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マンノーラン伯爵家にまつわる物語

万年次席の男爵令嬢〜私を救ってくれたのは、華麗なる伯爵家のご子息様でした〜

作者: 綾丸音湖


 貼り出された順位を見上げる。

 私の名前、ナリア・モンテルはいつも通りの上から二番目。


 一番上にある名前は、スルトザ・マンノーラン。

 これも、いつも通り。


 華麗なるマンノーラン伯爵家の長男だ。ガルディスタン帝国貴族でマンノーランという名を知らない者はいないだろう。代々優秀な人材を輩出する名門伯爵家だ。


 一度話したことがあるが、こんな私に対しても物腰柔らかく丁寧で好感の持てる人だった。あれでずば抜けた才能まで持っているのだから、上には上がいるものだと感心してしまった。


 一方で、私は帝国南部のしがない貧乏男爵家の長女。勉強だけは得意で頑張っているのだが、一度も首席になれたことはない。


 ずっと、一番と二番の関係は変わらない。

 

(一度くらい、首席を取ってみたいけど……)


 この帝国立アカデミーは帝国内で最も権威ある学術機関であり、優秀な成績を修めれば高位官僚への道も開ける。各地から集まった優秀な人材が日々勉学に励んでおり、その競争は凄まじいものだった。


 貧乏な男爵家ではあるが、ナリアの才能を信じて送り出してくれた家族のためにも頑張らなくてはならない。次席でも凄いことには違いないが、首席となると高給取りになれる可能性は非常に高くなる。


(勉強時間増やすしかないかなぁ……いや、でもこれ以上はなぁ……)


 今でも結構ギリギリの生活をしている。

 とれる授業は全てとっているし、寮に帰ったら内職もしているので本当に時間がない。


「ナリアさん」


 ぼーっと考え事をしていると、声をかけられた。

 振り向くと、アカデミーの教員がそこにいた。

 

「はい、なんでしょうか?」


「貴女のお父様が来られているそうです。至急、来客室まで向かってください」


 お父様が?

 わざわざここまで来ているとは、一体なんの用事だろうか。なんの連絡もなかったはずだが。


「ありがとうございます。すぐに向かいます」


 先生に礼を言って、来客室へと急ぐ。

 なんだか、嫌な予感がしていた。


――――――


「失礼します」

 

 来客室に入ると、そこにはお父様ともう一人とてもふくよかな男性が座っていた。


「あ、ああ、すまないねナリア。こんな急に訪ねてきてしまって……」


 力ない声でお父様が謝罪してくる。

 久しぶりに会うが、かなりやつれているようだ。


「いえ、それは構わないのですが……。その、そちらの男性は?」


 入室してからずっと、ジロジロとこちらを見ている。一体誰なのだろうか。


「ああ、こちらの方は……」


「お初にお目にかかりますなぁ、ナリア嬢!わたくしヒューリル商会の会長を務めておりますヒューリルという者です。以後お見知りおきを」


 ヒューリル商会?

 聞いたことのない商会だ。なぜお父様と商会の人が一緒にいるのだろう。


「ナリア・モンテルと申します」


「ええ、ええ、存じておりますとも!ぐふふ……」


 嫌な視線だ。

 品定めするようにずっとこちらを見ている。


「それで、お父様。どうされたのですか?」


「すまない、ナリア。実は……」


……


「保証人、それに借金、ですか……」


 目の前が真っ暗になる。

 ありていに言えば、騙されたということだろう。到底返すことのできない金額に現実感がなくなる。


 ああ、もうこの先は予想ができた。

 私にわざわざ会いにきたということは……。


「ぐふふ、そこでですねぇ!モルテン男爵の借金を肩代わりする見返りとして、ナリア嬢にはわたくしの息子と結婚してもらうことになりましてねぇ!」


「すまない、ナリア。本当にすまない……」


 先ほどからお父様が謝罪の言葉を繰り返しているが、うまく頭に入ってこない。


 どうしてだろう。さっきまで、今回の試験結果を見て、気持ちを新たに頑張ろうとしていたはずなのに。


 この日、私の日常は崩れ去った。


……

 

 よくある話といえば、よくある話だ。


 成り上がった商会が、財力を武器に貴族家に取り入り、他の貴族との縁を作る。そこでできた縁を使ってまた儲けを出す。そんな、ありふれた話だ。


 お父様は人を見捨てられない性格で、そこにつけ込まれたのだろう。損得で動く南部貴族においては、致命的だったということだ。


(結婚に、夢を抱いていたわけじゃないけど……)


 ナリアは貴族の娘だ。

 政略結婚だって受け入れる覚悟はしていた。だが、こんな身売りのような形で結婚を決められるとは。


 ヒューリル氏本人でなかっただけ、ましなのだろうか。息子であれば、まだ年も近いはずだ。良い人であることを願うばかりだが……。


 お父様の突然の訪問から数時間経ったが、寮に帰る気も起きずアカデミーの図書館で呆然としていた。周りに人はいなくなっている。


「む? こんな時間にまだ人がいたのか」


 なにも考えられないでいると、声をかけられた。


「ああ、ナリア嬢か。こんな遅くまで勉強か?」


 そこにいたのは、スルトザ・マンノーランだった。まさか、こんなところで出会うとは。


「スルトザ様……」


「ふむ、アカデミーでは身分の上下などなく、様付けなど不要ではあるな。これは前に言った気もするが」


 いつも通りの物言いに苦笑する。

 一度話しただけの私のことを覚えていてくれたようだ。


「ふふ、そうですね。あの時も同じことを言われました。……その際は、突然話しかけて申し訳ありませんでした」


 入学して間もない頃、ずっと首席がとれず今よりも悩んでいる時期があった。その時に何を思ったのか、首席本人に聞きにいってしまったのだ。どのように勉強をしているのか、と。


「いや、謝ることはない。あの議論は非常に有意義なものであった」


 確かに、私にとっては今後の役に立つ議論だったと言える。そのおかげで、なんとか次席は保てていると言ってもいい。


「一度も、首席にはなれませんでしたけどね……」


 つい、自虐的なことを呟いてしまった。

 今は暗い感情に引っ張られていることを自覚する。


「む? そんなことはないだろう。確かに総合では首席を譲ったことはないが、生理学では常に一位をとっているではないか」


 思いもよらない言葉に呆けてしまう。

 まさか、そんなことまで知っていてくれたなんて。


「そう、ですね。そこだけは一位をとれていましたね……」


「ああ、私が言うのもおかしいかもしれないが自信を持つといい。君と話してから生理学に全力で取り組んでいるが、これまで一位をとれたことはない」


 あの、スルトザが私を意識して勉強していたと聞いて、さらに驚く。そうか、私は自信を持ってよかったのか。


「ふふ、ありがとうございます。なんだか元気が出てきました」


 結婚相手が選べないことなんて、貴族ではそれほど珍しいことではない。必要以上に落ち込まず、これまで通り勉学に励んでいこう。


「そうか、それはよかった。君は寮だったか? もう時刻も遅いから、近くまで送ろう」

 

「え、そんな、悪いですよ」


 流石はマンノーラン伯爵家のスルトザ。

 いつだって丁寧で、紳士的だ。

 

「悪いことなどない。君は、淑女としての自覚を持った方がいいな」


「あ、ありがとうございます」


 淑女なんて、生まれてこのかた言われたことがない。なんだか可笑しくなってしまった。


「ふふ、それではお願いしますね」


「ああ、任せたまえ」


 夜道を寮まで帰っていく時間は、なんというかとても楽しかったように思う。

 

――――――

 

 お父様の突然の訪問から数日が過ぎた。


 授業終わりに帰り支度をしていると、周囲がざわついている。なんだろうか。


「ここにナリア・モンテルがいるって聞いたんだがァ。どこにいるか知ってるかァ?」


 このアカデミーでは普段聞かないような品のない声が響いている。聞き間違いがなければ、私の名前を呼んでいた気がするが。


「おお、あいつかァ」


 学生の誰かが教えてしまったのだろう。

 柄の悪い男が取り巻きを引き連れて近づいてきた。


「……どちら様でしょうか? 部外者の方は立ち入り禁止のはずですが」


 警戒心をもって言葉をかける。

 何かあればすぐに教職員が駆けつけてくれるはずだ。

 

「おいおい、つれねぇことをいうじゃねぇかァ!婚約者様に対してよォ」


 あまりの衝撃に言葉を失う。


 下卑た目つきでこちらを見る、いかにも粗野なこの男が婚約者……??


「俺ァ、ヒューリア商会の跡取りゴールアだ。ふはは、地味な感じだがなかなかそそるじゃねぇかァ。仲良くしようなァ? ナリアちゃん」


 前向きに、考えようとしていた。

 だが、これはあまりにも……。


「ついて来いよォ。まさか断らねぇよなァ!?」


 大声を出され、びくりと体が震えてしまう。


「ひひっ、いいねぇ。さっさと来い!」


 周囲の目線も気になる。

 それに、断ったら家族がどうなるのかわかったものではない。


「わかり、ました」


 ああ、本当に私の日常は壊れてしまったんだ。


――――――


「ここなら誰も来ねぇんだなァ??」


「は、はい!そうだと思います!」


 連れてこられたのは旧館の奥まった空き教室だ。

 よく見ると取り巻きの中にはアカデミーの学生もいたようで、ここまで案内させていた。


「じゃあ、お前らは外で見張ってなァ。誰も通すんじゃねぇぞォ!?」


「は、はいぃぃ!」


 そそくさと取り巻きたちが出ていった。


「はっ!貴族っつっても大したことねぇなァ。結局どいつもこいつも金には勝てねぇ」


 そう言って、こちらを見る。


「おっと、ナリアちゃんもその被害者かァ。お人好しのダメ親父のせいでこんなことになるなんて可哀想になァ!!」


 あっはっは、と汚い声をあげて笑っている。

 何も言い返すことができず、歯を食いしばる。ああ、この先のことなど考えたくもない。


「とりあえず、脱げよ」


「……え?」


「だからァ、服を脱げって言ってんの!早くしろよなァ」


 何を、言っているのかわからない。

 唐突にやってきて、初対面で、こんな場所で……。


「おいおいおい、ここまで来ちゃって何を驚いてんのォ?? ほらほら早くしろよ!男爵サマがどうなってもいいのかなァ!?」


 体が、震える。

 思わず涙が溢れてしまった。ああ、ダメだこんなの相手を喜ばすだけなのに。


「うははっ、泣いてんのかァ?? いいねいいねぇ、泣いて許しを請うのかなァ? それとも泣き叫べば助けがくるとでも思ってんのかなァ??」


 そこで、表情が一変する。


「助けなんて誰も来ねぇよ。諦めろ」


 低く、重い口調で言い放たれた。

 その眼差しは濁りきっており、諦めるしかないのだと悟った。


 震える手で、着ている服に手をかける。


(ああ、こんなことになるなら……)


 

「そこで、何をしている」



 振り返るとそこには、スルトザ・マンノーランの姿があった。


***

 

 ナリア・モンテルという名を、入学時には噂程度にスルトザも知っていた。


 飛び級でアカデミーに入学した才媛。

 幼少期から卓越した才能を発揮してきた天才であると。

 

 総合の首席を譲ったことはなかったが、個別の学科では時折遅れをとっていた。年齢のことを考えても、自分との差はほとんどないように思う。


 一度深刻そうな表情で話しかけられた時は驚いた。どのように勉強をしているのか、と問う彼女の眼は真剣そのものだった。


 勉強方法について、という話題で議論をしたことはなかったのでとても有意義な時間だった。それに、彼女の聡明さ、博識さには感心したものだ。


(図書館で見かけた際の表情が気にかかる)


 数日前の夜遅く、彼女は一人で何をするでもなく虚空を見つめていた。思わず声をかけてしまい、少し話すことでわずかに調子を取り戻していたが、どこかいつもと違う。


 その様子は、家族のために自己を犠牲にすることを決めた身内の姿と重なって見えた。

 

 あまりに気になって軽く調べてみたところ、父親がアカデミーに来ていたようだ。どうも金銭での問題があったようだが……。


 考え事をしながら歩いていると、なにやら騒がしい。知り合いを見かけたので、何があったのかを尋ねる。


「すまない、これはなんの騒ぎだ?」


「ん? ああ、スルトザか。僕もよくはわからないんだが、どうもナリア嬢が柄の悪い男に連れていかれたらしい」


 ナリア嬢が?

 あの日の諦めたような表情を思い出し、嫌な予感を覚える。


「教員はどうしている? どこへ行ったかはわかるのか?」


「うーん、なんだかその男はナリア嬢の身内だとかで教員の動きも鈍いというか……。ごめん、僕も来たばかりでどこに行ったかまではわからないんだ」


「そうか……情報提供感謝する」


(困ったな、行き先がわからないのでは……)


「あ、あの!」


「ん? なんだろうか」


 近くにいた女学生が声をかけてきた。


「わ、私の友達が心配して後を追っていたんですけど、どうも旧館の方に向かったみたいで……」


「そうか、ありがとう」


 それを聞いてすぐさま駆け出す。

 何もなければそれでいい。だが、動かないという選択肢はなかった。




「お、おい!止まれ!」


 旧館に足を踏み入れ、人の気配を探す。

 奥まで行くと、数人の男が道を塞いでいた。


「……そこを立ち去るがいい」


「誰も通すなって言われてんだよ!痛い目みてぇのか!?」


 男が近づいてくるが、退く気などない。


「お、おい、あいつは……」

「まずいぞ!マンノーランだ……」


 よく見るとアカデミーの学生が二人ほどいた。


「ああ? マンノーランだと?」


 近づいてきた男が訝しげにその二人に問いかける。


「流石にマンノーランを相手にするのはまずい!まさか知らないのか!?」


「誰だか知らねぇが、そんなもん……」


「時間がない。通らせてもらう」


 余所見をしている男の顎に掌底を叩き込む。

 母上に習った武術が役に立つ時がくるとはな。


「がっ……」


 男が倒れ伏す。


「やってられるか!通りたきゃ通れよぉ!」


 学生が逃げ出すと、他の連中も慌ただしく立ち去っていった。おそらく、あの部屋だろう。


 扉を開け放つ。

 そこには、震えるナリア嬢と下卑た笑みを浮かべる男がいた。


「そこで、何をしている」


***

 


「……え?」


 ナリアは自分の目を疑った。

 だが、そこにいるのは確かにスルトザ・マンノーランだ。夢や幻の類ではない。


「あァ? 誰だおめぇ」


 不機嫌な声が聞こえた。


「ちっ、見張もできねぇのかあいつらはよォ!」


 男がスルトザに近づいていく。


「で、どういうつもりだてめぇは?」


「ふむ、私の名はスルトザ・マンノーラン。ナリア嬢の学友だ」


 男の威嚇も意に介さず、堂々と名乗りをあげている。ここにきて、やっと助けにきてくれたのだと理解した。


「学友? 学友がなにしにきてんだァ?……いや待て、マンノーランだと?」


「学友の危機とあれば、出向くのは当然だろう」


 助かったのだという喜びと、なぜ助けにきてくれたのかという戸惑いが浮かぶ。たった二度、話しただけの関係なのに。


「危機なんて誤解ですなァ!こちとら婚約者の顔を見にやってきただけだっていうのに!それとも栄えある伯爵家の方は、他所のウチのことにまで口を挟むんですかねえ??」


 その言葉に、俯く。

 流石に商会の跡取りともなれば、マンノーラン伯爵家のことは知っていたようだ。確かに、婚約者に会いにきたと言われればそれまでだろう。


「ナリア嬢」


 その声に顔をあげる。

 そこには、優しげな表情でこちらを見つめるスルトザがいて。


「もう大丈夫だ。安心するといい」


 なんて、優しい声なのだろう。

 その言葉に、自分でも驚くほど安堵した。

 

「おいおーい!無視ですかァ? なに終わったみたいな感じ出してんだァ??」


「ああ、まだいたのか。教員には声をかけておいたから、すぐにここに来るぞ。これ以上騒ぎにしたくなければ、去るがいい」


 一転して、厳しい表情に変わった。

 

「……ちっ、興が覚めちまったなァ」


 男が不機嫌そうに呟いている。

 

「はっ、どうせ伯爵様にだってどうすることもできねぇんだ!こんな学校すぐに辞めさせてやるよォ!ナリアちゃーん、次会う時を楽しみにしてるぜぇ??」

 

 去っていく男を、彼は無表情に見つめている。

 そうだ、助かったのは今だけでどうせ私はもう……。


 男の姿が完全に見えなくなり、安堵感と絶望感からへたり込んでしまう。


「ナリア嬢、無事か」


「あ、ありがとう、ございました」


 そういえば、お礼も言えてなかった。


「ふむ、遅くなってしまったな。怖い思いをさせてすまない」


「いえ、そんな、スルトザ様が謝ることではありません……私は、その……」

 

「落ち着くまでゆっくりするといい。君に危害を加える者は、ここにはもういない」


 そう言うと、少しだけ離れた位置に座った。


「ありがとう、ございます」


 ぐるぐるといろんな感情が渦巻き、なにもかも吐き出してしまいたい気持ちになる。誰にも頼れず、ここまで一人でやってきたが、限界がきてしまった。


 心が、壊れてしまいそうだ。


「……話を、聞いてくれますか?」


「ああ、私でよければ聞こう」


 彼は快く頷いてくれた。





「私は、帝国南部の男爵家に生まれました」


 幼い頃から、勉強が好きでした。

 両親はそんな私を見て早くから家庭教師をつけてくれて、どんどんと知識を吸収していきました。その度に、両親がとても喜んでくれて、それが嬉しくてもっと勉強するようになりました。


 貴族学校にも行かせてくれることになり、舞い上がりました。でも、そこで周りの人達とは自分が違うのだということに気がつきました。授業の内容は知っていることばかり、同年代の子たちはお洒落や観劇なんかに夢中で勉強なんて親に怒られない程度にやっているようでした。そんな中でいつも通り勉強を続けていた私は、だんだんと孤立していったのです。


 そしてある日、母が突然の病で亡くなりました。優しく、強い母が大好きだった私は、塞ぎ込むようになりました。


 思えば、この時から狂いが生じていたのでしょう。商人気質で男爵家を切り盛りしていた気の強い母と、人当たりのいい温厚な父。母がいなくなれば、つけ込まれるのも時間の問題だったのだと思います。


 外に出ることもなくっていた私ですが、勉強だけは続けていました。両親が褒めてくれたことだけは、手放したくなくて。そんな様子を見かねた父が、アカデミーの試験を飛び級で受けてみないかと提案してくれたのです。


 このままではいけないという自覚はあったので、試験に向けてさらに勉強にのめり込みました。結果は、ご存知の通り合格で、父は本当に嬉しそうでした。母が亡くなってからは初めて見るほどの笑顔だったのです。


 それからは心を入れ替え、父の助けになれるように高官になろうと決意しました。幸いにもこのアカデミーには熱心に勉強に取り組む人しかいなくて、楽しく過ごせていたと思います。


「そして、数日前父と商会の人が突然やってきて、借金の返済を肩代わりしてもらう代わりに、あの男と結婚させられることを告げられました」


 とりとめのない話を、彼は黙って聞いてくれていた。


「本音をいえば、本当に嫌です。なぜあんな男なのかと思っています。アカデミーも辞めさせると言われてしまいましたし……」


 だが、仕方ない。


「でも、こうして話せて落ち着いてきました。今日は突然のことでみっともない姿を見せましたが、男爵家のため、受け入れようと思います」


 立ち上がり、彼の方を見る。

 こんな自分を学友と言ってくれ、ここまで来てくれたと思うと嬉しさが込み上げてくる。


「今日は、本当にありがとうございました。貴方のおかげで、もう大丈夫です」


 きっと、こうして話すことなどもうないだろう。

 それがなんだか無性に哀しい。


「では、帰りましょうか。もう、こんな時間ですし……」



「それが、君の本当の気持ちなのか?」



 金色の瞳が、こちらを射抜く。

 その言葉に、息が詰まる。


「ほ、本当です!だって、どうしようも……」


「私には、妹がいてね」


 私の言葉を遮り、彼が話し始める。


「よくできた妹だ。家族のため、自分を押し殺し、尽くしてくれている。そんな妹に対して、どうしてやることもできない自分を今も恥じている」


 本当に悔しそうに語っている。

 あのスルトザ・マンノーランでも、どうにもならないことがあるというのか。


「ナリア嬢、君からはそんな妹と同じ雰囲気を感じるのだよ」


 ああ、お見通しなんだな。

 隠し事は昔から、得意ではなかった。


「もう一度聞く。それが、ナリア・モルテンの本当の気持ちなのか?」




「そんなわけないでしょう!!!」



 ああ、ダメだ。


「私は!あんな男と結婚したくなんてない!当たり前でしょう!?」


 この人には、こんな醜い私を見せたくなかったのに。


「お父様のバカ!お人好しで済む問題じゃないじゃない!あんな訳のわからない商会につけ込まれて!お母様がいないと何もできないの!?」


 こんなこと、言ったらいけないのに。


「勉強だって、そこまで好きなわけじゃなかった!両親が、皆が喜んでくれるから頑張ってきた!家族で、幸せに暮らせるだけでよかったのに!!」


 でも、あの日から変わった。


「お母様が亡くなった時、初めてなりたいものが見つかった!でも、高官になって、お金を稼いでお父様を助けなきゃって思って諦めた!」


 誰にも語ったことのない夢。


「私は、医師になりたかった!!」


 もう歯止めが効かない。


「でも、女性の医師なんて全然いなくて、高官に比べたら稼げなくて……!」


 これ以上は、言ったらいけないのに。


「貴方が羨ましかった!勉強ができて、地位もお金もある伯爵家で、男で!なんだってできる、なんでも持ってる貴方が羨ましくて、妬ましくて……!」


 涙がこぼれる。


「それでも、貴方はこんな私を学友だと言ってくれて、助けてくれて……」


 初めて自分を曝け出した。

 こんな感情を押し殺していたのだと自覚する。


「ごめんなさい。貴方はこんな私を下に見ず、侮らず、平等に接してくれていた。それなのに、こんな……」


「ナリア嬢、誇るといい」


「……え?」


 聞き間違いだろうか。


「君の努力は、間違ってなどいない」


 真剣な表情で、彼が語っている。


「よく頑張った」


 そんな、ことを言われたら……。


 涙がとめどなく流れる。

 抑えていた感情が溢れ出し、彼に縋り付いてしまった。


……


「あ、その、ごめんなさい」


「落ち着いたか?」


 子供みたいに泣きじゃくってしまい、気恥ずかしさから目も合わせられない。


「あの、ほんとにもう、大丈夫です。ありがとうございます……」


 本音を叫んだ。

 自分でも気づいていなかった感情まで話してしまったが、今はすっきりしていた。


「これからのこと、ちゃんと考えます。どうしたらいいか、自分がどうしたいのか」


 どうにもならないかもしれない。

 それでも、諦めることはせず足掻いてみようと思えた。


「……ああ、そうだな。アカデミーと寮の方には私から伝えて、あの男が侵入できないようにしておくから、安心するといい」


「何から何まで、ありがとうございます」


 何度目かわからない礼をする。

 そういえば、教員がこちらに向かっていると言っていたような気がするが。


「あの、教員の方が来ると……」


「ん? ああ、あれは嘘だ」


 その言葉に驚く。


「急いでいたから、そんな暇はなかったさ」


 彼は笑ってそう言った。

 

――――――

 

 あの日から、数日が経っていた。


 スルトザが言ってくれていた通り、あの男からの接触はなく、平穏な日々を過ごしていた。あの日のことは、現実ではなかったのではないかという気さえしてくる。


「ナリアさん、またお父様が来られています。来客室に向かってください」


 わかっている。

 あれが現実だったということは。再び訪問してきたということは、あの商会長と息子もいるのだろう。今度は正式な呼び出しだから、気は重いが行くしかない。

 

 行きたくない気持ちをなんとか抑え、来客室までやってきた。体は震え、動悸もしているが覚悟を決める。


 足掻いてみせると決めたのだ。


「失礼します」


 来客室に入るとそこには、



「申し訳ありませんでしたぁーーーーー!!」



 地に伏して謝罪する商会長の姿があった。


……


「本当に、この馬鹿者が失礼をして申し訳ありません!!」


 私の婚約者だと言われていた男は、殴られたのかその頬を腫らしていた。憎々しげな目つきでこちらを睨んでいたが。


「お前も!さっさと謝らんかぁ!!」


「……ちっ、なんで俺がこんな女に」


 ゴッッ、という鈍い音を立てて男が商会長に殴られる。男の額からは血が流れていた。


「お前は!まだなにもわかっておらんのかぁ!?」


 商会長の顔が怒りで真っ赤になっている。

 私は、先ほどから何がどうなっているのか理解が追いつかず、固まっていた。


「え、ええと……」


「申し訳ありません!申し訳ありません!この馬鹿者にもすぐに謝らせて……」


「なにしやがる!この女がマンノーランに媚びて泣きついただけだろうがァ!そんなもん金でどうとでも……」


 ゴッッ、と二度目の殴打。

 マンノーラン? スルトザが何かをしてくれたということか。


 ダメだ頭が回っていない。


「お前は、もう黙れ。話すなと言われたことまで口走りよって……」


 完全に目が据わっている。

 その目を見た男は震えていた。


「お、俺は悪くねぇだろォ? 関係ない奴が口出ししてきたところで、いつも通りなんとでも……」


「甘やかしてきたツケが回ってきたか……。敵対してはならん相手すらわからんとはな」


 商会長がこちらに振り向き、媚びるような笑顔になる。もうなにがなんだかわからない。


「ナリア様、度重なる無礼を謝罪いたします。この馬鹿者は勘当し、商会とは無関係の者となります。婚約の話もなくなるのでご安心ください」


「なっ!?どういうことだオヤジ!?」


「ああ、それと借金の方も何かの手違いだったようでして。重ね重ね謝罪申し上げます」


 疑問の声を上げる男を無視して、商会長は丁寧に腰を折った。


「ナリア様には大変ご迷惑をおかけしました。なにか、要望があればなんなりとおっしゃってください」


 自分に都合のいいように話が進みすぎて困惑する。なにか、騙されている気もしてきた。ここまで態度が急変するものだろうか。


 だが、要望と言われれば、私が望むのは一つだけ。


「……もう二度と、私たちと関わらないでください」

 

「承知、しました」


 頭を下げたまま、商会長がそう言った。


「待てオヤジ!俺は納得してねぇぞ!?」


「お前などもう息子ではないわ。さっさと失せろ」


 その言葉に男は呆けたような顔をした。

 そして、こちらを向いて睨みつけてくる。


「女ァ!てめぇのせいだ……!!絶対に思い知らせてやるからなァ!?」


 ゴッッッ、と三度目の殴打。

 これまでよりも重く響いたそれは、男の意識を奪った。


「……ナリア様、この男の処分はこちらにお任せください。約束通り二度と貴女方には近づけさせませんので」


 ゾッとするような表情でそう宣言された。

 関わらないならば、もうなんでもいい。


「それでは、お騒がせしましたな。失礼いたします」


 そう言ってもう一度腰を折ると、気絶した男を担いで出ていった。


「ナリア……」


 何も発言せず、オロオロとしていたお父様が声をかけてきた。目には涙を浮かべている。


「本当に、本当によかった……。そして、すまなかった」


 涙ながらに謝罪するその姿を見て、改めて救われたのだと実感する。


 だが、喜ぶだけではいけない。


「お父様、もうこんなことにならないように、しっかり勉強してくださいね?」


 その言葉を口にできた私は、以前よりもちょっぴり強くなれたのではないだろうか。


 ああ、早くスルトザに会いたい。

 聞きたいことが、たくさんある。


……


「スルトザ様!」


 見つけられてよかった。

 彼は、図書館のいつもの場所で、いつも通り真面目な表情で本を読んでいた。


「ん? ナリア嬢か。どうかしたのか?」


 本から顔を上げ、こちらを向いた。

 その瞳は、あの時と同じく優しげだ。


「あの、お話があるのですが、お時間いただけませんか?」


「ふむ、構わない。場所を変えようか」


 そう言って、彼が立ち上がる。

 先ほどからうるさいくらいに胸が高鳴っていた。




 空き教室に入り、彼と向かい合う。

 勢いでここまできてしまったが、あまりなにも考えられていない。

 

「あ、あの!ありがとうございました!」


 まずは感謝から?

 ああ、でもこれじゃあ伝わらないか。


「……なんのことだ?」


「ええと、さっきお父様と商会の人が来て……」


 ここまでの経緯を説明する。

 彼は難しい表情をしていた。


「それで、スルトザ様が助けてくれたんですよね? だから、ありがとうございます!」


「ふむ、口止めをしておいたのだがな……」


 彼は苦笑している。

 これもまた、私への気遣いだったのだろう。


「どうして、ここまでしてくれたんですか……?」


 思わず、聞いてしまった。

 心臓の鼓動がうるさい。

 

「前にも言ったが、学友を手助けするのに理由など必要ない」


 その言葉に、少しだけ、ほんの少しだけ落胆してしまっている自分がいる。こんなこと、思っちゃいけないのに。


「ナリア嬢、もうなにも気にすることはない」


 あの日と同じ、優しい声で名前を呼ばれる。


 

「好きなように、自由に生きるといい」



「ありがとう、ございます」

 

 そんなことを、言われたら……。

 目を合わせられず、俯いてしまう。


 体が火照っているのがわかる。

 きっと、顔も真っ赤になっている。


 ああ、わかっていた。きっと、ずっと前からそうだった。気づかないふりをしてきたが、自覚してしまった。


 私は、この人のことが好きなんだ。


「安心するといい。もう君を妨げるものはないはずだ。私がやりたくてやったことだから、君は気にしなくていい」


 マンノーラン伯爵家の力は凄まじいのだろう。

 彼の言う通り、もう大丈夫だということがわかる。気にしないというのは流石に無理だ。


 でも、この気持ちを自覚してしまった今、その伯爵家というものが遠く感じてしまう。華麗なるマンノーラン伯爵家の長男と、乗っ取られる寸前だった貧乏男爵の娘が釣り合うわけもない。


 身の程知らずの恋だというの理解できている。

 たけど、彼が自由に生きていいと言ってくれた。そんな意味じゃないとわかっているけど、アカデミーにいる間くらいは彼の側にいたっていいよね……?


「もっと!勉強頑張ります!」


 顔を上げて、彼のことを見つめる。

 今だけは少しだけ、大胆に。


「だからあの、一緒に勉強しませんか!?」


「ん? ああ、もちろん構わない」


 彼の優しさに甘えてしまっている。

 迷惑かもしれないけど、少しの間だけ我儘を言わせてください。


――――――


 それからの日々はあっという間で、アカデミー卒業の時はすぐにやってきた。


「結局、一度も首席になれなかったなぁ」


 隣を歩く彼に話しかける。

 こんな、なんてことのない会話ができるのも今日で最後だと思うと胸が痛くなる。


「総合ではな」


 真面目な彼は、今日まで頻繁に勉強に付き合ってくれていた。そのおかげで次席だけは誰にも譲ることなく卒業を迎えられた。


 首席をとれたらこの想いを告げてしまおうかなー、なんて浮ついたことを考えていた時もあった。まあ、彼はことごとく上回ってきたのでそんな考えはすぐになくなったが。


「今日で、卒業だね」


 当たり前のことを、呟いてしまう。

 アカデミーでの生活は楽しいものだった。それも全て、彼がいてくれたから。


 困らせることはわかってる。叶わない恋だとわかってる。それでも、想いを伝える最後の我儘を許してほしい。



「私ね、貴方のことが好きなの」



 彼の顔が驚きに染まる。

 ふふ、あんな表情初めて見れた。


「叶わないことはわかっているけど、どうしても伝えずにはいられなかった」


 涙は見せないと決めていたが、どうしても切なくなってくる。


「スルトザ、貴方に出会えて本当に良かった。貴方のおかげで、夢のような時間を過ごせました」


 話をする機会が増えて、仲良くなって、様付けすることもなくなっていた。それももう、終わりだ。


「ありがとう、本当に。これからも元気でいてね。何かあったら、医師になった私が今度は助けてあげるから!」


 強がって、少しおどけてそう言った。

 そうしないと、涙がこぼれてしまいそうだったから。


「だから、だから……」



 不意に、抱きしめられた。



「叶わないことなんて、ないさ」


 これまでにないくらい近くで、彼の声がする。

 驚いて、固まってしまった。


「……え?」


「恩義を気にして、君を縛るのではないかと思っていたが……」


 彼の温もりを感じる。

 そんな、こんなことがあっていいのだろうか。


「もう、気にする必要はないようだ」


 ああ、せっかく我慢していたのに。

 涙があふれてくるのを止められない。でもこの涙は、思っていたものとは違う温かなもので。


「ナリア、私も君のことが好きだ」


 夢のような時間は、まだ続いてくれるみたいだ。


――――――

――――

――


(き、緊張する……)


 今日は、待ちに待った晴れの日。

 

 たくさんの人が、私たちを祝福しに集まってくれている。マンノーラン伯爵家嫡男の結婚式ともなれば、それはもう参加希望の貴族が殺到したらしい。これでも、厳選したのだというのだから驚きだ。なんと、あの有名な第一皇子殿下まで参列してくれているそうだ。


 お父様と共に、大勢の人の祝福を受けながら、愛しい彼の元へ歩いていく。


 彼は、いつも通りの優しい表情でこちらを見つめていた。もう出会ってから随分経つのに、赤くなってしまう。

 

「ど、どうかな?」


 なんだか照れてしまって、そんなことを聞いてしまった。

 

「ナリア、君が世界で一番素敵だ」


 彼はいつもほしい言葉を言ってくれる。

 だけど、私の気持ちも負けてはいない。


「スルトザ、貴方が世界で一番素敵よ」


 二人で笑い合う。


 互いが互いの一番で。

 そんな関係が、ずっと続きますように。



 【END】

 

 


 お付き合いいただきありがとうございました。


 楽しく読んでいただけたのなら幸いです。もしよければ、下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で応援していただけたりすると嬉しいです!


――――――

 

 スルトザの妹サラマリアが主人公の長編、『マンノーラン伯爵家の落ちこぼれ次女〜人に誇れる才能のない私が、第一皇子様の専属護衛に!?〜』についても、よかったら読んであげてください。

https://ncode.syosetu.com/n5043jn/

 

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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