71.半パイア
「……ふわぁ」
昼休み。僕は廊下を一人で歩いていた。
急にしたくなったので、トイレに行っていたのだ。
話す人もいないし、スマホも教室だし。特にやることなく廊下を歩き教室を目指す。
と、その時。誰かが僕の肩をチョンチョンッと突いてきた。
クティラか? サラか? リシアか? この三人の誰かだとするならば、恐らくクティラだろう。
僕は何も言わずに、ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、僕よりも一回り小さい男子生徒。
「こんにちは、エイジくん」
「ケイ……か」
少し、上目遣いをしながら僕に挨拶をしてくるケイ。僕は頷きながら小さく挨拶を返した。
すると、ケイは何故かその場で一回くるりと回転して、僕から少し距離を取りながら笑みを浮かべた。
「エイジくん……今暇かな? 暇ならちょっとわた……僕と喋らない?」
軽く首を傾げながら、会話をしようと提案してくるケイ。
どうしよう。ついて行くべきだろうか? 正直彼のことは何もわからないから、ほんの少しだけだが怖い。
何か裏があるような。そんな感じがする。
「……いや、かな?」
少し悲しそうな顔をしながら、苦笑いをするケイ。
それを見て少し罪悪感を感じてしまって、僕は思わず一歩踏み出し、ケイの元へと向かう。
「いや……いいよ。僕、今暇だし」
教室に戻っても居場所がなさそうだし、僕はケイと少しだけ話すのも悪くないと、彼の提案を受け入れた。
長くなるとクティラが五月蝿そうだからあまり長居はできないが。あいつ、トイレにまで一心同体が故とか行ってついて来ようとしたし。どんだけ僕と一緒にいたいんだ。
「そう……? よかったよ。じゃあ行こっか」
と、ケイが徐に僕の手を取り、引っ張ってきた。
僕はそれに抵抗することなく、彼に無抵抗で引っ張られていく。
ケイが向かった先は入ったことのない教室。恐らく空き教室だ。教室名が書かれていないし。
さも当然かのように空き教室の扉を開け中に入るケイ。こういうのって普通、鍵とかかかってるんじゃないのか?
教室の中に入ると、当たり前だが中には誰もいなかった。僕とケイの二人っきりだ。
教室の中心辺りまで進むと、ケイは掴んでいた僕の手を離し、すぐ近くにあった机の上に腰を下ろした。
「……ねえエイジくん。エイジくんもさ……ヴァンパイア、いや、半パイアなんだよね」
天井を見上げながら語るケイ。僕は何も答えず、されど肯定の意を伝えるため静かに頷く。
「エイジくんさ……血、吸ったことある?」
僕を一瞥しながら、ほんの少し微笑みながら、ケイが問う。
答えはノーだ。僕は吸ったことはない。一度も。
だけど、すぐにそう答えることは出来なかった。血を吸ったことはなくても、血を吸いたくなったことは何度もあるからだ。
大切な幼馴染に欲情し、実の妹に劣情を抱いたあの感覚。彼女たちの仕草の一つ一つがとても魅力的で、とても扇情的で──
「……ッ」
僕は思わず、唇をギュッと噛んだ。
思い出したくないあの感情。二度と得たくないあの感覚。欲情と劣情に塗れ、自己嫌悪と自己矛盾に陥り、情緒が不安定になる嫌な欲求。
「……そうか。エイジくんはまだ、吸ったことがないんだ」
と、僕の様子を見て察したのか。ケイは少し笑いながら、机の上で座り直しながら僕を見つめ呟いた。
しばらくの間。彼はじっと僕を見つめてきた。じっと、じっと、じっと。
「私はね……」
と。目の光を徐々に薄くしながら、僕の方を向きつつも遠くを見つめながら、彼は口を開いた。
「何回かあるよ……血を吸ったこと」
「……そう……なんだ」
するとケイは途端に俯き、しばらく小さな声でぶつぶつと呟き始めた。
数秒後、彼はこちらへと向き直し、ぴょんッと女の子のように可愛らしい仕草で机の上から降りた。
足音が聞こえる。わざとらしく、聴かせるために強く踏みしめながら歩く音が。
気づいた時には、ケイは僕の目の前にいた。
「人間の血を吸うのってさ……凄いんだよ。きっと麻薬やセックスで得られる快楽じゃ到底敵わないと思う。一滴口に含んだその瞬間、全身がハイになって脳が甘くとろけてさ……私生きてるんだなって、実感できるんだ」
嬉しそうに、楽しそうに語るケイ。けれど、その顔はとても悲しげだった。
「でもさ……私、半パイアなんだよね」
俯きながら、自分を嘲るように笑うケイ。
彼が言おうとしていること。僕にはなんとなくわかった。
きっと彼も苦しんだことがあるんだ。吸血鬼としての本能と、人間としての本能。それらが混じった歪な感情に。
「まだヴァンパイア……いや、半パイアになって数日しか経っていないんだろうけど、それでもエイジくんにはわかるよね」
と、ケイは何故か僕の胸元に手を当ててきた。
数秒、数十秒。彼は黙り込む。何も言わずに、僕に手を添えたまま、俯き動かない。
「生まれ持っての半パイアである私とは色々と細かいところが違うんだろうけど……それでも、わかるよね?」
と、恍惚とした顔でケイは顔を上げ、僕を上目遣いでじっと見つめてきた。
ケイはチロっと舌を小さく出して、ペロッと唇を舐めて見せる。
「……エイジくん、童貞なんだね。匂いで何となくわかっていたけど、触れたら確信できたよ」
その言葉に、僕は思わず全身をビクつかせてしまう。
恐怖を覚えたからだ。ケイの言葉に、表情に、声色に。
まるで、品定めをされているかのような気分。じっと見られ、大切な何かを狙われている気分。
例えばそう、命とか──
「ねえエイジくん……私に吸わせてくれないかな? 清き童貞半パイアの血を……」




