175.ずっと一緒に居たい
「……えっと……その……あの……ごめんなさいお姉ちゃん……私……暴れちゃって……迷惑かけちゃって……あの……ごめんなさい……」
「そんなに気にするな……一番悪いのは私なのだからな……」
と。私が頭を下げて謝ると、お姉ちゃんはそれを否定して、自身を戒めた。
私はそれを聞いてびっくりして、驚いて、思わず顔を上げてしまう。
「え……!? 違うよお姉ちゃん……! お姉ちゃんは何も……!」
「……だが原因は私の態度だろう? 隠し事だろう? そして……ついて傷つけた嘘だろう? それが事実それが真実……問答は不要だ無意味だ」
「……お姉ちゃん」
お姉ちゃんは変わらず私を見ずに、天井から窓へと視線を変えながら言った。
その後の数秒間、私たちの間に沈黙が流れた。私もお姉ちゃんも動かず喋らず話しかけず、ただその場に佇んでいるだけの、まるで時が止まったかのように静かな時間が、私の心を蝕んでいく。
(……進めない……話しかけられない……お姉ちゃんが……お姉ちゃんと一緒にいるのがどうしてか……すごく怖い……)
私は左腕を握る、掴む。ぎゅっと、爪が食い込むほどに、そこから血が垂れてしまうほどに、強く握りしめる。
「……来ないのかティアラ。私の元に、私の居るベッドの上に」
と。お姉ちゃんはこちらを向かずに、静かにそう呟いた。
問いかけているようで命令している。ベッドの上においでと、お姉ちゃんの元まで来なさいと、お姉ちゃんは私に指示をしている。
私は、一度だけ唇を強く噛み締め、すぐに離してから一歩歩き出した。
下に落ちているものを絶対に踏まないように、足音が聴かれてしまわないように、少しでも目的地までの距離を遠くするように、私はゆっくりと静かに遅く歩きは続ける。
「……んっ」
ベッドの元へと辿り着いた。ので、私はゆっくりとまず右足を上げ、それをベッドの上に乗せる。それとほぼ同時に左足を上げ、そのまま全身をベッドの上へと置いた。
お姉ちゃんに決して触れないように。だけど出来るだけ近づけるように。私は細かに動き居場所を調整し、決めた箇所で体育座りをする。
チラリとお姉ちゃんを一瞥。すぐ近くにいるのに、離れている距離は一センチにも満たないのに、お姉ちゃんは変わらず私から視線を逸らしている。
見てくれない。必死に目力を込めても、太ももを動かしてベッドを揺らしても、お姉ちゃんは私を見てくれない。
目尻が熱くなっていくのを感じる。心の内が、胸の辺りが、ヒヤッと冷たくなっていく感覚。全身が常に鳥肌が立った瞬間かのように、嫌な寒気を感じる。
「……お姉ちゃん、やっぱり、私のこと嫌いなの……?」
と。私は思わずお姉ちゃんに聞いてしまった。一番聞きたいことを、一番聞きたくない質問を。
一度声に出してしまった言葉は戻せない、無かったことに出来ない。お姉ちゃんは確かに聞いたはずだ、私の質問を、呟きを。
心臓の鼓動が速くなっていく。ほんの少しだけれど、息が乱れていく。どう言い表せばいいのかわからない恐怖感が、私の全身を駆け抜けていく。
「……何度も言っただろう? ティアラ……私はお前のことが好きだ、と」
「……うん……うん……!」
私は、私を見てくれないお姉ちゃんのその言葉を聞いて、嬉しくなった。
だってわかったから、わかってしまうから。お姉ちゃんが嘘をついているか否か、そして、先の言葉は嘘偽りない本音だと言うことも。
胸がポカポカし始める。口角が上がってニヤけてしまっているのがわかる。嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる。嫌なドキドキも、素敵なドキドキへと変わっていく。
「あのねお姉ちゃん……あの……あのね……大嫌いとか言っちゃったけどね……嘘……だよ……? 私ね……お姉ちゃんのこと大好きだよ……ちゃんと大好き。ずっと一緒にいたいくらい大好き……大人になっても一緒に暮らしたいほど大好き……死が二人を別つまで……ううん……死んじゃっても離れたくないほど大好きだよ……。本当だよ? 本当に……本当に私はお姉ちゃんが大好きなの……だからね……あのね……大嫌いって言っちゃったのはね……あの……」
「……うむ。それくらい、私にもわかっているぞ」
と。私が俯きながら必死に弁明をしていると、お姉ちゃんが私の頭の上に優しく、ポンっと手のひらを置いた。
そのままお姉ちゃんはそれを右左と動かして、私の頭を撫で始める。あの日あの時まで毎日感じていた、とても柔らかくて暖かくて優しくて気持ちのいいお姉ちゃんの撫で撫でが今、私の頭の上で行われている。
「お姉ちゃん……!」
私は嬉しくなって、とても嬉しくなって、すっごく嬉しくなって。思わず顔を上げながらお姉ちゃんの名前を呼んで、彼女の顔を見る。
けれど、私の期待に反してお姉ちゃんはまだ、未だ私から視線を逸らしていた。
視線を感じる気がする。けれど顔は向いていない。そっぽを向いたまま、それでも私を優しく撫でてくれている。
(……やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだ……だけど……あの時の……あの頃のお姉ちゃんとは……やっぱり違う……)
変わらないお姉ちゃんの手のひら。それでも感じる、私に与えてくれる想いの違い。言葉にせずとも、なんとなくわかるしなんとなく察せる。
「……ねえお姉ちゃん」
私はお姉ちゃんの名を呼んで問いかけて、一拍置いて固唾を飲んで、お姉ちゃんの横顔を見ながら改めて問う。
「お姉ちゃん……なんで……私から離れちゃったの……?」
「……離れてなどいない。家を出るまでは……一緒に居たではないか」
「身体の話じゃないよ……いる場所でもない……気持ちのお話。お姉ちゃん、話してくれるって言ったよね……そう言ってくれたからには私、絶対に聞き出すからね……覚悟も決めてるんだから……」
拳をぎゅっと握って、私はお姉ちゃんを睨みつけるように見つめる。
絶対に目を離さないように、二度と私の視界から消えないように、逃さないように、私自身逃げられないように。じっとお姉ちゃんを見つめ続ける。
すると、お姉ちゃんはゆっくりと顔を動かして──
「……確かにそうだな。私は、私の気持ちを悟られないよう、ティアラから逃れようと……誤魔化していた」
と。そう呟きながらお姉ちゃんは、ようやく私を見てくれた。
どこか悲しそうな目をしているお姉ちゃん。私ではなく、自分自身を憐れむかのような目でお姉ちゃんは私を見つめ続ける。
本当はそんな目で私を見つめて欲しくない。もっと優しい目で、温もりの宿った目で、私を癒すかのような目で、私を見つめて欲しい。
けれど今は、今だけは。お姉ちゃんが見つめてくれているという事実が、その行動が、行為が、とても嬉しいから。好意的でなくとも私は、その向けられた視線に喜びを感じていた。
「ティアラ……私はな、お前のことが好きだ、大好きだ。世界中の誰よりも……とは言い過ぎかもしれんが、そうではないかと思えるほどに私は、お前を愛している。だがそれと同時に、恐怖も抱いているのだ……」
「恐……怖……?」
私は思わず首を傾げながら、お姉ちゃんの言葉を返す。
するとお姉ちゃんは一瞬だけ私から目を逸らし、頭を撫でると同時にそれを戻した。
「私は……ティアラに嫉妬しているのだ。その才能に、魅力に、素晴らしさに。賞賛しつつも私の能力を遥かに超える事実に私は……劣等感を覚えたのだ」
「……私に……私の方が……?」
「羨ましいよ……今でもな。その気持ちを私はティアラに知られたくなかったのだ……慕っている姉が自身に嫌悪感を抱いていると知れたら、ティアラは悲しむだろう? そうさせたくなかった……抱かせたくなかった……それ故、ティアラの求める理想の姉を演じつつ、偽りの自分を見せ、隠し通してきたのだ……変わってしまった私をな」
「……お姉ちゃん!」
お姉ちゃんの言葉を聞いて、悲しみに溢れた告白を聞いて、私は思わず名前を叫びながら彼女に抱きついてしまった。
「ティア……ラ……!?」
お姉ちゃんが驚いた様子で、声色で私の名前を呼ぶ。それを聞くと同時に私はお姉ちゃんを抱きしめる力を強め、息を大きく吸い──
「そんなことで私……お姉ちゃんの事嫌いにならないよ! 酷い……酷いよお姉ちゃん! そんなことで私を避けていたの!? 私の気持ちを勝手に想像して! 勝手に守っている気持ちになって! 私を傷つけていたの……!? 酷い……ズルいよ……けどね……だけどね……でもやっぱり……変わったって言ってもね……お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだって私、今しっかりとわかったよ……?」
「……否。私は……変わったぞ……ティアラの求める理想の姉ではなく──」
「理想とかそんなんじゃない! 私が好きなのは……お姉ちゃんなの! お姉ちゃんが大好きなの! 私のことを想ってくれて……私のことを考えてくれて……私に優しい自慢のお姉ちゃん……そんなお姉ちゃんが私は好きなの! あのねお姉ちゃん、お姉ちゃんは全く変わってないよ? お姉ちゃんは何も変わってない……お姉ちゃんが自分は変わったって言っても私認めない……! だって……だって結果私を傷つけていたとしても……その行動原理は確かに私を想ってくれていて! 私のことを考えてくれていて! 私に優しいからこそ抱いた気持ちなんだもん……!」
「しかしだな……それでも私は──」
「もうやめて!」
私は、また自分を戒めようとするお姉ちゃんの言葉を叫び声で遮り、顔を上げお姉ちゃんの目の前にそれを置き、じっと彼女を見つめた。
じっと、じっと、じっと。ずっと、ずっと、ずっと。本気で見つめ続ける。
「……お願いお姉ちゃん。どんな気持ちを秘めていてもいいよ……どんな気持ちを抱いていてもいいよ……だからね……私のことを想ってくれるんだったらね……一緒に居て? ちゃんと私と……一緒に居てよ……」
私はお姉ちゃんの肩を掴みながら、俯きながら、少しだけ出てきそうな鼻水を啜りながら、お姉ちゃんに吐露する。
私の伝えたい気持ち、たった一つの気持ち、わかって欲しい気持ち。お姉ちゃんと、大好きなお姉ちゃんとずっと一緒に居たいと言う気持ちを。
「……ティアラ」
するとお姉ちゃんは、また私の名前を呼びながら優しく、私の頭を撫でてくれた。
それに反応して私は思わず顔を上げてしまう。すると見えたお姉ちゃんの表情は──
「……すまなかったな。お姉ちゃんが悪かったよ……」
「お姉ちゃん……!」
私の大好きな、優しくて暖かみを感じるお姉ちゃんの笑顔だった。




