異界で初めて人を訪ねる
「忘れ物はないかい? 紹介状と地図は持ったか? ああ、あと手土産代わりに碧雲石とかの石も持って行くんだよ。ありゃあ、街ではそこそこいい値が付くからね。それから当面酒は飲むんじゃないよ。ドラゴンだからって酒に強いわけじゃないからね。それから……」
「わーかったって! もうそれ何十回も聞いたから!」
俺は今、ドラゴンになって初めて人を訪ねて行くところだった。人化の魔術の訓練を始めてから半月。ようやく三日間人の状態を続けることが出来るようになった俺は、デルが言っていた魔道具を作る職人を訪ねることにしたのだ。
行き先はここから馬車で十日ほどの距離にある、コルナガという街の近くの「黒杉の森」だ。デルは今依頼を抱えていて動けないから、俺一人で行く事になったのだ。けど……
「ちょっと人を訪ねるくらい、大丈夫だって」
「そうは言うが、お前さんにとっては初めてじゃろうが」
「そりゃあそうだけど。でも俺、つい最近までは帝国で魔術師やってたんだぞ?」
「お前なんぞ、わしから見たらまだまだひよっこじゃわい」
俺、もう三十近いんだけどそんなに頼りなく見えるのか? そりゃあ、こっちのことはよく知らないし、今は人でもなくドラゴンだけど。それでも一応一般常識はある筈で、ここまで心配されるほど頼りなくもないと思うんだが……
「帝国のことは知らんが、帝国なんぞ魔素の薄い魔獣のいない場所じゃろうが。こっちは強い魔獣がうじゃうじゃいるんじゃ。気を抜いたらお前さんなんぞ、アッという間に食われちまうわい」
「え? ひょっとして……ドラゴンを食う魔獣、いるのか?」
「いてたまるか、そんなもん」
そんなもんって……突っ込みどころ満載だけど、これはきっとデルなりに心配してくれているのだろうか。口も性格も悪いしがめつい守銭奴だけど、いいところもあったんだ……
「お前さんが帰ってこなくなったら、鱗や碧雲石が手に入らなくなるからな。そんなことになったら大損じゃ」
「……」
前言撤回。胸張ってそこまで言わなくてもいいだろう。やっぱりとんでもねぇ性悪ばばぁだった。俺がいない間大丈夫かと心配した俺の気持ちを返せ。
「いいか。道中はドラゴンにも気を付けるんじゃぞ。あいつらは縄張り意識が強いから、余所者が入り込んでくると問答無用で攻撃してくるからな」
「はいはい」
それならこの湖にたどり着くまでに経験済みだ。まぁ、なんとかなるだろう。
「じゃ、行ってくるわ」
「おう! 気を付けて行ってくるんじゃぞ。土産はコルナガの果実酒と一角ベアの肉でいいからな!」
「……」
ちゃっかり土産の指定までされてしまった。餞別貰ってませんけど? いや、異界ではそういう習慣はないのかもしれないけど……
全く、いい年して未だに酒豪で肉大好きの大食漢なんだから凄いなと思う。あんだけ元気なのはやっぱり食事なのかもしれない。そう思いながら俺はドラゴンの姿に変わると、空へと飛び立った。
空を飛ぶ感覚が気持ちいい。ドラゴンになってよかったと思えるものの一つがこれだ。息継ぎなしで水の中を泳ぐのも捨てがたいけど。どっちも人間では味わえなかった爽快感があった。
魔獣に襲われる心配がないのもいい。ドラゴンを襲おうとするのは同種のドラゴンか、素材狙いの人間くらいだ。ある意味俺の今の一番の天敵は人間だったりする。
コルナガの街はドラゴンなら二日飛べば着くだろうとデルから教わった。山も谷もドラゴンには関係ないからだ。目印は遠くに見える一年中頂上に雪が残るザガーネア山だ。あの山の方角に向かって飛んでいくと大きな川があって、その川を越えた先にある大きな街がコルナガだという。まずはそこだ。
一日目は何の問題もなく過ぎた。ドラゴンに出会うこともなく、人間がいそうな場所もなく、高い山と深い森だけがあった。帝国の側のような紫色の空もない。デルに聞いたがあれは無理やり結界で魔素をはじき出しているから、その反動で不自然に魔素が濃くなっているのではないかと言っていた。デルが言うにはこっちではスタンピードなんて滅多にないらしいから、一理あるのかもしれない。
二日目も順調だった。少しずつ山が森に代わり、平地へと変わっていった。ところどころに人が住んでいるらしい集落も見える。そろそろこの姿ではまずいか。どこか下りて変身できる場所を……
「どっ、ぅわぁあああ?!」
そう思った瞬間、またしても背中にとんでもない衝撃を受けた。




