていれば!お二人に恩を感じる素振りも見せないとは!」


 ガスッと拳が鳩尾に入る。思わず身体を屈めると、ミラの蹴りが背中に降ってきた。


「獣同然のお前など、平穏に暮らせる場所があるわけがないわ!」


 三発目の蹴りが顔面近くに飛んでくる。流石にそれは無いと、パシッとその蹴りを受け止めた。


「見えるところに傷がつくと、貴方の大好きなロスナル様が暴力女だと幻滅するわよ」


「っ、生意気な、なら希望通りに見えない場所に――」


「おい」


 突然背後の森の中から男の声が聞こえた。びっくりして振り返る。


 帝国の軍服に身を包んだ、黒髪の男。


 生い茂る皇都の森を背景に、その男は、不機嫌そうにこちらを見ていた。




読んでいただいてありがとうございました!


久々の新作です!

例によって最終話まで執筆済み&基本毎日投稿します。

是非安心して最後まで楽しんでいただけると嬉しいです!


「逞しく稼いで自分で食べてるリズちゃんいいじゃない」と思って下さった素敵な読者様も、

「ミラもマリーもムカつくけど、ロスナルもだいぶモヤッとする」と早速苛立ちをあらわにして下さった感度の良いあなたも、

リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!

また遊びに来てください!

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作者様 ほんと、い~ってなりました。 でも。やさしい作者様は きっと最後はこころほのぼのにしてくださいますよね。 (* ̄▽ ̄)フフフッ♪
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