132.素直になれたなら
「ふぅ……部活、今日も大変だったなぁ」
人の少ない廊下で私、若井アムルは一人で小さくため息をついた。
もうすぐ校門が閉められるからか、校内に残っている生徒は少ない。居ても、その人たちは私と違って真っ直ぐに昇降口へと向かっている。
私はというと、咲と一緒に帰るために自分のクラスの教室に向かっていた。
正直、毎日毎日部活の帰りに教室に行くのは面倒だと思ってる。先生に会ったら何してる? ってよく聞かれるし。
咲が私を迎えに来てくれたらそのまま帰れて楽なのに。でも彼女曰く、迎えに行く女より迎えに来てもらう女で居たいらしい。だから、仕方なく毎回私が迎えに行ってる。
と、そんなことを考えていたら、いつの間にか教室の前に着いていた。私は一度ため息をついてから、扉をガラリとわざとらしく大きく音を立てながら開く。
「咲ー?」
友達の、親友の名前を呼びながら私は教室に足を踏み入れる。
黒板から見て一番後ろの席、その左端に、私の友達である咲畑咲は座っていた。
どこか黄昏た様子で、頬杖をつきながら彼女は、窓をじっと見ていた。
綺麗な夕焼けの日差しが、咲の可愛くて綺麗な横顔を優しく照らしている。
いつもと様子が違う。いつもだったら、私が名前を呼んだらすぐに反応して、おちょくるように手を振って私の名前を呼んでくるのに。
「……咲?」
もう一度名前を呼んでみる。けれど反応しない。
聞こえていないのか無視してるのか、どっちなんだろう。
私は仕方なく、その場でため息をついてから彼女の元へと向かった。
聞こえるように反応するように気になるように、私はあえて足音を大きく鳴らしながら彼女の元へと向かっていく。
それでも咲は反応しない。私を一瞥もしない。
数秒後。私は咲の元へと辿り着いた。すぐ近くにいるのに、すぐ隣にいるのに、彼女は私に気づいていない様子。
「……ね、咲っ」
私は彼女の名前を呼びながら、肩をポンっと優しく、左手で叩いた。
すると咲は一度全身をビクッとさせてから、私の方へ振り向いた。
私の顔を驚いた顔で見る咲。直後、彼女はいつものように笑みを浮かべ──
「アム……居たんだ、来てたんだ。ごめんね……ちょっとボケーっとしてて全然気づかなかった……♡」
と。咲に似つかわしくない、どこか優しい声色で彼女は言った。
「……何かあったの?」
私は咲が座る席の隣の椅子を引き寄せ、座りながら彼女に問う。
その直後、私は一瞬だけ時計を見て時間を確認。大丈夫、校門が閉まるまでまだ時間がある。
「何かあったって……アム、どうしてそう思ったの?」
「……なんとなく」
「あは……っ♡ 何それ」
変わらず頬杖をつきながら、咲は私を見ているようで、どこか違う場所を見ながら言った。
明らかに様子が変だ。でも悪い意味じゃなくて、良い意味で。
「なんか嬉しいことでもあったんでしょ……顔に出てるもん、咲の顔に」
「へ……? そ、そうかな……」
私が少し煽るように言うと、咲は少し頬を赤く染めながら、両手で両頬を挟んだ。
なんか、可愛い女の子みたいな仕草をしてる。いつものようにわざとらしいあざとさを感じない、ごく自然な動作でその仕草をしている。
「もしかして……愛作くんをちゃんと襲えた、とか?」
「へ……あ、うん! そうそう! 凄かったよ……彼。初めてとは思えないくらい上手で……私、何回もイッちゃった……♡」
ニコニコ笑いながら、人差し指をくるくると空で回しながら、得意げに咲は言う。
──バレバレの嘘を、彼女は言う。
「……で、本当は? 嘘なんでしょ、それ」
私は意識して呆れるように、ため息をつきながら彼女の問う。
すると咲は、とても驚いた様子で、目を見開きながら私を見て、固まってしまった。
見つめてくるので、私も見つめ返す。じっと、じーっと。
「な……なんで嘘だと思ったの? アム」
数秒後。振り絞るように彼女はそう言った。
そんな彼女に私は呆れて、思わずため息をつきそうになるが我慢をする。
「全く……私を誰だと思ってるの? 若井アムル、あなたの一番の友達だよ? わかるよ、嘘をついてるかついてないかぐらい」
「ア、アム……よくそんな恥ずかしい台詞言えるね……」
私が少し自慢げに言うと、咲は苦笑いをしながらそう言った。
確かにちょっとクサかったかも。
「でもさ咲、私の言った事合ってるんでしょ? だからそんなおどおどしてるんだよね?」
「うぇ……うん……まぁ……うん……そう。ごめんなさい、嘘つきました……」
私がビシッと指で差しながらそう言うと、咲はゆっくりと顔を背けながら、私の指摘を肯定する。
数秒後。咲は小さくため息をついて、私の方へと振り返った。
「……アム、今日はどうしたの? いつもはさ……なんとなく察してくれてあまり踏み込んでこないじゃん」
不満そうに、けれどどこか嬉しそうに、咲は言う。
確かに。無意識のうちに私は、いつもより咲に踏み込んでいる。彼女の心に足を踏み入れている。
なんでだろう。心当たりがあるとするなら──
「……なんか、変わった気がしたからかな。咲が」
「……私が、変わった?」
「うん……今日の朝と昼と違って、なんていうの……無理をしてないって言うか、自然のままな気がするの、今の咲は。どう言えばいいのかなぁ……なんか、やっと私に心を許してくれた、って感じがする」
「……へ? アム……今まで私がアムに心を許してないと思ってたの? 友達なのに?」
「んにゃ……そうは思ってないよ。違うなぁ……難しい……言語化が難しい……」
「……あはっ♡ なにそれ」
悩む私を見て、ニコリと咲が笑う。
ほら、やっぱり違う。今までの咲は私に対して笑みを浮かべる時はあったけれど、どこか遠慮しがちだった。
ハッキリとはわからないけど、何か心に重いものを抱えている感じだった。笑ってはいる、笑ってはいるのだけれど、心から笑えていると言う印象は受けなかった。
それが今の咲はどうだろう。いつものように目の奥がほんの少し濁ったりしていないし、口角も自然に上がってるし、何より声色が作った楽しげな声じゃない。
この気持ち、この感覚。どう言えばいいのかな? 上手い言葉が見つからない。
「……ねぇ、アム」
私が何も言えずにいると、咲が痺れを切らしたのか、ゆっくりと小さく優しい声色で私の名前を呼んだ。
私はそれに反応し、思わず首を傾げる。そんな私を見ながら、咲は話し始めた。
「私さ……もうちょっと、もうちょっとだけアムに素直になろうかな、って思ってるの。昼間アムが言った通り……私、ムリしてエッチな女の子演じてる時……あったからさ……そういうのはやめて……もっとアムとちゃんと友達になりたいなって……信頼し合える仲の良い友達に……」
「……咲?」
意外だった。咲が自ら自分の気持ちを伝えてくるなんて、多分初めてだ。
エッチをしたいとか、あの子狙ってるとか、そういうビッチ風に装って私に思っていることを伝えてきた事は何度か合ったけれど、それとは違う。
声色のせいなのか、表情のおかげなのか。咲の言葉には、一切の偽りを感じなかった。
「今までアムにイマイチ素直になれなかったのは……その……嫌われのが嫌だったから……私、アムのこと好きだし……」
「咲……」
「……嫌いにならないでくれる? 本当の私ってきっと……すごく面倒くさいよ?」
己を嘲るように、苦笑いをしながら咲は言う。
私はそんな、どこか悲しそうな雰囲気を纏う彼女の頭を、優しく撫でてあげた。
「面倒くさいのは今更だよ……咲。それにさ……今更私が咲を嫌うわけないじゃん? 友達なんだから」
「……ありがとアム。でも、面倒くさいのは今更って、ちょっと酷くない?」
「んー? 咲って面倒くさいよー? 私は嫌いじゃないけどね……」
「……アム、ちょっと意地悪になった?」
ムスッと頬を膨らませながら、私に撫でられながら、咲は上目遣いで私を見つつ不満げに言う。
私はそんな彼女が可愛く見えて、ちょっと面白く見えて、思わず吹き出してしまう。
それに反応してか倣ってか、咲も口元に手を当てながら、小さく吹き出した。
私たちはそのまま、お互いを見つめ合って、理由はよくわからないけれど、ただただ笑い合った。
静かな教室。二人っきりの教室。夕焼けに照らされた教室。そこに響く、私たちの笑い声。仲の良い二人の素直な笑い声。
そんな雰囲気に私は、どこか青春を感じた。
「おーいお前ら……楽しそうなのはいいが、そろそろ校門閉めるから帰る準備しろー」
と。扉が開くと同時に、見たことのない先生が教室を覗き込みながら、私たちに言ってきた。
私は、私と咲は、私たちは。そんな先生を見ながら愛想よく返事をする。
そして、二人同時に立ち上がり、二人同時に見つめ合う。
「帰ろっか……咲」
「うん……帰ろっ、アム」
私たちが一歩踏み出すと同時に、教室にチャイムの鐘が、キンコンカンコーンと鳴り響いた。




