73.半端者
初めて私が血を吸ったのは、小学生の頃。
今と変わらずプライベートでは女の子の格好をしていた私。公園で一人、ブランコに座っていた私。
そんな私を、一人の男が遠くから見ていた。
ヴァンパイアの血が入っているが故に感覚が鋭かったのか、よほどその男の目力が強かったのか、とても視線を感じた。
見られている。じっと見られている。じっと、じっと、じっと。
私を見る目。ブランコで遊んでいるだけの私を見る目。とても不思議な感じだった。
なんで見ているんだろう。どうして見られているんだろう。不思議だった。
私が男の子なのに女の子の格好をしているからかな? と怖くなった。
その時の私は、幼い私は。どうして、なんで、女の子の格好をしているのか。自分にはよくわからなかった。
これが着たかったから、お母さんにそう言ったら買ってくれたから。それを着ていた。
そんな幼い頃でも、友達とプライベートで遊んだ時におかしい、変だと言われて自分の異常性に気づいてはいた。それでもこの服を脱ぎたくはなかったし着ていたかった。
今ならわかる。こんな可愛い服が似合う女の子に生まれたかったんだって。
その頃から似合っていないとは思っていなかった。似合っている、自分にはこの服が合う。そう理解していたからこそ、その服を着ていたんだとも思う。
きっと本当に似合っていたんだろう。だってあの男の人は、私をじっと見つめていたんだから。
彼は動かない。何もせず、じっと私を見つめているだけ。
私はそれが気になって気になって、ブランコからひょいっと降り、彼の元へと近づいた。
ビクッと全身をビクつかせる男の人。私が近づいてきて驚いたのだろう。もしくは、ずっと見ていたことがバレたのかもって怯えていたのかも。
ベンチから立ち上がり、立ち去ろうとする彼。私はその人に手を向けて、待ってと言った。
ピタッと止まる男の人。チラッと私を一瞥する男の人。
その時私は、胸がドキンっと、ときめくのを感じた。
やけに魅力的に見えた。無精髭がたくさん生えていて、肌が汚くて、目が死んでいて、ボロボロの服を着ていて、髪がボサボサで──
誰が見ても素敵な人とは思えない人。幼い私でもそれくらいはわかった。だからこそ、自分の胸のトキメキに戸惑いを覚えた。
この人好き、この人好き、この人好き。どうしてだろう、ドキンドキンっと胸がバクバク鳴り続ける。
まるで、ハンバーグを見た時のような。カレーライスを見た時のような。ラーメンを見た時のような、そんな胸のときめき。
私はゆっくりと近づいていく。男の人に向け、ゆっくりと、ゆっくりと。
すると、彼の鼻の穴が少し膨らむのがわかった。どうしてか、彼も胸をドキドキと高鳴らせているのがわかった。
なんて魅力的な人なんだろう。もう目を離せない。私は、一度唇をペロっと舐めて──
地面をトンっと軽く蹴り飛び上がり、彼の頬を両手で挟んで──
勢いよく、首元に噛みついた。
男の人の小さな悲鳴。けれど彼はすぐに気絶して、その場で力無さげに倒れてしまう。
私は彼と一緒に倒れて、彼の上に乗ったまま、首元に噛みつき続けた。
そこから、自分でもどうやったかのかよくわからないけれど、私は彼の血を吸い出していた。
一滴一滴吸うたびに、全身がまるで激しいリズムに合わせて踊るかのように喜ぶ感覚を覚える。
美味しい、美味しい、美味しい──
このままずっと噛みつきたい。吸い続けたい。私は夢中になって吸い続けた。
やがて満足をし、彼から口を離した私は、きっと恍惚とした表情を浮かべていたのだと思う。
何も考えず、何も考えられず、ただただ幸せを感じていたから。
チラッと男の人の顔を見たのを覚えている。少し青ざめた顔、けれど息はしていた。
数秒。数分。彼を眺めて──
私は彼の顔を目掛け、思いっきり吐瀉物を出した。
口の中が酸っぱい。鼻の穴の奥がツーンとする嫌な感覚。目尻から涙が溢れ、悲しくて気持ち悪くてどうすればいいのわからないドス黒い感情が溢れる。
少しえずいて、頭がぐちゃぐちゃになって、もう一度彼を見て──
私は、美味しそうと舌なめずりをした。
ゴクリと固唾を飲む。口の中に残っていた吐瀉物が私の喉を焼く。
気持ち悪いのに、もうこんなの嫌なのに、気持ちよくて、もう一度感じたい。
自分で自分がわけわからなくなって、私はその場から泣きながら逃げ出した。
急いで家に帰って、ベッドの布団にくるまって、私は自分自身に怯え震える。
私は誰? 私は何? 私はどうなるの?
怖かった。わかっているのに、知っているのに、それを知りたくないと拒絶する自分と、知っているにも関わらず見て見ぬフリをする自分と、当たり前かのように受け入れようとしている自分が私の中でごちゃ混ぜになる。
中途半端だ。私は何もかも、中途半端なのだ。
男の子なのに女の子の服を着る。けれどそれを見られるのは嫌で知られるのは嫌で、知人のいない所でだけ本当の自分を曝け出し、皆には偽りの自分を真実であるかのように見せる。
気持ち悪いのに、飲みたくなんてないのに。もっと吸いたいもっと吸いたいと人の血を拒絶し求め続ける。人間の私とヴァンパイアの私。
常にどっちつかず。なのに、人目を気にしてとりあえずの自分を取り繕う。
女の子の服を着ていたいのに、みんなに嫌われたくないから着たくもない男の子の服を着る。
童貞と処女の穢れなき血をお腹いっぱい吸いたいのに、私は人間の世界で人間として暮らす、暮らさなければいけないから、それをまるで求めていないかのように、ヴァンパイアであるにも関わらず、普通の人間かのように行動し振る舞い誤魔化す。
辛い。苦しい。わけわかんない。どうしたらいいのか想像もつかない。
だから君を見た時、エイジくんを見た時、同じ半パイアである君を見た時。この苦しみを理解してくれると、私は思ったんだ。
だから、だから、だから。心の底から願って、人間である僕が願って、君と仲良くなりたいと近づいた。
君となら分かり合える。慰め合える。都合のいい台詞を言ってくれる。そう思って。
けれどやっぱり私は半端者で、中途半端な存在だから──
今、童貞である君の血を吸いたくて吸いたくて、たまらない。




