39.ギリギリセーフ!
目の前に差し出される潤んだ柔肌。汗か、それともお湯の水滴か、恐らく前者だろう。
目が離せない。リシアの魅力的な、とても美味しそうな血の匂いから離れられない。
あの時は耐えられたのに、どうしてダメなんだろう。
そう、もう、ダメだ。
僕は耐えられそうにない。もう、吸うという選択肢以外選べない。
僕は這う。ゆっくりと、手と足を使ってベッドの上を這う。
そして近づく。大切な幼馴染に、豪華な食事に、仲の良い友達に、耐え難い贅沢さに。
彼女の、リシアの肩を優しく掴んで。僕はゆっくりと口を開け──
「あー!? お兄ちゃんがリシアお姉ちゃんにエッチな事してる!?」
と、突然サラの声が聞こえた。
「……ッ! サラ……!?」
声のした方を振り向くと、頬を真っ赤に染めながら、ドアノブに手をかけているサラが驚いていた。
「サラちゃん……!? あぅ……ち、違うよこれは! 決してエッチなことではないよ! あれだよ! えっと! その! 救護! 治療!? カウンセリング的な!?」
リシアが勢いよく僕の手を弾きながらサラの方に振り返り、慌てて両手を動かしながらサラの指摘を否定する。
僕は何も言えず、自身の手の甲を指でつねりながら俯く。
サラを見た瞬間、僕の心臓がとても激しく高鳴ったからだ。
そうだ、サラも処女なんだ。吸血鬼である僕にとって、ご馳走なんだ。
二人も、二つも、目の前にご馳走を用意されて、飢えているものが我慢できるはずがない。
吸いたい。リシアも、サラも──
「はぁ……軟弱者め。まだ覚悟は決まらないか」
と、僕の肩の上に乗るクティラがため息をつきながらそう言った。
すると彼女はふわーっと空に浮かび、サラの元へと向かい、彼女の肩の上に座った。
ちょんちょん、とサラの頬を突くクティラ。それに反応して、サラが首を傾げながらクティラを見る。
「ん? どうしたのクティラちゃん?」
「血を吸いたいから吸わせてくれ」
「あー……いいよ。あんまり吸いすぎないでね」
「わかっている。あむっ」
「うえぇ!? サ、サラちゃんいいの!?」
「うん、別に痛くないしね」
クティラがサラの首筋に甘噛みした瞬間、突如僕の食欲が急激に失せた。
跳ね上がるように動いていた心臓は落ち着き、荒んでいた息も整われ、リシアを見ても特になんとも思わない。
「ご馳走様……いつもサンキューだ、サラ」
「うぇえぇ……血が吸われる感覚まだ慣れないよぅ……」
首筋を抑え、気持ち悪そうな顔をしているサラ。
そんな彼女に一礼をしてから、クティラがぴょんっとサラの肩から飛び降り空に浮き、スイーっと移動して僕の元へと帰ってきた。
「今回だけだぞエイジ……次、食欲が湧いた時、私は助け舟を出さないからな」
「……えっと、なんで僕の食欲が失せたんだ?」
小さな声で、僕はクティラに話しかける。
するとクティラはドヤ顔をしながら、腕を組みながら自信満々に話し始めた。
「私とエイジは一心同体だからな! 私が吸えばエイジも満たされるに決まっているだろう!」
「……じゃあ、僕が食欲で暴走したら、クティラがその度に代わりに吸ってくれればいいじゃないか」
僕がそう指摘をすると、クティラは呆れたようにため息をつき、両手をふらふらとさせた。
「こんなものほんの少しの誤魔化しにしかならん……数時間もすればまた食欲が湧くだろう。私とお前の身体は完全一心同体状態の場合、お前が主なのだからな。本体が必要なものを得られなければなんの意味もない」
「えっと……」
微妙に言っていることが理解できない。クティラが変に遠回しに言っているせいなのか、僕の頭が今うまく回らない状態だからなのか。
いずれにせよ、今回はクティラに助けられたことになる。それは感謝しなければ。
まあクティラのせいで、クティラと契約したせいでこんな苦しみを味わっているんだけど。
「ね、エイジ……もう大丈夫なの?」
と、リシアがこちらに振り向き、小さな声で問うてきた。
僕は何も言わずに頷く。するとリシアは安心したような顔をして、ほっと一息ついた。
「それでお兄ちゃんとリシアお姉ちゃん。キス……の続きとかするの?」
と、サラがニヤニヤしながら僕らを嘲るように笑いながら言ってきた。
「……ぴゃえ!? し、しないよ!? ていうかキスもしてないよ!?」
それと同時にリシアの顔が真っ赤に染まり、彼女は俯きながら必死に両手を振り、サラの指摘を否定する。
するとサラは益々口角を上げ、ニヤつき始めた。
「初々しいね……なんてね! お兄ちゃんにリシアお姉ちゃんはもったいないもん!」
と、サラはズカズカと部屋の中に入ってきて、僕の隣に座ると、ビシビシと肩を叩いてきた。
「リシアお姉ちゃんにはもっといい男の人いるもんね! こんなお兄ちゃんなんかじゃなくてさっ!」
「うるさいなお前は……」
僕はため息をつく。サラの五月蠅さに煩わしさを覚えるが、正直それに安心した。
サラを妹として見れているから。豪華な食事ではなく、生意気な妹として見れているから。
「……ん? お兄ちゃん何その目」
サラが首を傾げながら僕を見つめてくる。そんな彼女の頭をなんとなく撫でてから、僕は立ち上がった。
「なんでもねーよ」
「なにそれ……なんかキモい」
僕はもう一度、深くため息をつく。
安堵と、呆れのため息を。




