242.出せて当然の一歩が上手く踏み出せず、ただその場で佇みまくる
「……落ち着け僕……たかが外に出るだけ廊下に出るだけリビングに向かうだけ……何を緊張している何を考えている……いつも通り当たり前のように至極単純に……!」
午後五時半ごろ。電気の消えた部屋。その部屋の扉のドアノブに手をかけ、僕は一人ぶつぶつ呟いていた。
この扉を開ける勇気が出ない。もしもこの先にサラが居たらと考えると、動きが止まってしまう。
けれどいつまでも部屋に引き篭もるわけにはいかないし、リシアにも心配をかけたくないし。出なければいけない、そう、出てリビングに向かわなければならない。
いつも通りに過ごすため、特に何も起きなかったかのように演じるため。いつもしているように、リビングに居なければならない。
「……よしっ」
深呼吸を一、二、三回した後。僕はドアノブを掴む手に力を入れ、ゆっくりと扉を開きながら、廊下へと一歩踏み出した。
「……あっ」
直後。誰かが廊下を歩いていたのか。部屋を出ようとする僕を見て小さく呟く。
その声の主が誰かを確かめるため、僕は瞬時に声のした方へ向──
「お……お兄ちゃ……」
「……サラ」
そこには顔を真っ赤にしたサラが、全身をプルプルとさせながら立っていた。
彼女は絞り出すように僕の名前を呟こうとし、直後顔を俯かせ、パタパタと足音を立てながら早歩きでその場を去り、勢いよく扉を閉め自分の部屋へと戻ってしまった。
バタンと大きく鳴る扉を閉める音。それが聞こえた直後、僕は無意識に一歩後退り部屋に戻り、サラ同様勢いよく扉を閉めてしまう。
(ッッッッバカ! そうじゃないだろこうじゃないだろ違うだろ……! クソ……!)
扉に背をもたれさせ、髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにしながら、ゆっくりと地面へと腰を下ろしながら、僕は自らを罵倒する。
サラと会った、目が合ってしまったその瞬間。僕は言うべきだった話しかけるべきだった接するべきだった。例えサラが嫌がっても恥ずかしがっても、僕だけはいつも通り彼女の兄として動くべきだった。
あれじゃ、あの態度じゃ、サラに伝えてしまったようなものだ。僕が彼女との関係に気まずさを感じているって。
もしもサラが僕との接し方に困っていたのだとしたら、僕はサラの仮定を確定にしてしまったかもしれない。自分だけじゃなくて、相手も気まずさを感じているって。
「……クソ……完全にミスった……より気まずく……より接しづらく……クソが……」
自分の情けなさと、運の無さと、不甲斐なさと、ダメさにイライラしてくる。ムカムカしてくる。
いつもこうだ。いつもこんな感じだ。肝腎要の時に自分から動けず、それでヘラって、より状況を悪化させがち。
「……とりあえず……リビングには行かないとだよな……」
額の辺りを右手で握りながら、僕は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
それと同時に左手を地面に置きながら、気力のない全身を無理やり立ち上がらせ、ため息をつきながらドアノブに手をかける。
今度は意を決さず覚悟を決めず、慎重にそれを捻り扉をゆっくりと開けた。
先のように同時に一歩は踏み出さず、半身が出せるほど開けてから、僕は顔だけを外に出し辺りを見回した。
いない。誰もいない。何も聞こえない。気配はしない。安心できない。けれど行くしかない。
隣の部屋にいるサラに聞こえないように音を立てないように、僕はゆっくりと扉を全開。その後ようやく一歩廊下に踏み出し、サラがまたやってこないうちに僕は、真っ直ぐにリビングへと向かった。
(恥ずかしいけど……リシアに頼るしかない……こう言う時一番頼れるのはリシアだ……彼女なら僕とサラの関係もよくわかってるだろうし……うぅ……情けな……)
*
「……はぁ……はぁ……! び……びっくりしたぁ……お兄ちゃん出てくるんだもん……はあぁ……もぅ……」
息を切らしながら、乱しながら、整えながら。私は小さくため息をつき、ベッドへと向かってぴょんっと、倒れ込むように飛び込んだ。
近くにあったぬいぐるみを抱きしめて、お気に入りの抱き枕に抱きついて、ふにゃふにゃした気持ち抱えたまま、私はぎゅっと力を込めて目を瞑る。
(心臓がうるさい……ドキドキが止まらない……ずっとずっとずっと胸が痛い……幸せなトキメキ……だけど痛いドキマギ……ちょっと辛い……すごく苦しい……)
涙が流れた感覚。私はそれを感じたと同時に、目を瞑りながら人差し指で両目を拭った。
(お兄ちゃん……顔真っ赤だった……)
私は、一瞬前に見たお兄ちゃんの顔を改めて思い返してみる。
目を見開いていて、びっくりしていて、顔が真っ赤で、私のことをじっと見ていて、口が半開きで、右頬に一滴冷や汗が垂れていて──
(あんなお兄ちゃん……私……見せられた事ない……。お兄ちゃんのあの表情……照れと驚きが入り混じってそれを無意識に隠そうとしているけど全然出来ていないビックリフェイス……リシアお姉ちゃん以外にも向けるんだ……出すんだ……見せちゃうんだ……)
あまり向けられたくない表情だったけど、私は少しだけ、それを向けられて嬉しくなってしまっていた。
だって、なんだか、リシアお姉ちゃんと同じ立ち位置に立てた気がするから。お兄ちゃんが私を、ほんの少しだけでも、私をいつもよりも強く意識してくれているから。
(でも……やっぱりお兄ちゃんもそうなんだ……)
嬉しい気持ちと寂しい気持ちと悲しい気持ちが複雑に、私の心を乱していく。
今までお兄ちゃんが見せなかった顔。それが見れてしまったってことは、昨日までのただの仲良し兄妹とは違う関係になってしまったことを改めて思い知らされたから。
「……はぁ」
小さくため息。何度も何度目かのため息。ひたすらため息。更にため息。もう一回ため息。もう一度ため息。おまけにため息。
(私もうわかんないよ……。どうやってお兄ちゃんと話せばいいの……なんでこんなに悩むの……私たちそんなに変なことしたっけ……好きって言い合って血を吸い合って抱き合って……ぅ……結構恥ずかしいことしてる……。でもでもエッチなことしたわけじゃないし……一線を超えちゃったわけでもないのに……なのにどうしてなんで……。うぅ……また頭痛くなってきた……似合わない複雑思考……らしくない繊細傷心のせい……? 好きな人のことを想って傷ついちゃうだなんて、想うほど痛みを感じるだなんて意味わかんない……意味わかんないよ本当に……)
少し起き上がって、体育座りをして、私は太ももに顔を押し付ける。
お兄ちゃんの顔を思い浮かべて、お兄ちゃんの声を思い出して、お兄ちゃんのことを考えて──
「……夜ご飯の時間になったらリビングに行こ……お兄ちゃんもきっと来るだろうし……その時自然に不自然なく接すればきっと……なんやかんやで……その……一緒に居られるはず……」
そう、都合の良い妄想を想像し理想を抱え幻想を抱き空想にふけ私は、小さくため息をついた。




