206.逃げ出せればいいのにね。向き合うしかないなんてさ……
「エイジくん……少しいいかな?」
「ん……? うん」
ソファーに座りながら、僕が一人でスマホをいじっていると、ケイがどこか申し訳なさそうな声色で話しかけてきた。
僕はすぐにそれに反応し、いじっていたスマホを瞬時にポケットに入れ、視線をケイへと向ける。
改めてケイを見ると、ケイは普段よりも可愛い雰囲気が増していた。髪型が変わっているからだろうか。三つ編みのような髪型、なんで名前の髪型なんだろう。
「えへへ……隣座るね」
照れくさそうに、実際照れているのか頬をほんの少し赤く染めながら、ケイはハニカミながら僕の隣に座る。
それと同時に、ふわっといい香りが漂ってきた。ケイの匂いだろうか、花のようないい香りだ。花には詳しくないから、具体的にどんな花の香りに似ているのかはわからないが。
「……あのねエイジくん。私ね、改めて聞きたくて……」
両手をパンっと小さく音を鳴らしながら合わせて、ケイは上目遣いをするように僕を見つめる。
じっと。じっとじっと。ケイは僕を見つめながら何も話さない聞かない。流れるはしばしの沈黙、きっとケイにとって言い出しづらい相談なのだろう。気長に待とう。
「……エイジくん。ほら、私って……エイジくんと同じ半パイアでしょ?」
「うん」
「だからね……なんとなくわかるんだ。その人が人間か、ヴァンパイアか」
「……そうなんだ。経験が浅いからなのかな……僕はわからないよ」
話しかけてきた時の可愛らしい照れようから一転して、ケイは真面目な雰囲気で話を続ける。
「……言いづらいんだけど。エイジくんの妹さん、サラちゃんも……もしかして半パイアになったの?」
「……へ?」
ケイの問いに、その言葉に。僕はうまく反応を返す事ができず、返事をする事ができなかった。
頭の中がごちゃっとなったというか。聞いた言葉をうまく把握できなくなるほど、驚いたというか。兎にも角にも、冷静に処理ができていない。
「……エイジくん、もしかして知らない?」
「……いや」
数分ほど経って。ようやく落ち着いた僕の脳は、ケイの問いを把握し理解し処理して答えを出していた。
よくよく考えてみればそうだ。サラは確か、ティアラちゃんと契約を結んでいたんだ。僕とクティラが結んだ契約と同じ契約を。
僕は思わずサラを一瞥する。ぱっと見は普段と変わらない普通の妹。だが確かに、うまく言語化こそできないものの、以前よりも雰囲気が変わったと感じる。
「あのねエイジくん……改めて言わなくてもわかっているとは思うんだけどね……そのね……」
と。ケイは僕に話しかけつつも、ゆっくりと顔を逸らしていく。
言いたくないことを言わなければならない。その苦しみ、辛さ、覚悟から逃げ出すように。
「……きっとサラちゃん、苦しむ時が来ると思う。私たちと同じように……血を吸わなきゃ行けない衝動に」
「……っ!」
わかってはいた。サラが半パイアになっていると気付いてから察してはいた。だが、改めて言葉で発せられ伝えられると、驚きと戸惑いを感じてしまう。
あの衝動、あの苦しみ、あの辛さ。アレをサラに、サラは、これから感じなければならないのか。そう思うと、自分の体験してきたあの苦しみと、ケイのとても辛そうな顔を思い出してしまい、胸がきゅっと冷たく締め付けられる。
「私はね……幼い頃から吸ってきたから、吸ってきてしまったから、今はもうある程度の妥協はできている……エイジくんが吸わせてくれるっていうのもあって……。だけどね、それでもね、罪悪感はすごいの……。あくまで半パイア、割り切ることなんてできないから……」
「……そう、だよな」
「だからねエイジくん……私の時のように、サラちゃんの事、ちゃんと考えてあげてね……。血を吸わせて酷い罪悪感に苛まされる代わりに苦しみから一時だけ逃れられる満足感を与えるか。それとも、自分が抱くはずのない邪な欲求を内から感じて、本当の自分らしき何かに確立された己が侵されていく苦しみで悶え、それでも必死に自分を保とうと足掻く姿に共に向き合うか……。選ぶのはきっと、エイジくんだと思う」
小さくも力強い声色で、ケイは僕にしっかりと伝わるように、こちらの目を見て、僕の手を握りながら、そう言った。
じっと見つめてくるケイ。僕はそんなケイを見つめ返し、力強く頷く。
「……わかってる。これでも僕はアイツの兄貴だから……出来る限りの事はするさ」
「……うん、よろしくね。私のためにも……」
「……ケイの、ため?」
「へ? あ、ううん……言い間違い、聞かなかったことにして? 聞き逃して?」
「……ケイがそう言うなら、わかったよ」
ぎゅっと手を握るケイ。僕はそんなケイの手を握り返し、その直後に視線をサラへと移す。
(……出来るかなちゃんと。デートの時のように失敗しないように……頼りになる兄貴を、僕はできるんだろうか……)
楽しげにリシアとイチャつくサラを見ながら、僕はゆっくりと、固唾を飲んだ。




