コントロールされていた感情
「感情を抑える?」
「ああ。こっちでも以前あったことさ。兵士の感情をコントロールする魔道具を作ったことがね」
「兵士の感情を? それはどうし……」
そう言いかけて、俺はその理由に行き当たった。そうか、感情をコントロールしてしまえば命令に忠実な兵士が出来る。そうなれば……
「そういうことだよ。危険な命令も厭わない兵士。死の恐怖を感じなければ、どんな無茶な命令でも従うだろうよ。そこに破格の褒賞をちらつかせれば尚更さね」
吐き捨てるようにデルが言った。確かにその通りだ。恐怖を感じなければ、報酬欲しさに兵は命令に従うだろう。それが決して生き残れないような作戦だったとしても。それじゃ……
「それじゃぁ……」
「ああ、安心おし。昔のことさ。今はそういった類の魔道具の使用は禁止されているからね」
そうか。そう聞いて少し安心した。それでも、それまでに相当な数の命が失われたのだろう。
「魔術師にとっても感情は不安要素だ。怒りで術の効果が上がることもあるが、一方でコントロールが利かなくなる危険性も上がるからね」
「あ、ああ……」
確かにその通りだ。だから養成学校では感情をコントロールすることをまずは教えられた。そうでなければ魔術の実技も受けられなかったから。そして今ならわかる。どんなことがあっても耐える訓練という名目で、あのカーストが出来上がっていたのだ。あれは確かに怒りをコントロールする訓練でもあったが、一方で従順にするための刷り込みでもあったのだろう。
「魔術師になる時に、何か渡されなかったかい?」
「何か、って……」
「魔道具と思われるようなものだよ」
「魔道具のような……?」
魔術師になった頃の記憶を辿った。そう言えば、魔術師には魔術師の証として指輪が支給されていた。階級章代わりのネックレスもだ。
「指輪と、ネックレスが……魔術師の証だと。魔術師だとわかるように、常時持ち歩くようにと言われて……」
「ああ、それだろうね。寝ている時も外すなって言われていただろう?」
「あ、ああ……」
確かにネックレスの方は寝ている時も外さないように言われていたっけ……そう言えば、あんなに理不尽な職場だったのに、誰も不満を口にしなかった。今にして思えばそれも不自然だ。
「ずっと感情を抑え込まれていたんだろうよ。お前さん、年の割には言動が子供っぽいし」
「な……!」
「兵士たちもそうだったって話だよ。感情の成長が止まってしまうんだろうって言われているさね」
馬鹿にされたかと思ったけれど、そうではなかったらしい。自覚はないがそう見えるのか?
「お前さんが怒りを感じるようになったのは、解放されたせいじゃろうな」
デルの言う通りだった。確かに俺たち魔術師が待遇改善を訴えたら、それは容易かっただろう。結界を盾にすれば帝国はどんな要求にも否やとは言えなかっただろうから。あんなに過酷なのに誰も不満を言わず、大怪我や病気以外の理由で辞める者も殆どいなかった。
そして、兄さんが亡くなった時に、悲しみしか感じなかったのも。感情のまま怒りを露わにしていたら、俺は許可など得ずにさっさと兄さんの元に向かっただろう。そしてどんなことをしてでも兄さんを探し、死んだ時の状況も調べつくした筈だ。そして多分、そんな状況に追いやった実家の母と兄を許さなかっただろう。
「あいつら……」
上司だけでじゃない。初めて帝国そのものに怒りが湧いた。人を弄ぶのも大概にしろ!
「まぁ、国をまとめる側にしちゃ、必然だったろうよ」
「だからって……!」
「為政者なんてそんなもんさ。個よりも全体を見る。個々の事情を汲み取っていたら全体を生かすことなんか出来ないだろうよ」
「それは……」
デルの言う事も最もで、俺は反論出来なかった。確かに個人の事情を優先していたら、何も進まない。俺だってスタンピードを収めるため、住民の個別の事情など聞いていられなかった。家や畑を守ってくれとよく言われたが、それでは全員を助けることなど出来なかっただろう。俺たちにとっては人命を失わないことが最優先だったから。
「世の中なんて理不尽なもんさね」
デルの言葉は彼女らしくない弱々しいもので、そこにはどこか自嘲めいたものが含まれているようにも思えた。そう言えば、彼女の過去を俺は知らない。家族がいるのか、どこの出身なのか、どうやって魔術師になったのかもだ。
俺のことは根掘り葉掘り聞きだすのに、自分のことは一切喋らなかった。言いたくないなら聞くつもりはないが、彼女にも何か事情があるのだと改めて思った。




