2.縦糸タイム
暗い夜道。人通りの少ない路地。
コンビニ袋を片手に、肩にクティラを乗せながら、僕は歩いていた。
「それにしても……少し涼しくなってきたな」
何となく、僕はそう呟く。すると、クティラが頬をツンツン突いてきた。
「露出度が増えたからじゃないか?」
「へ……?」
クティラに言われ、僕は自分の服装を確かめる。
肩が全部出ていてる。通りで寒いわけだ。
服も布一枚の薄い黒色のドレスに変わっている。足もかなり出ているし、胸元もほんの少しだけ見えている。
チラッと見えたのは下着。自分が着けているものにも関わらず、僕は瞬時にそれから目を逸らした。
「……百歩譲って女体化したのはいいとして、何で服装まで変わるんだよ」
「知りたいか? 私とエイジは契約を交わしキスを交わし一心同体となっただろう? それはつまり、私はエイジであり、エイジは私なのだ」
「……つまり?」
「私の服装がお前に反映されたという事だな。ほら、私が今着ているものにそっくりだろう?」
ゆっくりと立ち上がり、くるくると回って自分の着ているワンピースをアピールするクティラ。見比べてみると、確かに似ているかも。
「……何で僕の性別じゃなくて、僕の服装じゃなくて、クティラのだけが反映されてるんだ?」
僕は思い浮かんだ疑問を率直にクティラに聞いた。すると彼女は、顎を人差し指いじり始めた。悩んでいるアピールだ。
「……それ、今説明する必要あるか?」
「説明できないなら別にいいよ……」
多分、クティラも全部は理解できていないんだろうな。と、心の中でため息をつく。
なので、僕は質問を変えた。
「なあ……結局僕は今どういう状況なんだ? 何が起きてどうなってるんだ? クティラは……何者なんだ?」
僕がそう聞くと、嫌そうな顔をしながらクティラは俯いた。
「……説明めんどくさい」
と、ボソッとクティラは呟く。
ちゃんと説明しろよ。僕は心の中で怒号をあげる。
すると、クティラは少し怯えたような顔をしながら、ため息をついた。
「わかったわかった……まあ、説明しないわけにはいかないものな。面倒くさいな……」
ちょこん、と再び僕の肩に座り込むクティラ。
じっと僕の目を見つめながら、彼女は話を始めた。
「まずお前の状況だが先ほど言った通り私との契約により、私と一心同体の状態にある。つまり、人間とヴァンパイアが融合した半ヴァンパイア、略して半パイアと言う生物にお前はなっている。半端な半パイアだ。半パイアとは、未成人のヴァンパイアと童貞、もしくは処女である人間が契約を結ぶことによって生まれる特異な存在。自然に生まれることは無い、不自然な存在だ。普通の人間よりは圧倒的に優れている身体能力と特殊能力を持つが、成人したヴァンパイアほどではない。そも、二人の体と魂を融合させることに何の意味があるのか。半パイアとは具体的にはどういう生き物なのか。それを今から説明しよう。まず二人の魂と体を融合させる意義だが──」
「長いから三行でまとめてくれ」
ベラベラと早口で喋るクティラの口を塞ぎながら、僕はそう言った。
「……かぷ」
「あいたっ」
噛まれた。甘噛みだったから痛くはなかったが。
「何で噛むんだよ……」
「何となくだ。しかし三行か……うーむ……」
両方の人差し指で自分のこめかみを押さえながら、クティラはうんうん唸り始める。
耳元で唸るから少しうるさい。
「……お前は半パイアだ」
「うん」
「私と関わったせいでこれからもヴァンパイアハンターに襲われるだろう」
「うん……ん!?」
「頑張れ! いや、頑張るぞ! 二人で!」
「……マジかよ」
巻き込まれ事故だ。完全に巻き込まれ事故だ。
クティラと関わったから、あの変質者のような人たちにこれからも襲われる? 冗談じゃない。
身体も女の子になってしまったし、やばい奴らに命を狙われるらしいし、もしかして僕の人生は詰んでいるんじゃないか?
ため息をつきたくなるが、それを吐く気力すら失せた。
「何で僕を選んだんだよ……」
彼女を睨みつけながら僕は問う。
突然現れたクティラ。不思議な力を持つ彼女が僕に話しかけ、契約を持ちかけてきたからには、何かしら特別な理由があるはず。
「どうして僕を選んだんだ? クティラ……」
少し、カッコいい声を出しながらもう一度、彼女に問う。
すると、何故かクティラはきょとんとした顔をしながら、首を傾げた。
「別に選んだわけじゃないぞ……私の逃げる先にたまたま居たから話しかけたのだ。そして童貞だったから契約した。それだけだ」
「……僕の血筋が実はすごいとか、潜在能力が優れているとかは?」
「……無いけど?」
さらに首を傾げるクティラ。最悪だ、正真正銘の巻き込まれ事故だった。
漫画とかアニメだったら実は僕が凄い人間だって判明して、それなりに凄い力を持っている設定なのに。それを目の前の彼女に軽く否定された。
僕はただの一般童貞で、なんか居たから選ばれただけの人間なんだ。
なんか、凄い嫌な気分になる。あまり物の気持ちがわかった気がする。
「そう落ち込むな! エイジが童貞だったから私は助かったんだ! 偉いぞ!」
「そうかよ……」
はあ、とようやくため息が出た。もうこれ以上深く考えない方がいいと思う、僕のアイデンティティについては。
「……で、お前は一体何者なんだよクティラ」
「……あ、まだ説明パートなのか? 面倒くさいなあ……」
顔の前に垂れかかる髪をいじりながら、クティラはため息をついた。
それから、ゆっくりと立ち上がり、己の胸に手を当てながら口を開いた。
「私は誇り高きヴァンパイアだ! ヴァンパイアとは、闇夜を統べる暗闇と暗黒の支配者、わかりやすく言うならば人間の間で浸透している吸血鬼のようなものだ。魔法を使えたり特殊能力を使えたりするぞ。無論、好物は人間の血だ。人間と似たような食事もするがな。ちなみに、私たちヴァンパイアが知恵を持ち行動するようになったのはかの有名な歴史学者、アカシク・レコド先生曰く──」
「だから長いんだって説明が。三行で言え三行で」
「もごもごもごもごもごもごもごもごもご」
「……唾がかかるだろうが」
「もご!?」
口を塞いでもなお、喋り続けるクティラの頭を、僕は軽く叩く。
すると、彼女は不満そうな顔をしながら、必死に僕の手を引き剥がした。
「三行三行って……まとめるの難しいんだぞ!」
「じゃあ頑張ってまとめてくれ」
「頑張れって……むううぅぅ」
再び、頭を人差し指で押さえながら唸り始めるクティラ。
数十秒後、何かを思いついたかのように、クティラは笑顔を浮かべた。
「では行くぞ! 私はヴァンパイアだ!」
「うん」
「ヴァンパイアは魔法とか特殊能力を使えて人間と同じ食べ物食べて時折人の血を吸う!」
「うん」
「えっと……えと……凄いだろ!」
「そうか」
とりあえず、クティラがヴァンパイアだと言うことはわかった。
僕はあまりそういう化け物とか妖怪に詳しいわけではないが、流石に吸血鬼はわかる。
あんまり吸血鬼と関わっている感じはしなけど。血も吸われないしコウモリに化けるところも見てないし、クティラには翼とか生えていないし。
「……あ」
そんなこんなでくだらない事を話していると、いつの間にか自宅の前に着いていた。
「ほう……これがエイジの家か。なかなか立派な一軒家じゃないか。親御さんに感謝だな」
「ん……そうだな」
さて、どうしようか。両親は二人とも海外出張でいないからいいとして、問題は妹だ。
妹に見つからないように何とか家に入って、僕の部屋に辿り着かなければならない。なんて難しいミッション。
「お前にもいるのか? 妹が」
「ん? ああ……まあね」
「両親が不在で妹と二人っきりって……エイジ、よくそれで童貞でいられたな」
「お前はラノベの読み過ぎだ」
バカなクティラは放っておいて──
「バカ!? 今私のことバカって言ったな!?」
「ちょっと静かにしててくれ……マジで」
とりあえずバカなクティラは──
「またバカって言ったな!? おいコラエイジ!」
「だー! わかったわかった! もう思わないから静かにしてろ!」
うるさいバカを──
「またむぐぅ!?」
「……正直僕が悪いんだろうけど、頼むから静かにしててくれ」
クティラの口を手で塞いで、僕は口元に指を当てシーとジェスチャー。
「あむあむあむあむあむあむあむあむ!」
甘噛みをしてクティラが抵抗してくる。ガチ噛みをしないのが彼女の良いところかもしれない。
それよりも本当にどうしようか。そもそも僕が外に出ていたのは妹とのジャンケンに負けてアイスを買いに行かされていたから。
つまり、妹は僕の帰りを待ち侘びている。正確にはアイスだが、とりあえず僕の帰りを待ち侘びている。
こっそり帰っていた、ひっそり帰っていた。それでは済ませられない状況。
「あむむむむもごごごむむあむむごもごもごも?」
「なんて?」
僕の手を噛みながらクティラが何かを喋った。
とりあえず僕は手を離してみる。すると、クティラはすーっと一息吸ってから喋り始めた。
「知らないと思うが、このままだと私たちは家に入れないぞ?」
「は? 何でだよ」
「ヴァンパイアは住人に招かれなければ侵入することもままならないのだ。エイジ一人だったら簡単に入れたが、今エイジは私と一心同体だろう? エイジは私、私はエイジなのだ」
「……つまり?」
「私はこの家に一度も招かれたことがない。故に入ることはできない。それはエイジ、お前も同じなのだ」
「マジか……」
初めて知った。吸血鬼にそんな設定があっただなんて。
住人に招かれなければいけないのならば、妹と顔を合わせなければいけない。彼女が見たことのない、女の子の僕を見せなければいけない。
それはなんとか避けたい。現状女の子から戻る方法が全くわからないから、部屋でゆっくり考えたかったのに、そこに行くことすら出来ないとは。
「待てよ……」
その時、僕は思いついた。閃いた。
「僕が僕を招き入れれば、住人である僕が部外者のクティラを招き入れたことになるんじゃないか?
「……パードン?」
自信満々に言った僕を、何言ってんだコイツという顔で見ながら首を傾げるクティラ。
僕も自分で言っていてよくわからなくなってるが、なんとかまとめる。
「つまり、僕はエイジでクティラなんだろ? だからこの家の住人である僕が、この家の部外者でもある僕を招き入れれば、家に入れるはずなんだよ」
「……うむわかった!」
ドヤ顔で頷くクティラ。多分、よくわかっていない。
「とりあえず行くぞ……えっと、ようこそお越しくださいました……?」
僕はドアノブに手をかけながら、そう呟く。
その後、一回お辞儀をして──
「お招きいただきありがとうございます……っと」
そう呟いて、それと同時にドアノブを引いた。
玄関の扉は無抵抗に開く。恐る恐る一歩、踏み込む。
「む……入れたぞエイジ」
「よっしゃ……!」
そのまま抜き足差し足忍び足をしながら、ゆっくりと玄関の扉を閉めながら、靴を脱──
「コラ! お兄ちゃん! いくら何でも遅すぎない!? 私心配してたんだから……ね……?」
後ろから聞こえてきた怒号と疑問符。僕は恐る恐る、ゆっくりと振り向く。
そこには、パジャマ姿の妹が立っていた。
お風呂から出たてなのか、全身からほんの少し湯気が出ていて、頬がちょっぴりだけ赤く染まっている。
ご丁寧に結ばれた髪はポニーテール。高い位置でまとめられている。
妹は、ゆっくりと首を傾げる。
「えと……誰?」
「……あと」
僕は言葉が詰まり、何も言えなくなってしまった。