130.上手く伝えられない気持ち
「あ……ごめんね。ムカついてついビンタしちゃった……」
虚な目で、僕の方を向きつつも視線は合わせずに、咲畑さんが頭を下げながら言う。
彼女は全身を気付かないほど小さく震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
僕の方は見ずに、彼女は移動を始める。そして、近くにあった椅子に手をかけそれを引き、その上に座る。
足を器用に動かし、柔らかい身体を巧みに使い、咲畑さんは椅子の上で体育座りをした。顔を己の両腕に埋め、何も言わずにただそのまま体育座りを保っている。
ぐすっと、彼女が鼻水を吸う音が室内に響いた。微かに、嗚咽も聞こえてくる。
僕はそんな咲畑さんに声をかけず、その場を移動して、彼女の隣に座る。
それに気づいた咲畑さんは顔を上げ、変わらず虚な目をしながら、視線を向けずに僕を見てきた。
「ほら……可愛い女の子が意気消沈して病んでるよ? 弱ってるよ? 今、優しい言葉をかければ簡単に堕ちちゃうんじゃないかな……そのまま身体を受け渡しちゃうかも……チャンスなんじゃない? 愛作くん……」
言葉の雰囲気は変わらなくても、それを発する声のトーンは、数分前と違って小さく弱々しい。
僕はそんな彼女に、そんな彼女が本当に求めている言葉が思いつかなくて、何も言えずにいる。
静かな時間が流れる。お互い何も言わず、目も合わせず、ただ一緒に居るだけの時間が。
窓を叩く風の音。時折廊下から聞こえてくる足音。楽しげな会話。そして、咲畑さんの鼻を吸う音。それらを聞きながら、僕たちはただただ、ここに居る。
何秒経っただろう。何分経ったのだろう。何時間も経っているかもしれない。雰囲気的に、気持ち的に、スマホも時計も見る気は起きない。
「……ねえ、愛作くん」
長い沈黙を破り、咲畑さんが僕の名前を呼んだ。
「……うん」
僕はそれに下手くそな返事を返す。下手な事を言って咲畑さんを不快にしたくないし、そも何を言えばいいのか未だに思いつかずにいたから。
「……本当にする気ないの? 本当に私としたくないの? 本当に私をえっちな目で見てないの? どうしてしたくないの? どうしてあんなに攻めたのに勃たないの? どうして……我慢してくれるの? 我慢してくれたの?」
ゆっくりと、ハッキリと。僕にしっかりと聞かせるように、一言一句丁寧に咲畑さんが言う。
答えは決まっている。それを言おうと口を動かした瞬間、途端に羞恥心が湧き上がってきて、僕は咲畑さんから顔を逸らしてしまった。
言わなきゃいけないのに。伝えなきゃいけないのに。どうしてか、僕の口は喉は動きを止める。
「……答えてよ。どうして?」
顔を背け何も言わない僕にイラついたのか、咲畑さんが服の袖を引っ張りながら言う。
それに反応して、それに準じて。僕は彼女の顔を見た。
相変わらず虚な目をしている彼女。全く僕に期待していない顔。興味もなさげな顔。とても不満げな顔。
求めている、僕の答えを。待っている、僕が答えるのを。
(そうだ……このままずっと黙っているわけにはいかない……伝えなくちゃ終わらない、変わらない……)
僕は彼女に聞こえないよう慎重に固唾を飲んで。意を決するためだけに拳を握って。小さく深呼吸をしてから、咲畑さんの顔を見て言った。
「……咲畑さんが、したくなさそうだったから。それだけだよ……僕がしたいしたくないじゃなくて、君がしたいかしたくないかで僕は……必死に我慢した」
「……私、したいよって散々アピールしたよね? 私がしたいから愛作くんを攻めていたんだよ……? それがどうして、したくないって認識になるの? それって全然意味がわからないよ……」
力なさげに言う咲畑さん。それとは反対に、僕の服の袖を掴む彼女の力は強くなっていく。
「どうして私が……本当は愛作くんとセックスをしたくないだなんてわかったの……答えてよ……早く答えてよ……! どうしてそう思ったのか……!」
「……なんとなく、かな」
「……は?」
呆れたような顔で、怒りを込めた瞳で、咲畑さんが僕を睨みつけてくる。
ぎゅっと。彼女の袖を掴む力が強くなっていく。力を入れすぎているのか、彼女の手はプルプルと激しく震え始めた。
「何それ……! 何それ何それ何それ……! ふざけてるの……!? なんとなくって何……!? はぁ……!?」
「……なんとなく、咲畑さんの目が似てたから。僕の友達の目に……」
「……似てた? 目が? 私の目が友達に? そう……言われても……愛作くんの友達とか知らないし……」
咲畑さんはそう呟いた後、ゆっくりと袖から手を離し、僕を睨みつけてきた。
「似てたって……どんな目に似てたの? 私は……愛作くんの友達の……どんな目に似ていたの? 答えてよ……似てただけじゃわからないから……」
目力の入った瞳で、咲畑さんは僕をじっと見つめながら問い詰めてくる。
少し元気が戻ってきたようだ。虚な目をしていた彼女は見ていてとても心配だったから、僕は少し安堵した。
それと同時に、僕は必死に脳を回転させる。確実に、的確に、僕が咲畑さんの瞳から感じた感情を上手く言語化しなければいけないから。
「その……上手く言えないんだけど……どこか悲しい目をしていたから……」
「……は? 何それ? 誰にでも言える言葉じゃん」
「えっと……なんて言うか……無理矢理自分はこういう人間なんだって、思い込んでいるような目をしていたんだ、僕を襲う時の咲畑さんは。そんな目が……自分の気持ちと乖離する本能に苦しむ僕の友人の目に似ていた。だから……咲畑さんは本当はしたくないんじゃ……無理してるんじゃないかって……僕は思ったんだ」
結局、上手く伝えることは出来なかった。
頭の中で考えている、考えていた言葉とは違う言葉。僕の抱えている気持ち、伝えたい気持ちをうまく伝えられなかった。そう自覚できる程に、僕が咲畑さんに投げかけた言葉は中途半端だ。
もっと伝えたい、言いたいことがあるのに。どうしてか、それを上手くハッキリと言葉にできない。
これが人間の、僕の限界かとも思う。クティラがケイに言った時のように、上手く出来ればいいのに。
それでも必死に伝えた。伝われと強く願いながら伝えた。だから、僕の気持ちと考えが少しでも咲畑さんに伝わっていれば、と、僕は願う。
「……愛作くん、カッコ悪いね」
「へ?」
「合ってるんだから……もう少し自信満々に言えばいいのに……」
小さな声で何かを呟きながら、咲畑さんは再び、自らの両腕に顔を埋める。
訪れる沈黙。その時間たったの数秒。先程と違い、咲畑さんはすぐに顔を上げ、彼女が作り出した沈黙を自ら破った。
じっと、咲畑さんは僕を見つめてくる。悲しげな顔で、けれどどこか嬉しそうな、だけど憂を帯びている顔で。うるうると濡れた瞳で僕を見つめてくる。
僕がそんな咲畑さんの瞳を見つめ返すと、彼女は誤魔化すように右腕で己の両目を拭い、僕から顔を背けた。
「……たまには、信じてみてもいいかな」
ポツリと。小さくも確かに僕に聞こえる程度の声量で、彼女は呟く。
そして、ほんの少しだけ笑みを浮かべながら、僕へ視線を戻した。
そして、咲畑さんは首を小さく傾げながら──
「ねえ愛作くん……私の話、聞いてくれる? 聞いて欲しい気分なの……愛作くんに」
と、僕に咲畑さんは問う。
彼女に問われたとほぼ同時に、僕は力強く頷いた。頷かないわけがなかった。
「……あはっ♡ ありがと……っ、愛作くん」




