5.手と足の運動
「おにいちゃーん!」
扉を叩く音がする。
「……」
「おにいちゃーん! こらー!」
妹の、サラの僕を呼ぶ声が聞こえる。
「……ん」
「おにいちゃんってばー! もう九時だよー!? 土曜日だからって寝過ぎだよー!」
起きないとダメか。もう朝なのか。
いいや、眠いから二度寝しよ。
「……んん……」
「起きてー! 開けるよー! 開けるからねー!?」
扉が開いた。あのバカ、勝手に入ってくるな。
僕は眠いんだ。
寝返りを打って、僕は妹から顔を背ける。
「……ん……」
「……カーテンおりゃー!」
「……ッ!? おいバカお前!」
サラがカーテンを開けた瞬間、僕はすぐに布団を全身に被せ自分の身を守った。
「何やってんのお兄ちゃん……」
妹の呆れるような声。僕は何も考えてない彼女に苛立ち、つい舌打ちをしそうになる。
太陽光が当たらないように、ほんの少しだけ布団を持ち上げ、サラを見ながら言う。
「昨日クティラが説明しただろ! 僕はヴァンパイア……っていうか半パイアなんだ! 太陽の光が当たったら……死ぬだろ!」
「え……えと……?」
頬を掻きながら、困ったような顔で、僕を見るサラ。
なんだその反応は。ヴァンパイアは、吸血鬼は太陽が苦手って一般常識のような気がするが、もしかして知らないのか。
怪物とか化け物に詳しくない人でも何となくわかるはずだ。ドラキュラとかその辺は。
「言いにくいんだけどお兄ちゃん……多分大丈夫だよ?」
「何がだよ……」
そこで、僕は一つの考えに至る。
もしかして、これまでの不思議な出来事は夢だったんじゃないかって。
それだったら太陽を怖がる僕に、サラが疑問を抱くのもわかる。
何故なら、全てが夢だったのならば、僕は普通の人間だからだ。
吸血鬼のクティラなんて居ないし、彼女と契約して半パイアにもなっていない。極、極普通の一般男子高校生。
「ほら、怖がらないで見てお兄ちゃん」
すると、サラが窓を指差した。
僕は思わず首を傾げる。何で窓?
「いっちにーさんしー、いっちにーさんしー」
サラが窓を開けると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
これは、この声は、クティラの声だ。
僕は布団を被りながら、ゆっくりと立ち上がり、窓から外を見た。
そこには、ラジオ体操を流しながら朝の体操をするクティラの姿があった。
「クティラちゃん、太陽の下でも元気だよ?」
「……あいつ本当に吸血鬼なのか?」
僕が今まで映画や漫画、アニメで観てきた吸血鬼たちは軒並み太陽光に当てられると死んでいた。
灰になったり、爆発したり。色々と悲惨な死に方をしていた。
よくよく考えてみたら、クティラが血を吸っているところを見たことがない。魔法っぽいものを使っていたりはしたけれど。
それとも、半パイアが故、太陽にも耐えられるのだろうか?
「じゃあお兄ちゃん、私朝ごはん作るから。二度寝しないでちゃんと起きるんだよ?」
ビシッと僕を指差しながらそう言うと、サラは部屋からゆっくりと出ていった。
「……はあ」
布団を投げ捨て、僕はため息をつく。
ベッドに座ったまま背を伸ばし、もう一度ため息をついてから立ち上がる。
パジャマがはだけている。それを直しながら、部屋を出た。
まずは洗面所へと向かう。顔を洗って、歯磨きをして──
「……っ」
鏡に映る自分の姿に照れて、僕はそれから顔を背けた。
胸元が、谷間がはっきりと見えてしまった。
自分の身体なのに、どうしてこんなに意識してしまうんだろう。
僕が童貞だからだろうか? いや違う、ある日突然美少女に変わったら男女問わず己の体を見るのが恥ずかしくなるはずだ。
他人の体を見ているようなものなんだから。事実、元の僕と今の僕は全く似ていない。
美しい銀髪、大きくパッチリとした赤い目、可愛らしい唇、端正な顔。
「……可愛いな、やっぱり」
誰もいないから、僕はボソッと呟く。
クティラ曰く、この姿は彼女が成長した姿に似ているらしい。
庭で、ちんちくりんな身体を大きく動かしているあの少女が、こんな美少女になるだなんてあまり信じられない。
まあ、別にいいけど。
「……ふわぁ」
寝不足で思わずあくびをしてしまった。結局昨日はよく眠れなかった。
ずっと変なことを考えてドキドキしていたからだ。あんな感じの夜がこれからも続くと考えると、正直困る。
早く慣れなければ。女の子の身体に──
「……いやいや、戻る方法を考えるべきだろ」
僕は首を左右に振り、自分の考えを否定する。
何をしれっと女の子として生きていく覚悟を決めているんだ。バカバカしい。
戸籍とか、その辺色々面倒くさそうだし早く男に戻らないとダメだろ。この姿のままじゃ学校にも行けないし。
「……はあ」
深いため息をついて、僕は洗面所を出た。
*
「はいはいはいはいー、ふんふんふんふーん」
「おはようクティラ……」
「お! 起きたのかエイジ!」
庭でラジオ体操をしていたクティラに、僕は話しかけた。
ニパーと笑顔を浮かべながら振り返るクティラ。マスコットキャラクターみたいで正直かわいい。
「なあクティラ……お前って吸血鬼じゃなかったのか?」
僕は気になる疑問を彼女に問う。すると不思議そうな顔をしながら、クティラは僕の目をじっと見つめた。
「ヴァンパイアだが……なんだ?」
「その……太陽光を浴びても大丈夫なのか?」
「あー、その話か……」
やれやれ、と言った感じにため息をつくクティラ。
どうやら頻繁にされる質問らしい。意外と吸血鬼以外にも親交があるのだろうか、彼女は。
「我々ヴァンパイアの弱点に太陽の光があるのは正しい。だがそれを浴びたからとて即死する、ってわけではないぞ」
腕を組みながら、ちょこちょこその辺を歩き回りながら、クティラは話を続ける。
「ヴァンパイア特有の特殊能力が使えなくなるだけだ。かなり致命的だがな」
「ふーん……」
何となく腑に落ちた。致命的な弱点だが即死するほどではない。なるほど。
確かに、太陽の光浴びたら即死ってどう言う原理だよとは少し思っていた。こちらの設定の方が現実的だ。
特殊能力ってどんなのか、全くわからないけど。
「エイジもするか? ラジオ体操」
「いや、いい……」
聞きたいことも聞けたし、僕は彼女に背を向け、家内へと戻った。