第37話 アンジュとアレックス 後編
「えっと……」
何か言おうと口を開きかけたけど、アレックス君が軽く首を横に振った。
「何も言わないで、ユリ」
「…………」
「まずはさ……アンジュの事、ありがとう。守ってくれて」
「……ううん」
お礼を言われるような事じゃない。だって、結果的にアンジュを守ったけど、その理由はアンジュのためじゃなくて完全に私的なものだもの……。
「……ユリにそのつもりはなくても、アンジュが言っていたように、君が初めてなんだ。アンジュを俺以外で守ってくれたのは……」
「…………」
「えっとね……。今から俺は独り事を言う。君はそれをたまたま聞いただけだ。いいね?」
なんだろうかと、首を傾げつつも私はゆっくりと頷いた。
「……アメリカーナのとある裕福な家のメイドが、未婚で子どもを産んだ。男女の双子だった」
これは……間違いなく、アンジュとアレックス君の事だろうな……。
「その子どもはその家の主人の厚意で母親と共に屋敷で暮らし、すくすくと育った。特に妹の方はとても美しく育ったんだ。その家の主人が『生きた宝石』と言うほどね」
「…………」
「良くも悪くも転機が訪れたのは双子が12歳を迎えた時。……その家の主人が双子の兄妹を養子にしたんだよ――」
それからのアレックス君の話によるとこうだ。
主人は双子を養子にした後、母親にいくらかのお金を持たせて解雇してしまったらしい。主人は「母親がお金欲しさに双子を売った」と伝えたらしいが、主人が思う以上に聡明だった双子は自分たちの母親が主人に逆らえず泣く泣く手放したのだと悟った。
それからは生活には何ら困らず、むしろ今までにないくらいに贅沢な暮らしができたけれど、双子は幸せではなかった。何故なら主人の妻や実子が事ある事に双子に嫌がらせをしたらしい。何しろ主人は自分の妻子よりも双子をいたく可愛がっていたからだ。しかも双子はとても美しく聡明で、それが妬ましかったらしい。一度、主人に妻子の嫌がらせについて訴えたらしいが、主人に叱責された妻子は隠れて益々嫌がらせをしてきた。それ以降、双子は互い以外には味方がいないものとして生きてきた。幸い、双子は聡明なだけでなく能力者としての力も強かったので、大事に至る事は特になかったらしい。
「…………」
あまりの話に私は絶句してアレックス君を見た。アンジュが言っていた叩かれたこともあるというのは、そういう事なんだろう。
「――双子がさらに成長すると主人の家族以外からも何かとあったんだけど、特に問題ではなかった。……16歳までは」
それまで陽気に話していたアレックス君の顔からスッと表情が消えた。
「……何が、あったの?」
「……アメリカーナは18歳が成人なんだけど、主人は双子が成人を迎えたら結婚させるつもりだと知ったんだ。……しかも、その権利を闇オークションにかけるつもりだったんだ」
「っ!?」
それは……実質人身売買と同じじゃない。
この世界には実は奴隷が存在する。でも、基本的にそれは罪を犯した「犯罪奴隷」だけだ。だから国の管理下にあるのが普通だし、当然人身売買はどの国も禁止している。それでも裏では闇の奴隷商人や闇オークションが横行しているらしい。……主人が双子を引き取ったのはそれが目的だったのか。
「成人まで時間がない双子はあらゆる道を模索して、たくさんの事を調べた。そして、自分たちが通う学園に交換留学制度がある事を知った。それから数ある留学先の中でもアメリカーナから最も遠い国であるこの瑞穂国へ、留学することを決めたんだ。瑞穂国ならば、そう簡単に行き来はできない。いくら主人が裕福だからと言っても、連れ戻すのは容易じゃないと踏んでね」
「…………」
「双子は……いや、俺たちはいずれ2年の留学期間を延長するつもりなんだ。理由をつけるために大学にも行って、できたら就職もしようと思っている。将来的にはこの国に定住または永住できたらいいとも思っている……いつか、あいつが俺たちを諦める日までね」
「…………」
「まぁ、その権利を得るのに手っ取り早いのが“結婚”なんだよなぁ」
不意に表情を変えて苦笑いを浮かべながらアレックス君は私を見た。……ん?
「ま、まさか私と匡利はその結婚相手の候補って事?」
「そこまでじゃあないさ。ただ、直感的に“良い”と思った相手が君たちだったって言うのは確かかな?」
えぇ、嘘でしょう……?
絶句してアレックス君を見ていると、困ったような笑顔を浮かべていた。
「……あのもう分かっていると思うけど、私は匡利の事が……」
「あぁ、うん。分かっているよ。まぁ、残念ではあるけれど、俺はアンジュほど切羽詰まっていないから。確かに結婚が手っ取り早いけれど、俺は能力を活かしての就職も良いと思っているからね」
「まぁ、確かに留学生でも就ける仕事はあるだろうし、それこそ国籍を問わない冒険者ギルドなんかの登録も1つの方法だしね」
「うん、そうなんだ。……ただ、アンジュの方はやっぱり結婚が良くてね。少なくとも恋人ができて欲しいんだ」
「……それは、主人の人がかけようとしている闇オークションが関係している?」
そう聞くと、アレックス君は無言で頷いた。
「……女性であるユリにこんな事を聞かせるべきではないんだけどね。あいつ、今までアンジュに男と関わる事を禁止していたんだよ。万が一にも価値が下がる事になっては困ると言ってね」
……あぁ、なるほど? つまりアンジュの「純潔」も商品の1つだったっていう事ね……。最悪だね、その男。
「アンジュはその事を……」
「知らない。だから、アンジュには『この国では恋人ができると良いね』としか言っていない」
「…………」
今の話の感じだと、アンジュにとって匡利は初恋って事になるんだろう。そして、多分だけどアンジュは現状全く男慣れしていない。だから匡利に対してあの距離感になっているのかもしれない……。うーん、そのあたりの境遇は同情するけど、あの距離感は解せない。……そもそも男慣れどころか人慣れもしていないとかかな? ずっとアレックス君とばかり一緒にいたのなら、その可能性もあるのか……。
色々悶々と考えていると、アレックス君は肩を竦めて苦笑いを向けてきた。
「まぁ、そういう訳で……ユリには悪いけれど、アンジュの事、見守ってくれないかな?」
「えぇ~……」
つい思い切り嫌そうに声を出すと、アレックス君は珍しく声を上げて笑った。
「ハハハッ……安心して欲しいのは、アンジュはそこまでアキトシに本気じゃないって事だ」
「……嘘だぁ」
「双子の俺だから分かる。あれは、新しいおもちゃを見つけた子どもと同じだよ。俺もアンジュも“美しいもの”が好きなんだ。正直言ってアキトシは……と言うより、ユリとアキトシの友人たちはみんな、アメリカーナでも見た事がないほど格好良くて美しい。……だから、側に置きたくなる。アンジュ本人が気づいていないだけで、本当にその程度の気持ちなんだよ」
褒められているのは分かるんだけど、何とも言えない気持ちになる……。つまりは、アレックス君はともかくアンジュに関しては本当に恋愛初心者なんだね。
「……今はそうでも、いつか本気になるかもしれないよ」
「アンジュはそうかもね。……でも、そもそもアキトシがアンジュを選ばないだろう?」
「……どうだろうね」
さすがにそればかりは私にも分からない。匡利は現状恋愛事には興味ないと言っているけれど、アンジュほどの可愛い子が毎日の様にアプローチし続けたら、そのうち心変わりするかも……。とはいえ、今のところアンジュの行動を迷惑がっていて、むしろマイナスなんだよね……。
「まぁ、俺としてはアンジュが選んだ男なら歓迎するけど、俺の義弟になるならもう少し優しい人が良いなぁ」
「匡利は優しいよ」
何を言っているんだと、ついムッとしながら言ってしまった。そうしたら、アレックス君はまた笑った。
「それは君が相手だからだろうね」
「私だけじゃなくてアオたちにも優しいよ」
「そう? それなら、彼が気を許した人にはそうなんだろうね。ただ、俺とアンジュがそこまでになるには時間がかかるだろうな」
まぁ、そもそもアンジュとアレックス君の普段の行動が原因だからねぇ……。
「……そう思うのなら、アレックス君からアンジュに言ってよ」
「ん? 何を?」
「匡利はとても真面目な人だから、授業はきちんと受けたいの。でも最近、アンジュが授業中に話しかけてくるから集中できなくて、凄く困っているし怒っているの。それに倶楽部も一生懸命やっているから邪魔はされたくないと思うの。……だから、せめて授業と倶楽部の時は不必要に話しかけないであげて。それだけで、多分もうちょっと柔らかく接してくれるかも……」
あぁ~、どうして私は敵に塩を送る様な真似を……。でも実際匡利が困っているのは事実だし……こうでも言わないと止めてくれなさそうなんだよね……。
「……やっぱりアキトシが優しいのはユリだけなんじゃないかな?」
「えっ?」
何の事だろうかと首を傾げると、アレックス君は苦笑いを浮かべた。
「ユリって、慣れていない人からのスキンシップが苦手なんだって? それから後ろから肩を掴まれるのも嫌いらしいね」
「どうしてそれを……」
「……アキトシに言われたんだ。『ユリは慣れていない人からのスキンシップを嫌がるし、後ろから肩を掴むととても怯えるからやるな』ってね」
「(匡利……)」
自分もアンジュの事で困っているのに、知らない所でそんな事してくれていたんだ……。
匡利の気遣いに感動していると、アレックス君は小さく息を吐いて肩を竦めた。
「分かったよ。アンジュに伝える。アキトシやユリと仲良くしたいなら、もう少し控えた方が良いってね」
「うん、お願いね」
これで少しは落ち着くかな。そう思って安心していると、アレックス君がニッコリと笑いながら私を見た。
「ところでさ……」
「ん?」
「アンジュだけじゃなくてさ、俺とも仲良くして欲しいんだけど、ダメかな?」
あぁ~、あえてスルーしていたんだけどやっぱり気付いちゃったか。当然アンジュだけっていう訳にはいかないだろうね。
「……良いけど、色々と控えてね?」
「もちろんだよ。……あぁ、それとね」
「ん?」
「ユリの気持ちは分かったけど、俺にもチャンスがあるうちは頑張らせてもらうからね?」
そう言ってアレックス君は思わず惚れ惚れとするような笑顔を浮かべる。一方でその言葉に私は開いた口が塞がらなかった。すっぱり諦めてくれたかと思ったらそうじゃないのね……。
「お、お手柔らかに?」
「ハハッ……これからアンジュ共々、改めてよろしくね」
アレックス君はそう言って右手を差し出してきた。その手の意味を察して、私は軽く握り返す。
「こちらこそよろしくね」
そうして手を離した後、私とアレックス君はその場で別れた。アレックス君はアンジュを追いかけて、学校の近くを少し散策するらしい。私はそのまま家に帰る事にした。
それにしても、今日はなんだかすごい話を聞いちゃったな……。あの話の感じからすると、アレックス君とアンジュはもうアメリカーナに帰るつもりはないんだろうな。少なくとも、元主人だという養父が2人を諦めてくれるまでは……。何て言うか、本当にこの世界は何か事情を抱えた人が、しかも子どもが多いんだなぁ……。それとも、私が知らないだけでこれがどっちの世界でも普通なのかな……。
まぁでも、ひとまずは最近の悩みだったアンジュとアレックス君の行動がこれで少しは緩和されると良いなぁ……。
色々と考え事をしながら歩いていると、少し離れた前方に見慣れた背中があった。それを目にして、私は顔を綻ばせた。
「――匡利!」
駆け寄りながら呼ぶと、匡利は足を止めてこちらを振り返った。私に気付くと少し意外そうな顔をしていた。
「優」
「偶然だね。倶楽部帰り?」
「そうだが、お前はどうした? いつもより遅いんじゃないか?」
「委員会があったんだけど、ちょっと色々とあってね……」
説明するのが難しいから誤魔化すようにそう言うと、匡利はちょっとだけ眉を顰めて手を伸ばしてきた。何だろうかと思っていると、そっと左頬に触れてきた。
「その“色々”はこの腫れた頬に関係があるのか?」
「あぁ~……うん、そうだね……。というか腫れているの?」
シンパの子から思い切り叩かれた事すっかり忘れていた……その後のアンジュとアレックス君が色々と衝撃的だったからな……。
慌てて《無限収納》から小さな鏡を出して見てみた。あぁ……確かになんか赤く腫れている……。まぁ思い切り叩かれたし、正直口の中を切らなかっただけマシだとは思っていたけど。それにしても思いの外目立つな……。
「えー、帰るまでにこの腫れ引かないかな……」
「多少は目立たなくなるだろうが無理だろう」
「んー……じゃあもう治しちゃおう。《治癒》」
《治癒属性魔法》をかければ一瞬で腫れていた頬は綺麗に治った。それにしても腫れるほどの力で女の子の顔を叩かないで欲しいな……。さっきのシンパたちの事を思ってムーッとした表情で鏡を見ていると、匡利がジッと私を見つめている事に気付いた。
「どうしたの?」
「今のはお前がおっちょこちょい過ぎてぶつけたのか?」
「お、おっちょこちょいって、それは違うけど……えっ、そう思われていたの?」
「やはり違うか……」
なんか匡利の私に対する評価が腑に落ちないというか衝撃なんですけど……しかも私の質問を華麗にスルーしたし……。それにおっちょこちょいでぶつけたとして、頬だけって難しいような……。でも、あり得る事なのかな?
私の思考がなんだか明後日の方向に進んでいると、匡利は珍しく顔をしかめて私を見た。えっ、何?
「な、なに?」
「……自分でぶつけたのではないなら、叩かれたんだな?」
「あっ……」
そうだった……。こういう時の匡利は妙に鋭いんだよ。それもちょっと確信を持っているから誤魔化しにくい。
「えーっと……まぁ、そうです……」
「何故そんな事になったんだ。そもそも相手は?」
「その……話すと長くなるんだけど、簡単に言っちゃえばアンジュが“とある人たち”に絡まれていて……それを止めたら矛先が私に向いちゃって……それでうっかり怒らせて、こう“バシッ”と?」
要領を得ていないにも程がある端折り方で説明したけど、匡利はそれで十分だったらしい。思い切り深くため息を吐かれた。
「何をやっているんだ、お前は……」
「いやぁ、怒らせたのはマズかったとは思うけど、止めたのは後悔していないよ。じゃないと、叩かれていたのはアンジュだったし、それって相当マズいでしょう?」
「まぁ、そうだな。ブラウンたちがそれを学校側に訴えたら、色々と問題になっていたのは間違いない。殴った張本人に然るべき処罰が下るのは当然の事だとして、それ以上に今後のアメリカーナとの交換留学が無くなっていた可能性がある」
「でしょう?」
「だからと言って、お前が殴られていい筈ないだろうが。しかも、聞いている感じではお前が怒らせたのか?」
ひぇ、お説教モードになってる……。
「だって、アンジュに手を出す事のマズさをちっとも分かっていないから本当に呆れちゃって……。まぁ、それが思い切り顔に出ていたみたいで。それで馬鹿にしているのかって聞かれたから、つい『呆れてる』って答えちゃって……」
正直にそう言ったら、呆れたような盛大なため息を吐かれた。
「……気持ちは分かる。顔に出すなとはこの際言わない。だが、聞かれて素直に答えるんじゃない」
「だから“うっかり怒らせた”って言ったじゃない。そもそも何か言っても言わなくても叩かれたと思うんだよね。私が出て行った時点で相当お冠だったし……」
「……何となくだが相手が分かったぞ」
あら、分かったんだ? まぁ、私の登場だけで怒るような人たち、1つしかないもんねぇ。
「ちなみに言うと、具体的な名前とかクラスは分からないよ。紺の制服が2人と臙脂の制服が1人って事しか言えない」
「……元々相手は不特定多数だからな。その中から絞るのも難しいか……」
その口ぶりだと絞り込んで何かするつもりだったんだな……。うーん、アレックス君が言うように私だけに優しいかは別としても過保護だよね。匡利だけじゃなくて慶人たちもだけど。
「……とにかく、正直なのも素直なのも良い事だが、相手を考えろ。お前にそのつもりが無くても相手は挑発されたと考えるぞ」
「うん、それは身に沁みて分かりました……」
まさか叩かれたのが腫れるとは思わなかったよ……。そう思ってしょんぼりとしていると、優しい手つきで頭を撫でられた。
「まぁ、ブラウンの事はよくやったな」
唐突に褒められて一瞬だけ驚いた。でも、すぐに頬が緩んだ。匡利からそう言ってもらえただけで、アンジュの事を守った甲斐があるよ。
それから私と匡利は一緒に家まで帰った。アオたちが私の帰りが遅かった事を心配してくれていたけれど、私はなんとなく本当の事が言えなかった。ちょっと色々と複雑だしね。匡利も私が言わないのを見て黙っていてくれた。
翌日、アレックス君とアンジュはお願いした通り、私と匡利に不必要に話しかける事がなくなった。久しぶりにしっかり集中して受けられる授業は快適だったよ。あと変わった事と言えば、休み時間にアンジュが匡利だけじゃなくて私にも話しかけてきたことかな? 仲良くするって約束だったから、そこは快く応えたよ。
ただし、アンジュたちの急な変わりようにアオたちは不審に思ったらしくて、昼休みに屋上で全員から詰め寄られちゃったんだよね……。その結果、せっかく匡利が内緒にしてくれていたのに、私は昨日の委員会の後のアンジュとシンパたちのやり取りを全て話す事になった。もちろん、アレックス君とアンジュの生い立ちだけは黙っていたけれど……。
そして、話し終わった後に全員から「止めた事はともかく自分が叩かれる羽目になったのは迂闊すぎる」と怒られてしまったのだった……。
こうして、新学期が始まってからのアレックス君とアンジュに対する悩みは解決できた。これでしばらくは頭を悩ます事もなく落ち着いて過ごせると思っていた。
だから、気付かなかったんだ……。私がアレックス君たちの事に頭を悩ませている傍らで、独りで思いを抱え込んでいる人がいただなんて……。
ここまで読んで下さりありがとうございました!
次回からの更新なのですが、仕事が繁忙期に入り、さらに子どもの夏休みも終了してしまったのであまり執筆・更新の時間が取れなくなってしまうんです……。
なので、ストックがあるうちは週1回(多分土曜日)の更新になります。
次回更新は9月6日を予定しています。
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