251.ホームルームまでのちょっとの時間
「朝から散々だったな……まだちょっと吐き気が……」
「胃の中が空っぽな気分だ……だからと言って何かを食う気にもなれん……リシアお姉ちゃん、頭を撫でてくれ」
「え、あ、うん……」
ティアラちゃんの魔法に頼り、その不作用でとんでもない事になった僕たちは、とりあえず体調が落ち着いたので学校に来ていた。
クティラと交互に共に何回も吐いたのに、まだ喉と胸の辺りが気持ち悪くて、頭が若干フラつく。最悪の状態だ。
ティアラちゃんに頼んで男に戻してもらうのは最終手段にしよう。なるべく使わないようにしないと。
「……はぁ」
一向に治らない体調にため息をつきながら、僕は時計を一瞥し時間を確認。まだ八時をほんの少し過ぎただけ。担任が来るまでまだ余裕がある。
だかと言って何かをする気にはならないし、何もする予定はないけど。
「どうしたの? 顔色悪いじゃん……愛作ちゃん♡」
「へ……っ!?」
突然、聞き覚えのある声で聞き馴染みのない呼ばれ方をした。僕はそれに情けなくても驚いて、思わず全身をビクつかせてしまう。
声のした方、声が聞こえてきた方向。後方へ僕は急いで振り返る。そこにいたのは──
「あは……っ♡ 驚きすぎじゃない愛作くん……ふふっ」
「咲畑さん……!」
背後にいたのは、後ろで手を組みながら、ニコニコと微笑みながらもどこかニヤニヤとした笑みを浮かべている咲畑さんだった。
「安心してよ……ちゃんと誰にも言う気はないからさっ。秘密だもんね……♡」
咲畑さんはゆっくりと、左の人差し指を自分の口元に添え、内緒のポーズをする。
しーっと小さく鳴る彼女の吐く息。僕はその音を聞いて何故かドキッとしてしまい、思わず咲畑さんから顔を背ける。
「ぷ……丸出しじゃん流石にさ。まあ、いいけどっ」
咲畑さんの笑う声笑い声。笑われて当然だ、訳のわからない反応をしてしまったんだし。
いや、咲畑さんは僕の反応の理由を僕以上にわかっているからこそ、笑ってしまっているのかもしれない。彼女、僕とは比べ物にならないほど異性とコミュニケーションを取ってきただろうし。
「ね、ね……愛作くんっ♡」
「ッ!?」
と。甘くとろけるような声色で僕の名を呼び、咲畑さんはいつのまにか僕の隣に立ち、肩を中指でトントンっと叩いてきた。
情けなくも僕はそれに驚き全身でビクついてしまう。そんな僕の反応が面白かったからなのか、咲畑さんは口元に右手を添えながら、ケラケラと笑っている。
「あはは……ねえねえ愛作くん、今日のお昼暇だよね? 私、この前と同じ場所で待ってるから……来てね」
それだけ言うと、咲畑さんはニコニコ微笑みながら、僕に向け手を振りながら、去っていった。
彼女が離れると同時に、僕は思わずため息をついてしまう。リシアほど長く関わっていない女の子とのコミュニケーションはとても疲れるからだ。緊張して、緊張しすぎて、変に身構えてしまって、上手くやり取りができない。
そんな自分の不甲斐なさとやるせなさとダメさと恥ずかしさとどうしようもなさに、僕はもう一度、ため息をついてしまった。
「じーっ」
「……じー」
「……ん?」
誰かの視線を感じる。一人ではなく二人の視線。かなりの目力、それと聞こえてきたじーという発音。
「……えっと」
視線を感じた方へ向くと、そこにいたのはなんとなく予想できてはいたが、リシアとクティラだった。
クティラは物珍しそうに、リシアはほんの少し睨みつけるように、二人とも僕を効果音付きでじーっと見つめている。
「……エイジのバカっ」
「え!?」
「だそうだ……うむ、リシアお姉ちゃんの言う通りだな」
「へ!?」
リシアの呟き、それを肯定するクティラの言葉に僕は思わず、声を上げ驚いてしまう。
もしかして咲畑さんに翻弄されている時、リシアは僕に話しかけていた? それを聞いてもらえなくて、無視されて、それで怒っているとか?
兎にも角にも僕が何かリシアの気に障ることをしてしまったのは確かだ。だって彼女、明らか不機嫌だし。
「えっと……その……ごめんなさいリシア……」
ので。僕はとりあえずリシアに謝った。怒られている理由も不満を抱かれた理由もわからないが、とにかく気持ちを込めて、僕はリシアに謝罪した。
「……別にいいけど……むすっ……」
するとリシアは、プイッと顔を背けながらも、僕の謝罪を受け入れてくれた。だが、許しは得られていない感じ。
(……どうしよ)
ホームルームの始まりを告げる鐘の音が教室に響くと同時に、僕は周りの生徒たちとは違う意味のため息を小さく、誰にも聞こえないように吐いた。




