1.闇夜を一人歩く童貞
暗い夜道、人通りの少ない路地。
コンビニ袋を片手に、僕は一人で歩いていた。
袋の中には二つのアイス。ソーダ味で有名な棒アイスと、なんかフルーツがたくさん入っていて高いやつ。
「ちゃんと徴収しないとな……」
誰に聞かせるでもなく一人呟く。それと同時に、思い浮かぶのは生意気な妹の顔。
じゃんけんに負けなければ、じゃんけんに負けさえしなければこんな面倒くさいことしなくて済んだのに。
「……ん?」
その時だった。後方から何やら叫ぶ声が聞こえてきた。
僕は思わず振り返る。だが、そこには誰もいない。
光力が弱い街灯が申し訳程度に地面を照らしているだけだった。
「気のせいかな……」
ため息をつきながら、僕は小さくつぶ──
「んむ……!?」
その時、何かが僕の顔に当たり、顔を覆ってきた。
柔らかい布のようなもの。嗅いだことのないほんの少し香ばしい匂いと、ほのかな温もりを感じる。
目の前に広がる光景は、薄紫色の縞縞模様。
もしかしてこれは、もしかしなくてもこれは──
(しまパン……か!?)
んなわけないだろうと僕は首を左右に振る。
意味がわからなすぎる。何もなくて、風も吹いていない夜道から突然しまパンが飛んでくるわけがない。
だがこれは、どう考えてもこれは──
「こら! 暴れるな!」
「へ!?」
その時、頭上から僕を叱る声が聞こえてきた。
それと同時に感じるのは、肩に掛かり頬に触れる柔らかい太ももと、頭に添えられた柔らかい手のひら。
まるで、女の子に乗っかられているような、そんな感触。
「よっと……!」
次の瞬間、強く僕の頭が押され、僕に乗っかっていた何かが地面に降り立つ。
そして目の前に現れたのは、僕よりも一回り小さい女の子。
辺りは暗闇にも関わらず、キラキラと輝く美しい銀髪のストレートヘア。あどけなさを感じるもののどこか大人びた顔はとても端正で、キリッとした表情をしている。
大きく真っ赤な瞳は宝石のように輝いていて、暗闇にも関わらずよく見えた。
着ている黒いワンピースのようなものをひらひら揺らしながら、少女はじっと僕を見つめる。
「答えろ少年……」
少女が口を開く。僕は思わず、固唾を飲んだ。
「お前は……」
やけに焦らす。なので僕は、もう一度固唾を飲む。
「……童貞か?」
「……は?」
今、彼女が変なことを言った気がする、多分、僕の聞き違いだ。
「童貞かと聞いているんだ!」
「ちょ……!」
聞き間違いじゃなかった。二回、二回も彼女は僕に聞いてきた。
思わず辺りを見回す。誰もいない。
少女を一瞥。じっと、こちらを見つめている。
この場合、僕はなんて答えるべきなのだろうか。
小さい女の子が覚えたての言葉を使って僕をバカにしているように聞こえたし、切羽詰まった様子で真面目に言ってるようにも聞こえた。
「もしかして知らないのか……パッと見高校生のように見えるのだが」
睨みつけるように。もしくは呆れるように僕を見つめてくる少女。
はあ、と彼女はため息をつくと、足取り重く僕の元へとやってくる。
「いいか少年。童貞というのは、女の子とエッチをしたことがない男の事を言うんだ。エッチと言うのはだな、お前の股間に付いている男性器を女性の──」
「せ、説明しなくてもわかってるよ!?」
突然何を言い出すんだこの子は。男性器とか、エッチとか。僕より一回り小さい女の子が言っていい言葉じゃない。
僕が急いで彼女の言葉を静止すると、不機嫌そうに僕を睨みつけてきた。
「知っているのなら何故答えない……!?」
「いや……だってさ……意味わかんないっていうか……」
彼女から顔を背けながら、僕はしどろもどろに答える。
だってどうすればいいのかわからないから。初対面の女の子に僕は童貞です、と言えるほど、僕は強いメンタルの持ち主じゃない。
「人間特有の変なプライドか……清い身なのだから誇ればいいもの……!」
小さな舌打ちが聞こえた。その直後、僕の顎に細い指がそっと触れる。
気づいた時には、銀髪の少女が目の前にいた。僕をじっと見つめながら、その細い指で顎を軽く持ち上げてくる。
「命がかかっているんだ……答えろ」
じっと、じっと僕を見つめながら、鋭い声で呟く少女。
その瞳に嘘はない。本気だ。
僕の返答次第で生きるか死ぬかが決まる。本能でそう察した。
「くっ……!」
叫びたくなる羞恥心を必死に抑え、ゆっくりと、僕は頷きながら答える。
「僕は……童貞だ……!」
「ふふん! ならばよし! 私と契約するぞ少年……!」
「は!? 契約って……!?」
僕がツッコもうとした瞬間、少女は僕の顎をより高く持ち上げた。
それと同時に、何故か彼女も空に浮かび始める。
じっと僕の瞳を見つめてくる少女。小さな口をゆっくりと動かし、何かを呟いている。
「ルグルウナフ……イラクラルク……メルケハルタ……ツヌニメフル……チネホムメカ……」
そして、彼女は己の顔をゆっくりと僕に近づけ、顎を両手で優しく支えて──
「んむっ!?」
僕にキスを、してきた。
彼女の舌が、小さくて柔らかくてぬめめとした舌が、一瞬歯茎に当たる。
その瞬間、少女から赤色と黒色のオーラのようなものが溢れ出た。
(な、なんだ……!?)
それはやがて、僕たちの全身を包み始める。
前が見えない。何も見えない。瞳が映す景色は真っ暗だ。
目を開けているのか開けていないのか、それすらもわからない。
全身に不思議な違和感を感じる。筋肉が膨張しているような、背が無理矢理伸ばされているような、そんな感覚。
「……ハッ!?」
目が開いた。というよりは視覚が戻った。
僕は思わず辺りを見回す。数秒前と何も変わらない、誰もいない路地。
「……あれ」
けれど、目の前にいた少女は消えていた。
その代わり、暗闇の奥から誰かが走って来るのが見えた。
「……ん?」
僕は思わず首を傾げる。やけにシルエットがデカいような。
「もう逃げられんぞお嬢ちゃああああんぅ……!?」
低く野太い声。暗闇から現れたのは、やけにゴツい男。
右手には大きな斧を持っていて、目玉が飛び出しそうになるほどに、目を見開いている。
一目で理解できた。こいつは間違いなく変態だ。
というよりは変質者。もっと言えば、危険人物。
「んん……なんか成長したかぁ? どうでもいいが……」
僕を睨みつけてくる変質者。とても怖い顔をしている。
(なんか……変だな)
普段の僕だったら。いや、普通の人間だったら、こんな大きな斧を持っていて顔がやばい人が突然現れたら恐怖感を抱きその場から逃げ出そうとするはずだ。
だけど感じない。恐怖を感じないし、全く怯えてない。
あまりにも怖すぎて、逆に何も感じなくなったのかな?
「答えは単純。私たちの方があの男よりも強いからだ。いつでもどうとでも出来る相手に何を怯える必要がある?」
すると、左隣から、先ほどまで目の前にいた少女の声が聞こえてきた。
声のした方へ顔を向けると、そこにいたのはやはり銀髪の少女。
だが、先ほどまでと違い、何故かかなり小さくなっていた。二頭身のゆるキャラみたいな頭身で、両手で軽く抱っこできるぬいぐるみのような大きさまで縮んでいる。
おまけに、空に浮いていた。糸とかは見えないし、そも頭上には何もない。
「……なあ。今、どういう状況なんだよ」
ドヤ顔でムフッとしている少女を睨みつけながら僕は問う。すると彼女はキョトンとした顔をしながら首を傾げた。
「……なんとなーく、わかっているだろう?」
「わかんないから聞いてるんだろうが……」
「……察しが悪いな」
はあ、と呆れ気味にため息をつく少女。ため息をつきたいのは僕の方だ。
「チェエエエエストォォォッ!」
「うわぁ!?」
その瞬間、急に先ほどの変質者が襲いかかってきた。
手に持った大きな斧を勢いよく、僕に向かって振り下ろしてくる。
僕は奇跡的に瞬時に反応でき、それを避けることに成功した。
「やるな嬢ちゃん……完全な不意打ちだったんだが」
(……なんか、体が軽い)
自分でも信じられないほどに身軽に動けた。ただ少し、胸が揺れて痛かったけれど。
──胸が揺れた?
(何を言ってるんだ僕は……)
チラッと、自分の胸元を見てみた。そこには、とてもご立派な谷間が出来ていた。
「……ほわーい?」
次に僕は、股間を触ってみた。
──無い。
アレが、無い。
「……なんじゃこりゃああああ!?」
手のひらを見てみる。いつもの手相が目立つシンプルな手のひらではなく、柔らかくスベスベな綺麗な手のひらに変わっている。
次に二の腕。すごいぷにぷにだしスベスベだ。僕の微妙に硬い二の腕と全然違う。
次に太もも。いつもより若干太くなっていて、指が埋まるほど柔らかい。
次に胸元。やはり出来ている。なかなか立派な女性特有の胸が出来ている。何カップかはわからない。
次に腹部付近。くびれのようなものが出来ている。気がする。
最後に髪の毛。普段の自分と真反対でとても長く、背中に付くほど。髪色もシンプルな黒色から、白銀のような銀髪へと変わっている。
──これじゃまるで、あの少女が成長したかのような姿じゃないか。
「ふふん! 私と少年は一心同体となったのだ! ならば姿が変わるのもそう不思議なことではない……!」
「ど……どういうことなん……?」
隣でドヤッとしている少女が自信満々にそう語るが、イマイチよくわからない。
僕と少女が合体したと言うことなのか? そんなバカな。
だが、先ほど少女とキスした後の不思議な出来事を思い出すと妙に納得できた。
多分あのキスがトリガーとなって、僕の姿が変わったんだろう。契約云々言っていたし。
「油断するな少年……来るぞ」
「え……」
ビシッと指を差しながら少女が言う。彼女の指差す方向を見ると、さっきの変質者が鬼の形相をしながら飛び上がっていた。
「まっっっっっっっっっっぷたつッッッ!」
そう叫びながら勢いよく斧を振り上げ、僕の真上から降りてくる変質者。
僕はすぐにそれを避ける。とても大きな着地音が鳴り、それと同時に地面がひび割れる音がした。
「危な……!」
「先ほど命の危機に瀕していると言っただろう? こう言うことだ」
何故かドヤ顔をしながら、少女は僕の肩に降り立って──
「我々ヴァンパイアはだな、成人するまでは中途半端に弱いのだ。それ故、我らを勝手な推測と憶測で恨み憎み襲いかかってくるヴァンパイアハンターに出会うとほぼ確実に殺されてしまう。そこで生み出したのが童貞、もしくは処女、つまり清い身体の人間と契約することで己の力を増大させる術だ。人間と文字通り一心同体になることによって、一時的に成長できるのだ。おおよそ成人の一歩手前くらいだな。何故童貞、もしくは処女でなければいけないのかと言うとこの術を作り出した我らの偉大なる先祖、フォミュラ・ミルンバーナ曰く──」
「長いし早いから何言ってんのか全くわかんねえよ!?」
急に説明を始めた。長いのはともかく、びっくりするくらいの早口でほとんど聞き取れなかった。
例えるなら倍速にした動画。確かに何か喋ってるなと、ギリギリ聞き取れるかもしれない速さ。
「例え下手だな……少年」
すると、まるで僕の心を読んだかのように少女が言った。
僕は思わず目を見開きながら、驚くように呟く。
「おま……心読めるのか?」
「ふふん! 一心同体だからな! ちなみに、少年も私の心を読めるはずだ」
「まじか……」
早速読んでみよう、と思い僕は少女を見つめる。
見つめる。
見つめる。
見つめる。
「……全然読めませんけど」
何も聞こえてこないし、何も感じられない。ただただ、静かな時間が流れるだけ。
「チェエエエエエエエエエストォッッッ!」
「うわあ!?」
その時だった。急に頭上から、あの変質者が叫びながら落ちてきた。
ご自慢の斧を大きく振りかぶり、またも地面を割る変質者。
僕は何とかそれを、凄まじい反射神経で避けることに成功した。
「忘れてたアイツのこと!」
「私は忘れてなかったぞ。それでさっきの続きだが……」
「いいよその話は今は! とりあえずコイツ倒さないとだろ!?」
ハアアアアァァァァァ、と。大きなため息を吐きながらこちらを睨みつけてくる変質者。
地面に刺さった斧を必死に抜こうとしている。どうやら、深く刺しすぎたらしい。
「アイツはバカなのか?」
僕はつい、率直な感想を口に出した。
「そして偉大なるヘルシング卿と邂逅を果たした我らが先祖フォミュラ・ミルンバーナは──」
「言っとくけどお前の話、僕は全然聞いてないからな」
「何だとっ!?」
だんだん頭が痛くなってきた。この状況は一体何なんだ。
僕たちは今、命のやり取りをしているはずだ。生きるか死ぬかの瀬戸際のはずだ。
なのにどこか間抜けというか、くだらない戦いをしている気分になってくる。
「少年、一から説明するからちゃんと聞くんだ。何故、童貞と処女が──」
真面目な顔で、キリッとした表情をする少女の口を、僕は手のひらでペシっと塞いだ。
「むごむごむごむごむごむご」
口が塞がったまま、少女は話を続ける。
「むごむごむごむご! むごご! むごおおおお!」
なんかよくわからないけど、盛り上がる場面のようだ。
「むご、むごむごむご……」
話が終わったのか、少女は丁寧にお辞儀をした。
僕はさっと、彼女の口から手のひらを離す。
「……凄いだろう?」
ドヤ顔で僕を見つめる少女。悪いけど、何一つ聞いていないし聞こえなかった。
「なぜだ!?」
口塞いでたからだよ、と僕は心の中でツッコむ。
「な……なんで口塞いだの?」
すごく困った顔で、何も理解できないような顔で、わけがわからないよと言いたげな顔で、少女は首を傾げる。
僕は何も答えずに、何となくそっぽを向いた。
「チェエエエエエエエエエエエエエストッッッッッッ!」
「またかよ!?」
そっぽを向いたと同時、頭上から叫び声が聞こえてきた。
もう慣れてきた。僕はさっと、軽く変質者の斧を避ける。
三度割れる地面。また突き刺しすぎたのか、変質者は地面にめり込んだ斧を必死に引っ張り始める。
「ボス戦のダメージギミックか……ってくらい等間隔に攻撃してくるな、アイツ」
「上手いこと言ったつもりなのだろうが、あんまり上手くないぞ少年」
「いちいちそう言う事言うなよ……」
だんだんムカついてきた。初対面の時の神秘的な要素はどこに消えたんだ。
「さてと……そろそろ決着を着けようじゃないか。少年。」
僕の肩に座ったまま、少女がそう呟く。
ビシッと変質者を指差し、彼女は叫んだ。
「我らヴァンパイアが誇る必殺技! 闇夜に誘う悦楽ヴァンパイアキックでトドメだ!」
「……何それ」
「飛び上がって、片足を突き出して、敵を穿つとってもカッコいいキックだ! 人によってはホログラムのカードを突き抜けながらキックしたりするぞ」
「要するに蹴ればいいんだな……」
とりあえず、僕は彼女の言う通り、その場で飛び上がる。
そして、片足だけ突き出して、急降下。
「叫べ! キーーーーックとな!」
「キ……キーーーック……!」
言われた通り、叫びながら僕は変質者に向かっていく。
しかし、空での身体の動かし方が全然わからなくて、飛び上がった地点と対して変わらない場所に、僕はゆっくりと着地した。
「……ダサいな少年」
「うるさいよ……」
微妙な空気が流れる。僕も、少女も、変質者も、みんな気まずい顔をしている。
「……とりあえずチェストオオオオ!」
と、変質者が叫びながら斧を手に持って襲いかかってきた。
僕は思わず両腕を顔の前に移動させ身を守るポーズ。だが、少女に頭を引っ張られ姿勢を崩してしまった。
地面に身体が倒れる瞬間、僕の目の前を鋭利な刃が一瞬で通り抜ける。一瞬前まで、僕の顔があった場所で空を切る。
冷や汗が一滴、僕の頬を伝った。
「バカか少年……反応できるなら避けろ。死んでいたぞ今」
不機嫌そうな顔をしながら、頭をペチペチと叩いてくる少女。
「ご、ごめん……」
僕はとりあえず謝りながら立ち上がる。そして、辺りを瞬時に見回した。
「どこ行ったんだ……」
「上だな」
少女の指摘に合わせ見上げると、顔全体に青筋を立てながら、変質者が斧を振り下ろしてきた。
今度はちゃんと足を動かして、僕はそれを避ける。
またも割れる地面。修繕費とか誰が出すんだろう。
「全く最近の童貞は困るな……このままでは私まで死んでしまうじゃないか。ちゃんと戦えこのやろー」
やけに軽い声で叱ってくる少女。僕は彼女に向け頭を下げながら、呟いた。
「……人と戦ったことないし、しょうがないじゃんか」
「んん……? でもこういうシチェーションの場合、自然と身体が動くとこの本に書いてあったぞ」
首を傾げながら少女が取り出したのは、可愛い女の子のイラストが表紙を飾っている文庫本。多分、何かのラノベ。
「現実と非現実は違うんだよ……」
と。今まさに非現実的体験をしているにも関わらず、僕はそう言った。
不満そうな顔をしながら「そうか……それはそうだな」と呟く少女。頭に自分の人差し指を突き立て、ポクポクポクポク言い始めた。
「ポクポク……チーン!」
「効果音を自分で言うなよ……」
頭の上に電球を生み出し、それを輝かせながら手をポンと叩く少女。
ニヤリと笑みを浮かべ、スイーッと空を移動し、僕の頭の上にチョコンと乗った。
「とうっ!」
「あいたぁ!?」
それと同時に、僕の頭に何かを突き刺してきた。ものすごく微妙な痛みが僕を襲う。
真上にいるから、何を突き刺したのかはわからない。
「こらお前!? 何を刺した!?」
僕が怒号をあげると、少女は自慢げに笑い──
「コントローラーだ!」
と、自信満々に叫んだ。
「何刺してんのお前!?」
どんな形のコントローラーなのかはわからない。けど、何か怪しいものを突き刺されたのは確かだ。大丈夫なんだろうか、僕の頭と脳は。
「これを使えば私に主導権が移る! さあ行くぞ! 未体験ロボドウテイオー!」
「変な名前つけてんじゃないぞおおおおおおお!?」
僕が叫んだとほぼ同時に、僕の身体は僕の意思に関係なく動き出した。
足を全力で動かし、地面を蹴り続け、真っ直ぐに変質者の元へと向かう。
「なんだ……? 動きが変わったな童貞女!」
地面に突き刺さった斧を必死に抜こうとしている変質者は、僕に気づくと視線をぎらつかせ睨みつけてきた。
だが、斧が地面からまだ抜けていないので、彼は動かない。
「なあ少年……童貞女って何だ? 意味がわからないんだが……」
「お前が僕のこと童貞童貞言うから童貞だと思ったんじゃないか? 僕のことを」
「だが今の少年は女性だ。女の子だ。言うならば処女ではないのか?」
「知らないよあの変質者の考えなんて……」
「人間って変な生き物だな……」
少女の操る僕の身体は、変質者の目の前に来ると急ブレーキをした。
靴で地面を擦りながら、右手を強く握りしめる。
「ヴァンパイアァァァパンチッ!」
少女が大きな声で、熱い声で、そう叫ぶ。
それと同時に僕の腕は、大きく勢いよく拳を振るった。
「グボ……ッ!?」
それは、変質者の鳩尾を思いっきり打った。
泣きそうな顔をしながら姿勢を崩す変質者。それと同時に僕の身体は飛び上がり、荒ぶる鷹のポーズをする。
「行くぞ少年! せーのっ、ヴァンパイアアアアアアアア……キーーーーック!」
「……」
「何で叫ばないんだ少年!?」
僕の身体は右足を突き出しながら急降下。そのまま、真っ直ぐと変質者へと向かっていく。
「……ぷぎぃ」
ヴァンパイアキックは成功。変質者の顔面を思いっきり踏み潰した。
情けない、変な声を出しながら倒れる変質者。目がぐるぐるになっている。おそらくこれで彼は再起不能。リタイアだ。
「いてえ!?」
地面に降り立ち、一息つこうとした瞬間、頭上に髪の毛を引き抜かれるような痛みを感じた。
恐らく少女がコントローラーを抜いたのだろう。もしくは、何となく僕の髪を引きちぎったか。
「初めてにしては上出来と言ったところだな。 私の手解きがあったとはいえ……よく頑張った」
いつの間にか肩に降りてきていた少女が、僕を見つめながら言う。
何となく照れ臭くなって、僕は頬を指で掻きながらそっぽを向いて、ゆっくり頷いた。
「それじゃあ帰るぞ、少年の家に」
「……えと、やっぱ付いてくる感じ?」
自信満々に、ムフッとしながら言う少女を見つめながら僕は呟く。
契約が何たらかんたら、一心同体が何たらかんたら言っていたから何となく察してはいたが、少女は僕と一緒に帰る気らしい。
「当たり前だろう? 私と少年は一心同体なのだからな」
「はいはい……じゃあ帰るか」
また心を読まれた。嫌な気分になる。
とりあえず細かいことを考えるのはやめよう。家に帰ってから、部屋に戻ってからゆっくり考えても遅くはない。
そういえば手に持ったままのアイスは無事だろうか? 棒アイスはともかく、フルーツまみれのカップアイスは悲惨なことになってそうだが。
「ところで少年……名前は何と言うんだ?」
肩にちょこんと乗ったまま、首を傾げて問う少女。
そういえば名乗っていなかったっけ?
「僕は……愛作エイジだよ」
「……変な名前だな」
「苗字が変なだけだよ。それよりお前の名前は?」
苗字にはあまり触れられたくないので、僕は話を逸らす。
「私もまだ名乗っていなかったか……私の名前はクティラ。クティラ・ウェイト・ギルマン・マーシュ・エリオット・スマス・イン・ヤラ・イププトだ」
「長いな……」
とてもじゃないが、一度で覚えられる量ではなかった。
何語なのかもよくわからない。多分英語だろうけど。
「クティラと気安く呼べばいい。私も少年のことはエイジと呼ぶ。よろしくな……エイジ」
「うんと……よろしく、クティラ」
ニコッと笑うクティラ。彼女の楽しそうな雰囲気とは正反対に、僕は不安しか感じていなかった。
この先、僕の人生はどうなるんだろうか。