黒杉の森の魔術師
一夜明けた。あれから一晩中様子を見ていたが、あの男が戻って来ることも、他の誰かがあの辺りを訪れることもなかった。平地で人目に付きやすいので、その後は認識障害の術をかけて移動した。これなら俺よりも魔力がある奴以外には見つからないはずだ。ないよりはマシだろう。
それから一日移動して、ようやくコルガナという街にたどり着いた。デルの話ではこの街は鍛冶屋や金属加工が盛んだという。大きなギルドがあるから素材が手に入りやすいのもその理由だと教えて貰った。異界は人が住めないと言われていたから、こんな街があるとは驚きだった。気分はすっかりお上りさんだ。初めての街に好奇心も疼く。
でも街の観光は後だ。今はネイトという魔術師を見つけるのが先なのだ。
「ごめんくださ―い。こちらにネイトさんはいらっしゃいますか―!」
二時間ほど森を彷徨って、俺は今、赤い屋根の家の前にいた。レンガ造りで壁には蔦が這い、ところどころに赤い花が咲いている。手入れもよく行き届いていて、とても空き家とは思えないんだけど……
「おっかしーなー。確かにここだと思うんだが……」
困ったことに呼んでも誰も出てこなかった。デルに持たされた地図からしても、場所は間違っていないだろう。デルに絵の才能がないのはこれを見れば一目瞭然だが、そこには確かに「黒杉の森の中」の「赤い屋根の建物』とある。街道で人に確認したところ、ここが黒杉の森で間違いないと言うし。
「う~ん、デルの話と違わないんだがなぁ……」
留守なんだろうか。もしかすると買い物にでも出ているのかもしれない。
「すみませーん! ネイトさん、いらっしゃいますかー! デルさんの紹介で来ました―!」
これで出て来なかったら出直そう。そう思いながら声を張り上げた。すると奥から、凄い勢いで足音が近づいてくるのが聞こえた。
「………デルだと!!!」
「うわっ!」
デルの名を叫びながら勢いよくドアが開いた。出てきたのは濃い茶色の髪に赤の瞳を持つ、かなり大柄な男性だった。年は……四十代後半から五十代前半だろうか。目が血走って、物凄く……怖いんだけど……
「こ、小僧! 今、何と言った?!!」
「ひぇっ?」
余りの剣幕に、ちょっとビビった。な、なんなんだ? まるで親の仇にあったような目だ。
「あ、あ~、あのですね、デルさんの紹介で、訪ねて、来たんです、けど……」
「デ、デルって、まさかデルミーラ様の?」
「え? デルミーラ? あの、碧水の湖の畔に住んでいるばあちゃんのことですが……」
「碧水の湖? ああ、そうだ! 確かそんな名前だったな!」
なんだろう、何だか凄く怒っている、ように見える? もしかしてデルに酷い目にあわされた、なんてオチじゃないだろうな。強欲なばあさんだからやり兼ねねぇんだけど。もしかしてデルの名を出したのは失敗だったのか? そういやデルミーラって名前だったのも知らなかったんだけど……
「いや~よく来てくれたな! デルミーラ様の知り合いならいつでも大歓迎だ!」
デルからの手紙を読み終えた彼は、そう言って盛大にもて成してくれた。「ちょっと肉を仕入れてくる」と言って、一角ベアをさくっと仕留めて来たんだが……
(一角ベアって、ちょっと仕入れてくるってレベルの肉じゃねぇんだけど……)
一角ベアは人の倍の大きさがあるし、ものすごく凶暴だ。帝国にいた時もよく侵入してきて、村一つ滅ぼした、なんて話は珍しくなかった。いくら魔術師だからって簡単に狩ってこれるもんじゃないだろうに……
彼がデルを特別に思っているのは間違いなかった。初対面の、ただ知り合いの知り合いというだけの若造なのに、こんな歓待を受けていいのだろうか。
それでも一角ベアの肉は美味かった。まともに肉を食ったのはいつ以来だろうか……魔術師やっていた時でも、こんなに美味い肉を食べたことはなかったと思う。
「それで、今日はどういった用件だ? デルミーラ様の紹介なら、出来る事は何でもしよう」
そこまで言われると、デルは一体何をしたんだ? と思ってしまった。よっぽど恩を感じる事があったのだろうか。とは言え、初対面でそこを聞くのはさすがに野暮というものだろう。
「実は……」
デルの話では、ネイトさんには俺の正体を話しても大丈夫だとは聞いていたけれど、言わずに済むならそれに越したことはないだろう。俺は一先ず用件だけ話すことにした。
「変装を維持する方法、か」
俺の話を聞き終えたネイトさんが、重々しく呟いた。何だろう、あんまりいい感じがしない……
「お前さん、それで何をするつもりだ?」
怖い顔のネイトさんの表情が、一層険しくなった。




