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174.重い扉

「……どうしよ」

 エイジお兄ちゃんの部屋の前で、私はドアノブに手を添えながら、小さく呟いた。

 この扉の先にはお姉ちゃんがいる。私を誘ったお姉ちゃんが中で待っている。そう思うと、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちと、それから恐怖が私を満たしていく。

 この部屋に入ったら、私はお姉ちゃんと会話をしなくてはいけない。きっと本音で、多分本音で、恐らく本音で。

「……ううぅ」

 私はドアノブからそっと手を離し、その場でとても小さな声で、思わず唸ってしまった。

 思い出すのは数刻前のお姉ちゃんとの会話。久しぶりに出会ったからか、感情が凄く昂っちゃって、出さないように必死に我慢していた内に秘めた気持ちを晒してしまったあの会話。お姉ちゃんにきっと、嫌われてしまった会話。

 お姉ちゃんは言っていた。真実を話す、本音で話す、隠し事はもうしないって。私はそれを望んでいた、望んでいたけれど、望んでいなかった。

 脳裏に浮かぶのは嫌な想像。私の思いつく限りのネガティブな想像。お姉ちゃんが私を避ける理由、きっと心を痛めることになる理由、泣いちゃうかもしれない理由。

 それを私は聞かなければいけない。この部屋に入ったら、知らなくてはいけない。自ら望んでいたことなのに、いざ知れると思うと、やっぱり怖い。

 手が震え始める。掴みたくないよ、動きたくないよ、これ以上進みたくないよ、と。私の気持ちを代弁するかのように震え始める。

(でもここで立ち止まっていたら……佇んでいたら……動かなかったら……きっと、何も変わらないよね)

 私は固唾を飲んで、自分のほっぺを両方ともペチンっと叩いて、気合を入れる。

 よし開けよう、よし入ろう、よし話そう。頭でそう思う。心の中でそう決心する。

──それでも私の手は、足は、動かない。

(お姉ちゃんが待ってるのに……お姉ちゃんが待ってるのに……!)

 私は右手で左手を掴み、震えを止めようと試みる。だけど止まらない。だって、両方とも震えているんだから。

「お姉ちゃん……」

 大好きなお姉ちゃんの名前を呟きながら、私はゆっくりとその場に座り込んだ。

 力が出ない。勇気が出ない。決められない。動けない。どうしようもない。

──怖い。

 ただただ怖い。知りたくて知りたくてしょうがなかったお姉ちゃんの気持ちを知るのが、すごく怖い。

 聞かなければ可能性のままでいられる。一見お姉ちゃんはこんな態度を取っているけれど実は、と言い訳ができる。

 だけど聞いてしまった、知ってしまったら、理解したら、わかってしまったのならば。それはもう、二度と出来なくなってしまう。

 私はわかる。お姉ちゃんが嘘をついているかどうかがわかる。だから余計に知りたくない。

 お姉ちゃんは私にあの時言った。もう隠し事は無しだ、と。その言葉は紛うことなく真実だった。

 だから、これから聞かなきゃいけないお姉ちゃんの話は全て真実だ。お姉ちゃんが抱えていた私に対する気持ちの吐露は、何もかもが事実だ。

(……やだ……聞きたくない……)

 腕だけではなく、全身までもが震え始める。私はそんな身体を、同じように震える両腕で抱きしめる。

 呼吸が乱れる。頭が段々と痛くなってくる。ほんの少し吐き気がする。言葉を考えずに叫びたくなる。その場で全身を使って暴れたくなる。心臓が痛くなってくる。どうしようもないくらい泣きたくなる。今すぐこの場から逃げ出したくなる。胸の当たりがとても冷たくなる。逆に全身が火照り始める。もう何もかも終わらせたくなる。

 どうしても行かなきゃダメなのかな。今からでも無かったことに出来ないかな。本当は夢だったりしないかな。逃げ出したりしちゃダメなのかな。

 巡る。巡る。巡る。私の脳内を嫌な想像が巡り続ける。

 己の心が痛むことを予測しての予行練習。気にしていないと事実を虚実へと変えようと嘘をつき始める心情。全て投げ出して終わらせようとする自傷行為。最低最悪を考え、わかってもいないのにそれよりはマシだろうと思い込む脳髄。

「……お姉ちゃん」

 私は苦しい気持ちから逃れようと、助けて欲しいと、そう乞う気持ちを込めながら、お姉ちゃんの名を呟いた。

 お姉ちゃんから逃げ出したいのに、それでも私は、お姉ちゃんに助けを求めてしまった。

 優しい真実を聞かせて。都合のいい事実を言って。安心できるような真相を答えて。そして私の心を解放して。そう願い始める。

 そうだ、そうだよ。お姉ちゃんは私のことが大好きなんだから、きっと私を避けていたのには、私のことを思っての行動なんだ、と。脳裏に浮かぶネガティブな妄想を掻き消すように塗りつぶすように、私は私のための理想のお姉ちゃんを思い浮かべ始める。

 頭を優しく撫でてくれるお姉ちゃん。私を甘やかしてくれるお姉ちゃん。ぎゅっと力強くも心地よく抱きしめてくれるお姉ちゃん。好きだよと私にキスをしてくれるお姉ちゃん。

 必死に。必死に必死に必死に必死に必死に必死に必死に必死に必死にあの頃のお姉ちゃんを、あの時のお姉ちゃんを、きっとそうであっただろうお姉ちゃんを思い浮かべる。

 大好きなお姉ちゃんを思い浮かべる。優しい声色で私の名前を呼ぶお姉ちゃんを、微笑みながら私の隣に寝転ぶお姉ちゃんを、手を握って握り返して一緒にお散歩をしてくれるお姉ちゃんを。

「あは……きっとそうに違いないよね……そうだよお姉ちゃんだもん……クティラお姉ちゃんだもん……違いない間違いないじゃないわけがない……!」

 声に出して、私は私自身に言い聞かせる。

 この扉の向こうに待っているのは優しいお姉ちゃんだって、この扉の先にいるのは優しいお姉ちゃんだって、この扉を開けて出逢えるのは私の大好きなお姉ちゃんだって。

 そう思い込んでも、そう思いこんでいるのに。確信すら得られているのに、自信を持ってそうだと言えるのに。それでも、それでもそれでもそれでも──

──私は立ち上がれなかった。

 心臓の鼓動がとても早くなり始める。ドキンドキンと、太鼓を叩くようにドラムを叩くようにまるで誰かに無理矢理動かされているかのように。とてつもなく速くなっていく。

 苦しい。息苦しい。胸が苦しい。何もしていないのに、運動なんてしていないのに、動いてすらいないのに、座り込んで休んでいるのに。段々と息が切れていく、呼吸が乱れていく。

(また大嫌いなんて言っちゃったらどうしよう……! お姉ちゃんの言葉にカッとなって変な事言っちゃったらどうしよう……! 心にも思っていないことを……ううん……思ってはいても知られたくないことを……! やだ……絶対いやだ……可能性があるのが凄く嫌だ……)

 腕が痛み始める。左腕が、左腕からピリピリと痛みを感じる。

 私は、その痛みを感じる場所を見てみた。そこに突き立てられていたのは私の爪、私の右手の爪。

 意識せずとも立てていた、立ててしまっていた。何故かはわからない、けれど、左腕を強く握りしめ食い込ませていた。

(……なんかよくわかんないけど……ちょっと落ち着いたかも……かも……うん……落ち着いたかも……)

 私はゆっくりと右手を左腕から離し、小さくため息をつく。

 そして、両手を床についてから、ゆっくりと立ち上がった。

 立ち上がり終えると同時に、私はまた、ため息をつく。はぁ、と。ふぅ、と。二度、ため息をつく。

(……こんな事してても何も変わらない……お姉ちゃんだって……私に隠し事をしてたのに……きっと、私に絶対に知られたくない事なのに……それを教えてくれると言ってくれたんだ。私が、それを望んだ私が今更怖がってお姉ちゃんに迷惑をかけるなんて……ダメだよね……ズルいよね……その方が私……嫌かも……)

 私は一度ほっぺをペチンと叩いて、固唾をゴクリと飲んで、ドアノブをゆっくりとひねる。

 そのまま扉を押し、開き、部屋に一歩踏み込むと──

「……来たか、ティアラ。待っていたぞ」

 ベッドの上に座っていたお姉ちゃんが、私を一瞥もせずに、天井を見上げながらそう呟いた。

「……来たよ、お姉ちゃん。待たせてごめんなさい……」

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