25.色々一段落
「ん……ふわぁ……あふぅ」
「お、起きたかリシア」
リシアが倒れてから数時間、情けない声を出しながらリシアがゆっくりと目を開けた。
彼女は目を細めながら、擦りながら、あくびをしながら、ゆっくりと起き上がる。
キョロキョロと辺りを見回してから、僕に気づいたのか、じっと僕を見つめてくる。
次の瞬間、彼女は顔を真っ赤にしながら俯いた。
多分、恐らく、自分が倒れた理由を思い出したのだろう。
僕もそれに気づいて、つい俯いてしまった。けれどすぐに顔を上げて、リシアをしっかりと見る。
「とりあえず……落ち着いたか? 落ち着いてるか? リシア」
「……うぅ……なんでキスなんてしたのエイジ……?」
目をうるうるとさせながら、上目遣いて僕を見ながら言うリシア。
彼女の言葉で僕は、彼女の柔らかい唇を思い出し、たまらず俯いてしまった。
頬が熱い。ダメだ抑えられない。羞恥心と罪悪感に襲われる。
「エイジがキスをしたのはリシアお姉ちゃんを落ち着かせるためだ。暴走にも程があったからな……」
と、僕の肩に乗っていたクティラがぴょんと膝の上に飛び降りながらそう言った。
「ヴァンパイア……!」
顔を真っ赤にしながら、リシアがクティラを睨みながら怒るように唸る。
今にも襲いかかってきそうな雰囲気。けれど意外にもリシアは動こうとはしない。
「ふふふ……私を殺そうとするのはやめた方がいいぞリシアお姉ちゃん」
「リシアお姉ちゃんって呼ばないで……! それで呼んでいいのサラちゃんだけだもん……」
プルプルと小刻みに震え始めるリシア。恐らくクティラに対して怒りの感情を沸かせているのだろう。
なんで煽るように喋るんだあのバカ吸血鬼は。
「もしも私を殺したら、エイジも死んでしまうからな。それはリシアお姉ちゃんも望んでいないだろう?」
「……え……なんでエイジも……?」
クティラの言葉を聞いたリシアは瞬時に表情を変え、首を傾げながらそう呟く。
それを見たクティラは満足そうにドヤ顔をしながら、自信ありげに人差し指を立てて話を続ける。
「私とエイジは今一心同体だからな。私の死はエイジの死、エイジの死は私の死だ。一心同体なのだから当然のことだ」
「……じゃあその一心同体状態解いてよ」
拳を握りしめ、もう片方の手でクティラをゆっくりと指差すリシア。
そんなリシアを見てクティラは呆れたようにため息をつき、話を続ける。
「ダメだな。契約を途中で切ったら私とエイジは爆発して死ぬ」
「……じゃあ解かなくていい」
「え、爆発するとか初耳なんだけど?」
「ん? 言ってなかったか? まあ契約を切る気なんて無いんだから気にする必要ないだろう」
こんなしれっと新情報、もとい新設定を明かすなと僕は叫びたくなった。
あまりにも僕の知らない情報が多すぎる。巻き込まれている身なのに吸血鬼とヴァンパイアハンターの立ち位置すらよく知らないし、僕は。
「どうするリシアお姉ちゃん? これでもまだ私を襲うか……? ヴァンパイアハンター?」
何故か煽るように語るクティラ。多分、リシアがもう襲ってこないと確信しているからだろう。
僕だってそう思っている。僕だってそう信じたい。リシアが、僕が死ぬとわかっていてクティラを襲うとは思いたくない。
それをしたら、リシアは僕を殺すと決めたも同義なのだから。
「……襲わないよ。襲えないよ。私がエイジを殺すわけ……できるわけないんだから」
残念そうに、ガッカリしたように、項垂れながらそう呟くリシア。
そんな彼女に、僕は気になっている事を聞くことにした。
「なあリシア……いつからお前、ヴァンパイアハンターだったんだ?」
「……やっぱり気になる? あはは……エイジには隠しておきたかったんだけど……しょうがないよね」
ゆっくりとソファーから立ち上がるリシア。少し歩いて、僕のすぐ隣にやってくると再びソファーに座り込んだ。
すぐ近くで、すぐ隣で、じっと僕を見つめてくるリシア。
目が、顔が。先刻触れ合った唇がとても近い。
数時間前のキスを思い出し、僕の心臓が早鐘を打ち始めた。
「私がヴァンパイアハンターになったのは小学生の頃だよ……」
「嘘だろ? 全然そんな雰囲気なかったじゃん……」
「ん……隠してたからね。隠すよ……当たり前じゃん……」
小学生の頃からリシアは吸血鬼と戦っていたというのか? だからあんなに強いのか?
リシアは一体、どれだけの吸血鬼を倒してきたのだろう。
僕の脳裏に、血まみれのリシアが思い浮かぶ。そんな姿思い浮かべたくないのに、見たくないのに、脳裏から離れない。
クティラを知っているからこそ、余計に嫌悪感を感じる。リシアが吸血鬼を殺したことがあるんじゃないかという疑惑に。
僕の知っている吸血鬼は今のところクティラだけだ。僕の知っているクティラは、確かにめちゃくちゃをしでかすし、トラブルメイカー寄りの性格だけど殺されるほど悪い奴じゃないし悪いこともしていない。
僕は、クティラしか見ていない事もあって、吸血鬼が悪い存在には感じられない。もしかしたらクティラが特殊なだけで、吸血鬼は基本人に害を為す恐ろしい存在なのかもしれないけれど──
それでも、それでも嫌なんだ。リシアが吸血鬼を殺したことがあるかもっていう疑惑が。
僕はそれを聞いてみることにした。意を決して、勇気を出して、リシアの目を見て僕は言う。
「リシアはさ……今まで吸血鬼を……その……殺したことがあるの……?」
じっと見つめる。リシアの目を見つめる。
「……ううん。殺したことなんてないよ」
すると、彼女はいつもの優しい笑顔で僕を見つめながら、NOと答えてくれた。
それが嘘か本当かはわからない。けれど、僕はリシアが嘘をついているようには見えなかった。
そう思い込みたいだけかもしれない。だけど、それでもリシアの言葉を信じたかった。
「実を言うと戦ったのも今日が初めてなんだ……あはは……経験不足だから倒せなかったのかも……それで良かったけど……エイジが死んじゃうところだったから……」
少し照れくさそうに、そっぽを向きながら髪の毛をいじりながらリシアは言う。
僕は思わずクティラを見た。すると彼女は僕の意に気づいてくれたのか、軽く頷く。
「リシアお姉ちゃんの言ってることは本当だろうな。確かに実力は高かったが、経験は乏しく感じた……それ故に私たちは一瞬の隙を見てキスすることに成功したのだ」
「……そっか。なんか安心したよ」
僕は安堵のため息をつく。上手く言い表せないけれど、言葉にできないけれど、良かったと安心できた。
少し、軽く、小さく深呼吸をしてから。僕はリシアを見ながら、次の質問をすることにした。
「リシアはさ……なんでヴァンパイアハンターになったの?」
「え……っとね」
僕が質問をすると、困ったような顔をしてリシアが俯く。
「……エイジを守るためだよ」
それから 小さな声でぶつぶつと何かを言ってから、再び僕の方を向いた。
すると何故か彼女は、自分の人差し指を僕の口に当てて、軽く唇を塞いできた。
「私のことばっかりじゃなくて……ちゃんと聞かせてほしいな。エイジがなんで吸血鬼と一緒なのかを……」
「それは……」
さっき説明したんだけどな、と思い言葉が詰まる。
もしかして暴走状態に入っていたからちゃんと聞いていなかったのだろうか。どこから説明するべきなんだろう。
「私に任せておけエイジ! 心して聞けリシアお姉ちゃん!」
「だからお姉ちゃんって呼ばないでよヴァンパイア……」
僕の膝の上で腕を組みながらドヤ顔をするクティラを、リシアが睨みつける。
「つまり……かくかくしかじかというわけだ!」
「またそれかお前は!」
「あうっ!? な、なんで叩いたんだエイジ!」
僕は思わずクティラの頭を軽く叩いてしまった。
かくかくしかじかは数時間前僕が失敗したばかりだろうが。何を考えているんだこのバカ吸血鬼は。
「ふーん……そういう事なら仕方ないのかも。エイジって優しいね……」
すると、何故か腑に落ちたかのように納得する声をリシアが出していた。
「今ので伝わったのか!?」
「え……? うん…‥だって端的で的確で正確で、とてもわかりやすい説明だったよ?」
「なんで僕だけ上手くいかないんだよ!? 意味わかんねえ!」
「エイジ……大丈夫?」
「エイジ……大丈夫か?」
憐れむような、可哀想な人を見るような目で僕を見てくるクティラとリシア。
僕は怒りに任せて髪を掻きむしり、大きくため息をつく。
ダメだ、落ち着け僕。落ち着くんだ僕。かくかくしかじかについて深く考えちゃダメだ。
多分クティラの持つ特殊能力が使われているんだろう。でもサラの時も上手くいっていたような──
──そのうち僕は、考えるのをやめた。
「ふぅ……なんでもない、なんでもないよ。安心してくれ、安心するんだ二人とも……僕は大丈夫だ」
「ならいいけど……」
「全く。リシアお姉ちゃんも酷いが、エイジも中々情緒不安定だな」
「うるせえよ」
心配そうな顔をしながら見てくる二人を説得して、僕はもう一度ため息をつく。
「お兄ちゃ……あ! リシアお姉ちゃん起きたの!?」
と、突然サラが現れて、ソファーに向かって早歩きで向かってきた。
そして勢いよくリシアに飛び込み、サラは彼女に抱きつく。
「リシアお姉ちゃん大丈夫!? 大丈夫!? 大丈夫!? もう変じゃないよね!?」
「あ……うん……心配させてごめんねサラちゃん」
優しく微笑みながら、涙目のサラの頭を優しく撫でるリシア。
いつものリシアだ。彼女たちのスキンシップを見て、僕は少し感動してしまった。
「あ、そうだリシアお姉ちゃん。今日どうする? もう結構時間遅いけど……」
と、サラがリシアから少し離れ、時計を指差しながらそう言った。
僕とリシアとクティラはサラの言葉に反応し、三人ほぼ同時に時計を見る。
時計が示している時間は午後十時半。確かに、かなり遅い時間だ。
「……本当だ」
リシアがポツリと呟く。送っていった方がいいかな。
「せっかくだから泊まっていけば? リシアお姉ちゃん」
と、サラがとんでもない提案をしてきた。
学校帰りにそのまま家に来ているのに泊まらせてどうするんだこのバカ妹は。しかも明日学校あるし。
「……うん、そうしようかな。ちょっとお父さんとお母さんに電話してくるね」
「え……マジで泊まんの?」
サラの提案をあっさりと飲み、リシアがスマホを片手に立ち上がる。
そして、ゆっくりと歩きながら廊下に出ていった。
「はぁ……リシアお姉ちゃん元に戻ったみたいでよかったぁ……」
リシアの姿が見えなくなると同時に、彼女の座っていた場所に力無さげに座り込むサラ。
そして何故か僕に体を預け倒れ込んできた。肩に可愛らしく頭を乗せながら、サラが上目遣いで僕を見てくる。
「……ごめんねお兄ちゃん。私が余計な事しなかったらクティラちゃんのこともバレなかったし、リシアお姉ちゃんも暴走しなかったのに……」
申し訳なさそうに、ほんの少し泣きそうな顔でサラは言う。
僕はそんな彼女の頭を優しく撫でた。
「気にするなよ。サラが悪いわけじゃない……どっちかと言うとクティラが悪い」
「ちょ……!? エイジ……!?」
「……あは、ありがとうお兄ちゃん」
涙を指で拭って、ニコッと笑うサラ。
とりあえずこれで一件落着。でいいのかな。
(……リシア電話長いな。どうやって言い訳するんだろ)
*
暗い廊下、ほんの少し寒い廊下。
その奥で、行き止まりで、私はスマホを耳に当てていた。
電話だ。電話をしている。あの人に──
「もしもし。初めての仕事はどうだ? 電話をしてきたと言うことは、それなりの成果を得られたという事だよな?」
「……えと」
「ドゥーダイはともかく、斧使いのバンギグスすら負けた相手……だが、リシアちゃんなら倒せると俺は信じている」
「……あ、ありがとうございます」
「それで倒せたのかな……次期東のヴァンパイア女王は」
低く、渋く、それでも微かな優しさを感じる声。
この声を聞くと私は安心する。していた。
今は出来ない。安心なんて出来るはずもない。
私はこの人に、あの人に初めて嘘をつくんだから──
「……その、名前なんでしたっけ? その子の名前……」
「……名前? 名前は確か、クティラ・ウェイト・ギルマン・マーシュ・エリオット・スマス・イン・ヤラ・イププトだったかな」
(……やっぱりあの子で合ってるんだ)
「名前の確認をする意味があるのか……?」
「えと……名乗ってきたので、ドヤ顔で」
嘘はついてない。まだ、嘘はついていない。
けれどドキドキする。心臓が高鳴るのが止まない。
この人に嘘をつけるのかな、騙せるのかな。不安でいっぱいだ。
エイジにぎゅっとしてもらいたい。そんなの無理だし、別の意味でドキドキするからしないでいいけど。
「それで……何か報告はあるのか?」
「はい……その……」
息が少し乱れてきた。ダメだ、なんとか抑えなきゃ。
あの人は、それくらいの違和感すぐに感じてしまう。
「倒しました……そのクティラって子……綺麗な銀髪で赤い目をした女の子……ちゃんと倒しました」
「……なるほど。よく頑張った。上には俺から報告しておく」
ふう、と私は一息つく。
どうやら上手く騙せたらしい。少し心が痛い。罪悪感が私をゆっくりと襲ってきている。
「リシアちゃん……これからもエイジの事、よろしくな」
「……えと、はい」
「それじゃあ」
と、あの人が言うと電話がすぐに切れた。
私は壁に背を預け、ゆっくりと倒れ座り込む。
はあ、と大きなため息。
緊張した。ドキドキした。怖かった。
上手く誤魔化せたのか、騙せたのか。正直わからないけれど、とりあえず変に疑われていないとは思う。
私のこの報告きっかけに、しばらくヴァンパイアハンターたちはこの街にやって来ないだろうし、とりあえず一安心。
「……エイジは私が守ってあげるからね。絶対、絶対守るから……ずっと守るから……どんな人からも守るから……どんなヴァンパイアからも……」
ポケットの中に入っているお守りをぎゅっと抱きしめながら、私は決意を小さく呟いた。




