129.絶対欲情飢餓哀楽
「あは……っ♡ 信じられないって顔だねぇ? でもほら見てこの翼……それから身体の所々に浮き出ているピンクの紋章模様……これをサキュバスと言わずに何をサキュバスと言うのかな♡」
自身の身体を見せつけるように、僕に優しく教えるように、彼女は白く綺麗な手のひらで己の体を順に撫でていく。
妖艶な笑み、憂いを帯びている笑み。その顔で、大きな瞳で、彼女は僕を見つめ続ける。
「じゃあ……貰うから、童貞♡」
咲畑さんが少し立ち上がり、着けている下着に指を添える。
その瞬間、ほんの一瞬自由になった僕はすぐに足を動かし彼女から離れ、立ち上がった。
そんな僕を、咲畑さんはきょとんとした顔で見つめている。
「何その体勢……前戯、したいの? 舐めろってアピールしてるの……? いいけどさ……♡」
親指と人差し指で輪っかを作り、自分の口元に添えながらそれを上下に動かしながら咲畑さんは言う。
僕はそれを聞いてすぐに首を振った。そうじゃない、そんなわけがない。それを求めて立ち上がったわけじゃない。
「いや……違う。違うよ咲畑さん、僕は──」
「ズボン膨らませて言う台詞じゃないよ……期待してるくせに……」
「……っ」
咲畑さんの言葉に僕は図星を突かれた気分になる。そうだ、確かに今の僕は立ちながら勃ってしまっている。
興奮して、膨張させて。そんな男が言っても説得力はないかもしれない。
だけど、僕は本当に咲畑さんとしたいと思って勃たせているわけではない。言い訳がましいけれど、誘惑されて艶やかに魅せられて本能で身体が反応してしまったが故に、だ。
本能と本心の乖離。深さは比べ物にならないだろうけど、咲畑さんが抱いている闇と恐らく似ているこの感情。上手く言語化できないのが少し辛い。
「ねぇ愛作くん……教えたよね? 私、サキュバスなんだよ? 男を見たら発情してセックスしたいよ〜ってなるのは当たり前なんだよ? 愛作くんってクソだけど優しい人間ではあるからさ……きっとどこかで私に遠慮しちゃって、変に中途半端に私を拒んでいるんだよね? 私とするのを拒んでいるんだよね?」
首を傾げながら、まるで世間話でもするかのように話す咲畑さん。
見た目と仕草と声色のギャップが激しい。それ故、変にドキドキとしてしまう。
(……そうか、僕がこんな風に中途半端にドキドキとしてしまうから、咲畑さんも……止められないんだ。僕としようと……襲い続けるんだ。僕が、僕がエッチな咲畑さんを少しでも求めてしまう限り……彼女の暴走は止まらない……のかも)
「大丈夫だって……中で出しても妊娠とかしないし。サキュバスと人間の間に子供とか出来ないからさ……好き勝手に何度も何回もやりたい放題だよ? それに私はさ……とりあえずセックスできればいいからさ……気持ちよくなれる〜とか上手い〜とかそんなの求めないからさ、とりあえずしようよ?」
「……咲畑さん」
僕は咲畑さんの名を呼ぶと同時に、拳を強く握る。
そしてその握った拳で、己の顔を殴打した。
「……は? な、なにしてんの?」
咲畑さんの困惑する声が聞こえる。それに僕は反応せず、続けて自分の顔を殴り続ける。
「もしかして童貞坊やには刺激が強すぎておかしくなった……? 攻めすぎた……?」
困惑した顔で、頭上にはてなマークを浮かべながら首を傾げる咲畑さん。
僕は殴り続ける。自分の顔を殴り続ける。途中で流石に痛くなってきたから、軽いビンタに変えたけど、それでも殴り続ける。
そして、自分の興奮が収まったことを確認し、僕は自分を殴るのをやめた。
痛い。頬がジリジリと、ピリピリとする。流石に少しやりすぎたかも。
「……あの、愛作くん? その……大丈夫?」
相変わらず困惑した顔で、首を傾げながら僕を見る咲畑さん。
僕はそんな彼女の顔を確認してから、ビシッとズボンの股間部分を指差し、咲畑さんの目を見て言った。
「……もう僕は勃ってないぞ、咲畑さん」
「……それ、カッコつけて言うセリフ?」
ごもっともなツッコミをされて、僕は恥ずかしくなった。
顔に、頬に、熱が帯びるのを感じる。頬に熱が帯びているのは叩きすぎたからかもだけど。
「てかさ……なに? もう一生勃起しないって言うならいいけどさ……ほら……♡」
ゆらゆらと、力無さげに立ち上がる咲畑さん。
彼女は頬を照れくさそうに少し赤く染めながら、上目遣いをしながら、右手を胸の辺りに、左手を秘部に添える。
「えっちでしょ……私の身体♡ 見えそうでしょ……色々と♡ ほらほら、勃っちゃえ勃っちゃえ……♡」
甘く惑わせるような艶やかな声色で僕を誘いながら、咲畑さんが両手を緩やかに動かし、見て欲しい箇所をアピールする。
僕は一瞬だけそれを見て、すぐに目を閉じた。そして考える。
僕の親友の、一ミリも興奮しない男の裸体を。
(そうだ見たくないぞこんなの萎えるぞこんなの僕は興奮していないしてなんかいないするわけがない親友のしかも男の裸を見たって何も嬉しくない寧ろ残念というかアイツには失礼だけど何の魅力も感じないと言うか普段の言動もあって逆に気持ち悪いと言うか──)
「目を閉じたって無駄だよ……人間って音だけでエロスを感じる性欲猿なんだからさ……♡」
「ッ!?」
ふぅ、と僕の耳元に息を吹きかけながら。咲畑さんが甘い声で囁いてきた。
耳の真ん中辺りがぞわぞわとする。くすぐったくて、透き通るような聞き心地のよい声が脳にまで届いて──
(違う違う違う違う違う違う違う違う! アイツの裸だ! それを思い浮かべろ! ほら僕思い浮かべろ! 萎えるだろアイツの裸なんて!)
「……んちゅっ……」
(ッッッ!? み、みみみ耳舐め……ッ!?)
突如、水音と共に僕の耳の穴をぬるぬるとしたものが塞いだ。
わかる、わかっている。どれだけ知識がない人でも何となく察せられる。僕は今、咲畑さんに耳を舐められている。
温かく、ぺちゃぺちゃと大きな音を立てて、まるでイヤホンを付けた時のように穴を塞いでくる咲畑さんの舌。
初めての感覚、気持ちのいい感覚。マズイ、負ける──
僕は急いで右手で左腕をつねった。自身に痛みを与え、それと同時に萎える妄想を始める。
(落ち着け僕……こんなのただの耳舐めじゃないか……目を閉じてるんだ……考えろ……想像しろ……親友のアイツがやっていると思え……おえっ……)
「……なんで?」
と、僕が変な想像をしてえずいたと同時に。咲畑さんが弱々しい声で言った、呟いた。
僕はそれに反応して目を開ける。すると咲畑さんは、彼女は僕を涙目でじっと見ていた。
「なんで勃たないの……ううん……なんで我慢するの……我慢してくれるの……意味わかんないんだけど……私を……私を否定しないでよ……っ」
プルプルと全身を震えさせながら、咲畑さんは静かにゆっくりと俯く。
そして、震えを止めようとするかのように両手で己を抱きしめ、彼女はその場に座り込んでしまった。
「……なんでよ愛作くん……もう諦めてよ……早く終わらせたいんだから……さぁ……」
今にも泣き出してしまいそうな声で、咲畑さんは振り絞るように呟く。
僕は、そんな彼女を見て僕は、その場にしゃがみ込んだ。
そして彼女と、咲畑さんと目を合わせて言う。
「うん……終わらせよう咲畑さん。もうこんな事はさ」
「……無理に決まってるじゃん」
咲畑さんはそう呟いた直後、目にも止まらぬ速さで僕の頬を手のひらで叩いた。




