ライリー=アールベック
名乗った俺に反応したのは男の方だった。表情は髪や傷跡ではっきりしないが、驚いているらしいことは纏う雰囲気で感じた。感じたけど、彼が驚く理由が俺にはわからなかった。ローリーという名の人物に全く心当たりがなかったからだ。
「あの、なにか?」
驚いているせいか、それとも怪我の影響なのかはわからないが、俺の名を叫んだ男はそれっきり動かずにこちらを注視しているように、感じた。感じたと言うのは表情がわからなくてはっきりしなかったからだ。
ただ、女はそんな彼に何かを感じ取っているのか、不安そうな表情を浮かべていた。暫しの沈黙に埒が明かないと声をかければ、男はようやく我に返ったらしい。
「あ、ああ……すまない。し、知り合いに、似ていたもので……」
「知り合い? って、俺が?」
「ああ。弟が……ルーカスと言って、青緑の髪をしていたから……」
「え?」
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。弟がルーカス? 俺と同じ青緑の、髪? 青緑の髪は珍しい方だけど、そんな偶然が……いや、だが……
「あの……つかぬことを聞くけど、ライリーという男を知らないか? ライリー=アールベックだ」
「ラ、ライリーって……」
先に反応したのは女の方だった。どうやらその名を知っているらしい。そんな……とか、まさか……と呟いているのが聞こえた。
「ライリー……アールベック……」
「ローリー! ダメ!」
その名を呟く男を止めたのは、やっぱり女だった。どうやらこの女は兄を知っているらしい。というか……ここまで来たら、この男が兄さん、なんじゃないのか?
「なぁ、ローリーさんとやら。あんたがライリー=アールベックじゃないのか?」
「っ!」
「ローリー!!! やめて!!!」」
まどろっこしいのはもう十分だ。そう思った俺が核心を突くと、男が息を呑み、女が止めに入った。これは、肯定するのを止めるため、だろうか。
「ライ兄さん、なんだろう? 違うのか?」
「……!」
「ローリー!」
昔々、俺がまだ魔術師養成所に入る前に口にしていた呼び名で呼ぶと、ローリーと呼ばれる男が膝から崩れ、それを目にした女が慌てて支えようと手を伸ばした。
「ローリー! しっかりして!」
女が男を抱きかかえるようにして顔を覗き込んだが、男は既に意識を失ったのか、その瞳の色を確かめることは出来なかった。
それから俺は、意識を失った男を抱えてベッドへと運んだ。男は成人男性にしてはやけに軽くて、栄養状態がよくないのは明白だった。女も痩せて顔色も悪いし、肌や髪に艶がない。ここでの生活の苦しさが伝わってきた。
「彼のことを、話してくれないか? あの怪我や、ここに住んでいる経緯を」
もはや彼が兄であることは明らかに思えた。それに最後に会ったのは俺が六歳で兄さんが十一歳の時だったから、顔を見ても当人かなんてわかる筈もない。俺の薄れた記憶に残っているのは十一歳の兄さんだったから。
「…………」
「別にここにいたいなら連れ戻す気はないよ。俺と兄さんが最後に会ったのは二十二年も前だし。俺はただ、死んだと言われていた兄さんが本当に死んだのか、それを確かめたかっただけなんだ」
そう、既に二十二年も会っていない兄さんを、今更どうにかしようとは思わなかった。そりゃあ困っているなら助けたいとは思うけど、それも兄さんが望む場合だけだ。今更不用意に踏み込む気はなかった。そう思えるくらいには俺たちが離れていた時間は長すぎたと思う。
「……彼を、連れて帰ったりは……」
「しないよ。本人が望まない限りは」
「本人が……」
そう呟くと女性は暫く呆然としていた。それならと話をしないのは、本人がここを離れたいと言っているか、彼女は彼がここを離れたがっていると思っているか、だろうか。あの傷と見た目を思えば彼と一緒にいたいと思う女性は少ないだろうに、彼女は彼が離れていく不安を感じているようにも感じた。
「……彼は、ライリー=アールベックさん、です」
観念したと言った風の彼女が、重そうに口を開いた。彼女の話では、彼と出会ったのは五年ほど前で、十八の時に家出した彼女はここから歩いて三十分ほどのところにある町に住んでいたと言う。そこで大怪我を負った彼を見つけて街に連れ帰ったが、誰も彼を助けようとしなかった。そこで彼女が家に連れ帰って看病したところ、一命は取り留めたと言う。
ただ、彼女自身が町では世話になっている立場なのに更に厄介事を持ち込んだとして、彼が起き上がれるようになると二人揃って街を追い出された。元々余所者を拒絶する土地柄だったのも悪かったのだろう。その後二人はここにたどり着いて、猟師が残したらしいこの小屋に住み始めたと言う。
「それじゃ、あなたは兄さんの恩人だな」
「お、恩人? わ、私が?」
どうしたのだろうか。当然のことだろうに。彼女が見捨てていたら兄さんはとっくに死んでいただろう。だから彼女が恩人なのは間違いないのに、どうしてそんなに驚くのか不思議だった。




