第35話 変わる日常
新学期が始まって数日が経った。ある日の外国語の時間、私は前に出て黒板に訳を書いていた。
「アキトシ~」
決して大きくはないその声を、人一倍良い耳が拾ってしまった。その瞬間、私の手に握られていたチョークはボキッと真っ二つに折れた。
「ど、どうしました? 汐崎さん」
突然チョークを折った事に驚いた先生がそう聞いてくる。
「……すみません。ちょっと力が入ってしまって」
本当の事が言えるはずもないから、私は何とか誤魔化すようにそう言う。その間も、私は背後から聞こえてくる小さな音に口元を引き攣らせていた。
アレックス君とアンジュ――そう呼んで欲しいと言われた――が留学してきて数日、私は大いに頭を悩ませていた。
まずはアンジュだ。彼女はかなりの美少女で愛らしく、天真爛漫と言う言葉がぴったりな子だ。そのアンジュは留学初日に隣の席になった匡利に一目惚れしたらしい……。それ以来、彼女はことある事に、それこそ授業中だろうが何だろうがお構いなしに匡利に絡んで猛アプローチしている。
これに関して匡利からしたら本当に迷惑らしくて、結構キツめにハッキリと拒否しているみたいなんだけど、不思議と効果がないらしくて……日に日に匡利の表情がいつも以上に“無”になっていると言うか、目に見えてげんなりとしていると言うか……。それを隣で見せられている私もなかなかのストレスだよね! あまりにもイライラするからなのか、毎日綺麗に尖らせている鉛筆の先がどんどん折れるんだよね……おかげでどんどん短くなるし。何なら、そろそろ長年愛用しているペンをへし折りそうなんだけど。困ったなぁ……。
「(本当にどうしたものかなぁ……)」
「ユリ」
黒板に書き終わって席に戻り、アンジュと匡利の事で考え込んでいると、隣から声をかけられた。アレックス君だ。
「浮かない顔をしているけれど、どうしたんだい? 悩みなら、俺が相談に乗るよ?」
「……うん、ありがとう」
あなたの妹が悩みの種です、なんて言えるはずもない。そもそも、あなたも私の悩みの原因なんだけどね!
そう。さすが双子と言うべきなのか、アレックス君は留学してきたあの日以来、どういう訳か私に物凄く絡んでくる。本人曰く、アンジュと一緒で私に一目惚れしたんだ、という事らしい。つまりは絡んでくるのはアプローチって事なんだろうけれど、どうしてだろうね。兄妹揃って時と場所を全く選んでくれない!
「(せめて授業中とか、風紀委員の前では遠慮して欲しい……。あと匡利の前でも止めて欲しい)」
やんわりとそれとなく言うんだけど、どうしてか全く聞き入れてもらえない。どうにかならないのかと、私は大きくため息を吐くのだった。
外国語の授業の後は理科で移動教室だ。私はアオたち4人と一緒に理科室へと向かって歩いている。ワイワイと話しながら歩いていると、廊下の角の所で先頭のサオと誰かがぶつかった。
「わっ……」
ぶつかった拍子によろけるサオを咄嗟に支える。
「サオ、大丈夫?」
「うん……」
「……あっ」
顔を上げてサオがぶつかった相手を見ると、私たちも知る人だった。相手も私たちに気付いた。
「姫さん達やったんか」
沖田くんだ。彼は穏やかに微笑むと、ぶつかったサオを見た。
「すまんなぁ。本を読んどって気付かんかったわ。怪我、してへんか?」
「う、うん……あの、私もぶつかってごめんね」
「あぁ、全然かまへんよ。姫さんは移動教室なんか?」
「うん」
サオと沖田くんが話す様子に、なんとなく私たちは少しだけその場を離れた。
サオって、アオほどじゃないけど意外と人見知りするんだよね。慶人たち以外に親しく話すのって、龍一とナオくらいだと思っていたけど、結構沖田くんとも話すんだ。
「――あぁ、そろそろ急いで移動した方がええな。すまんな、引き留めて」
「ううん」
チラッと時計を見た沖田くんが少しだけ申し訳なさそうに言うと、サオは少し気恥ずかしそうに首を横に振った。
「ほな、またな。姫さん。優梨ちゃん達も、またな」
「またね」
サオだけでなく私たちにも声をかけると沖田くんはその場を離れて行く。無意識だろうけれど、その後姿をサオが少しだけ名残惜しそうに振り返って見ているのを、私は見逃さなかった。
「慶人くんたちで見慣れているとはいえ、こうして見ると沖田くんもやっぱりかっこいいね」
サオの様子に気が付いていないらしい紗奈ちゃんが、沖田くんが行った方を見ながらそう言う。
「だよねぇ。頭も良いし、容姿端麗だし……それでいて、性格は気さくだから男女受けは最高だしね。ファンクラブあるくらいなんでしょう?」
「それに、彼ってなんとなく周りの人とちょっと雰囲気も違うわよね。それが人気な理由の1つみたいだけれど」
紗奈ちゃんに続いてアオと佳穂もそう言う。それを聞いているサオの視線が段々と下がっている事に気付いた。……サオにしては珍しい反応だね。
「……サオ?」
「えっ?」
声をかけると、びっくりしたように顔を上げた。無意識だった?
「浮かない顔をしているけど、どうかした?」
「ううん……あの、ちょっと、トイレ行きたくなっちゃったから、先に行ってて」
取り繕うような笑顔を浮かべたかと思うと、そう言ってサオは返事も聞かずにその場を駆け出した。残された私たちは呆然とサオの行った方を見つめた。
「……あと5分もしないうちに授業だけど、間に合うかな?」
「うーん、そもそも戻ってくるかな?」
私とアオの言葉に、佳穂と紗奈ちゃんも首を傾げている。
「……とりあえず、先に行ってようか」
私がそう言うと、私たちは改めて理科室へと向かって歩く。
「さーちゃん、どうしたんだろうね?」
「うーん」
何となく沖田くんの事を話していたのが理由かなぁとは思うけどね。具体的な事は不確かかな?
「……ねぇ、前から思っていたんだけれど、彼って咲緒理の事が好きなの?」
唐突にそう聞いてきたのは佳穂だ。その質問に佳穂以外が目を丸くした。
「えぇ? 聞いた事はないけど……何でそう思ったの?」
「彼って咲緒理の事を変わった呼び方をするでしょう? だからよ」
「それって“姫さん”って言う呼び方の事?」
アオが聞くと、佳穂は無言で頷いた。とりあえず歩きながら佳穂の言葉を考える。
「んー、でも沖田くんって私と優の事も“お嬢さん”とか“お嬢ちゃん”って呼ぶ事あるよ?」
アオがそう言うけれど、佳穂は肩を竦めて軽く首を横に振った。
「確かにそうなんだけれど、その“お嬢さん”呼びは意外と他の子にもしているのよ。でも、どうやら“姫さん”呼びは咲緒理にしかしていないらしいのよね」
へぇ、それは知らなかったなぁ。
「なるほど……」
「それでね、私のファンクラブ会長から聞いたのだけれど、極一部で沖田くんが咲緒理を“姫さん”って呼ぶのは、咲緒理の事が好きだからなんじゃないかって噂になっているらしいわよ」
えぇ、本当に? それって大丈夫なのかな……。その噂を立てているのは多分沖田くんのファンだろうけれど、誰なんだろう……? 知っている限りはまだ実害はないけれど、今度ひかるさんにも何か知っているか聞いてみようかな……。
それにしても、沖田くんがサオをねぇ……。
「……仮にその噂が本当だったとしても、きっと沖田くんは無意識の自覚無しなんだろうね」
そう言うと、アオたちも少し考えて無言で頷いた。
多分、春にギルドで会った時、沖田くんが同じ倶楽部で友人の慶人だけでなくてサオにも会っていたのは、やっぱりサオに気があったからなんだね。でも、何となく沖田くんはまだ自分でもその事に気付いていなさそう……。慶人あたりは気付いているのかな? 朔夜と玲に聞いてみても良いかもね。と言うか、さっきのサオの反応……サオも自覚無しに、って事なのかな? うーん、これは当分の間は要観察かなぁ。
そんな事を考えながら、私たちは理科室へと急いだ。
その後、サオが理科室に来たのは授業が始まるギリギリの時間だった。理科室に入ってきてアオと話すサオはいつも通りに見える。でも、授業を受けているサオはどこか上の空だ。その理由を私はサオに聞く事ができなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからさらに数日が経過した。その日の朝、私は匡利と向かい合わせで朝食をとっていた。
「「……ハァ~~……」」
どちらからともなく深くため息を吐く。そんな私たちをすぐ側で朝食を食べていた誠史が苦笑いを浮かべて見ていた。
「ねぇ、2人とも。何だか疲れ切っていない?」
そう言われて、私と匡利は互いを見る。うん、何だかいつも以上に匡利の眉間に皺が寄っている気がするし、なんとなく顔色も悪いね。でも、多分私も同じなんだろうなぁ……。
「……正直、学校に行くのが憂鬱でしかない」
「分かる……」
匡利にしてはかなり珍しいセリフだけど、その気持ちが痛いほど私には分かった。誠史もそれは同じらしくて、困ったように笑みを浮かべている。
「何故ブラウンはあれほど『止めろ』と言っても話しかけてくるのを止めないんだ? おかげで授業に集中できない。ハッキリ言って迷惑極まりない……っ!」
「アレックス君も所構わずアプローチしてくるのは何なの……。苦手だからっていくら言っても手を握ったり肩を抱いたりするのも止めてくれないし……もう本当に嫌!」
「……本当に大変そうだね」
私と匡利のセリフに誠史は同情するように言ってきた。本当にこればっかりはどうしたものかなぁ。
頭を悩ませていると、誠史と玲とアオが一足先に朝食のお皿を片付け始めた。
「あれ? 3人とも、もう出るの?」
「うん。倶楽部の朝練はないんだけれど、玲と一緒に今度の練習メニューを試そうと思ってね」
「私はその見学だよ」
へぇ、そうなんだ。もしかしてエリカも一緒なのかな? なんだかんだ言って2人って仲良いよね、やっぱり。
「いってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
声をかけるとアオがそれに答えて、誠史と玲は軽く手を振ってダイニングルームを出て行った。
時計を見ると、登校にはまだ時間に余裕がある。こうなったら、遅刻ギリギリの時間に行こうと決めて私は食事をする手を緩めていた。
「――まぁ、随分と心労を抱えているのですね」
「うん、思ったよりね」
学校に着いてから葵は、誠史と玲が体育館で部員の数人と一緒に練習をしているのを見学している。他にも何人か見学者がいて、その中にはエリカもいた。
葵はエリカと並んで壁際に立ち、誠史たちの様子を見ながら何となく今朝の優梨と匡利の事をエリカに話していた。
「私の席は佐塚くんの斜め後ろの方ですけれど、言われてみますと確かに大変そうですね」
「後ろから見てもそう思うほどなんだ……」
「佐塚くんは授業を集中して聞きたい方でしょう? ですから、それができなくて気の毒に思っていたのです」
葵の席は優梨と匡利の前の方だ。だから、さすがに授業中の様子まではよく分かっていなかった。エリカの話を聞き、ますます匡利に同情した。
「ところで、優梨さんは殿方に触れられるのが苦手なのですか? 佐塚くん達と一緒にいる時は感じませんでしたが……」
「うーん。そんな事ないけど、そもそも優って慣れていない人に変に近づかれたり、ベタベタされたりするのが好きじゃないんだよね。慣れちゃえば平気みたいだけれど……」
「あぁ、それで納得しました。アレックスさんが優梨さんの手を握るたびに表情が引き攣っていたので不思議だったのです」
「……本当に大変なんだね、あの2人」
自分の知らない話を聞き、葵は口元を引き攣らせる。思ったよりも優梨たちの悩みは深刻かもしれない、と僅かに感じ始めた。
「(これ以上何か問題が起こらないと良いんだけど……)」
そう思う葵は何の気なしにエリカの方に視線を向ける。そして、ある事に気付いた。
「……ところでエリカ」
「何ですか」
「その手にあるタオルはなぁに?」
「これですか?」
葵の視線の先には肌触りの良さそうなタオルがエリカの手に握られている。
「もちろん、練習を終えた加村くんに渡すための物です」
「やっぱり……っ!」
「そう言う葵さんこそ、その手のドリンクは何ですか?」
「もちろん、誠史くんに渡すドリンクだよ。あと、玲くんの分もあるよ」
一方で葵の手にも2本のドリンクのボトルが握られている。
「相変わらず抜け目がないですね……」
「そう言うエリカこそ……」
先程までにこやかに話していた2人はその視線と視線の間で火花を散らし始めた。
「――仲が良いんだか悪いんだか、分からない2人だな」
「でも、そこが面白いよね」
「……一応、誠史も当事者だろう」
離れた場所で葵たちの様子を見ていた誠史と玲はそう話す。2人の事をどこか楽しげに見ている誠史に玲は苦笑いしか浮かばなかった。
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