催眠ラジオ
『本日の「ミッドナイト☆ラヂオ」ですが、担当が急病のため私が代わってMCを務めさせていただきますので、何卒よろしくお願いいたします』
午前零時に始まったラジオ番組の冒頭、いつもの若い女性の声とは違って中年と思しき女性の艶っぽい声で、そんなアナウンスがなされた。
「ふ~ん。いつもの人は休みかぁ」
文庫本程の大きさの黒くてゴツいラジオ。机の上に立つそれを、僕は何の気なしに見つめた。カードサイズ程の大きさで以って電話やらネットやらの品質の高い相互通信が出来るこの時代に、ただ単にラジオを聞くという単一機能しか持たないアナログな箱。それは数年前に祖父が亡くなった際の遺品整理で見つけたものだった。手にしたそれを珍しそうに見ていたら「使ってあげて」と祖母が僕にくれた物。その黒い箱には今時当たり前のタッチパネルなんて物は存在せず、側面に設けられた物理的なボタンでオンオフを行い、同様に設けられた物理的なダイヤルで音量を調節し、更にもう1つの物理的なダイヤルで以ってラジオ局の選局を行う。ただ今の時代、携帯電話にラジオ機能が存在するが故にラジオを聞く事だけしか出来ない機械は不便であり不必要と言える。それに音質も良くない。だがそんな不便な箱から出される質の悪い音が何故だか心地良い。といっても敢えてラジオを聞きたくて聞いている訳ではない。あくまでも大学受験に向けての勉強をする際に夜の妙な静けさを打ち消してほしいが為のBGMといったつもりで聞いているだけである。なので勉強の邪魔にさえならなければ誰がMCであろうが関係は無く、音質の悪さも却って心地良く都合が良いのである。
『そうそう、私ね、実は催眠術が得意なの』
女性は少しばかりの自己紹介と興味の湧かない時事ネタをいくつかしゃべり終えると、得意げな様子で以ってそんな事を言い放った。
『じゃあ、今ラジオをお聞きの皆さんに対して催眠術をかけますので、ちゃんと聞いていてくださいね。あ、でも安心して下さいね。番組の最後には催眠を解きますから。ふふ』
「何言ってんだこの人?」
僕は催眠術なんて物を信じていない。なのでどうでも良いのだが、仮に彼女が本当に催眠術をかけられる人なのだとしたならば、その「ラジオで以って催眠術をかける」という行為、それは悪く言えば「不特定多数の全リスナーに対する無差別攻撃」と言えなくもない。いつものMCが明るい雰囲気で以ってそんな事を口にしているのならばおふざけとして受け取れもするが、代役としてきた全く知らない人が落ち着いたトーンで以ってそんな事を口にするとなると少々違和感……いや不快感を覚えると同時に「万が一にもなんて事にならないのだろうか」という一抹の不安を覚えた。だからといって信じている訳ではない。信じている訳ではないが、「ラジオで催眠術」という試みにはほんのちょっとだけ興味が沸いた。既に日付も変わった午前零時。そんな時刻が時刻なだけに「眠くな~れ眠くな~れ」なんて言われたら普通に寝てしまいそうだし、「羊が1匹、羊が~」なんていう暗示にも似た結果をもたらすのだろうかという興味。というか、本来は受験勉強のBGMとして聞いているだけなので興味の無い話を静かなリズムで延々としてくれる事だけを望んでいた訳であり、こんな勉強の手を止めてしまうような話題をされると困ると言えば困るのだが……
『あなたの体は徐々に徐々に動かなくなります』
女性はゆったりとした口調で以ってそう言った。
「なんだ? てっきり眠りを誘う様な事を言うのかと思ったら金縛りみたいなやつか?」
『徐々に徐々に動かなくなります』
僕は女性のその言葉を嘲笑うかのようにして背筋を伸ばすと、ストレッチする様にして両の肩と腕をグルグルと回し始めた。
『徐々に徐々に動かなくなります』
女性は何度も繰り返す。僕はそれを鼻で笑いながら肩と腕をグルグル回す。
『徐々に徐々に動かなくなります』
「…………ん?」
グルグルと回していた腕がふと重くなった気がした。
『徐々に徐々に動かなくなります』
気のせいだろうか……。
『徐々に徐々に動かなくなります』
いや、気のせいでは無い。あきらかに腕が重くなった。
『徐々に徐々に動かなくなります』
「!」
不意に腕がダランと垂れ下がり上げる事が出来なくなった。目一杯力をいれても一切動かない。
『徐々に徐々に動かなくなります』
女性の言葉に従い体全体の動きが制限されてゆき、腕はおろか脚も固定された様にして動かせない。
『徐々に徐々に動かなくなります』
「う、嘘だ……ろ……」
繰り返される女性のその言葉に従い僕の体の全てが自分の意思に対して何らの反応を見せず指先一つ動かせなくなり口も回らなくなり、かろうじて動くのは眼球だけ。その眼球は「本当に催眠術なんて物が存在するのか」という驚きを表すかのようにしてギョロギョロと動きまわる。
『徐々に徐々に動かなくなります』
女性の言う通りに体は動かなくなった。だがここで「ひょっとして催眠術にかかったのではなく何らかの病気を発症したのでは?」と思い至る。だとしたら一刻を争う事態であり、別の部屋で就寝している両親に助けを求めるべく大きな声で叫ぶ。
「ガ……ガヘカ……ガフゲケ……」
力を振り絞って叫ぶも上手く言葉にならないし大きい声も出せない。
「ガ……ガヘカ……」
声も出せないし体も一向に動かせない。もし本当に病気を発症したのだとしたら一刻も早く病院へ連れて行って欲しい。そうでないと今ここで僕の全てが終わってしまう!
『どうです? 動かなくなったでしょ? 私、凄いでしょ?』
「ガ……ガヘカ……」
力一杯叫ぼうとも誰も気付いてはくれない。そんな突然にして絶望的な状況にどっと涙が溢れ返り零れ落ちてゆく。そしてそんな弱気になったが故か「実は本当に催眠術にかかったのでは」という考えが頭の中を巡る。いや「病気であって欲しくない」という思いがそんなオカルト的な物を信じたいという気持ちにさせたのかもしれない。だが理系の学部を目指す僕がこんなオカルト的な事など信じたくなどない。いや信じたくはないが、これが催眠術の結果で無いというのならば、体が全く動かないという今の状況は非常に深刻な病状を発症したと言え、それを誰にも気付いて貰えず助けも呼べない状況は絶望以外の何物でもない。故にそんなオカルト的な話すらも藁にもすがる思いで信じたいというだけだ。それに「催眠術の結果である」と言える要素が無くも無い。それは女性が話し始めた途端に女性の言う通りの状況になっているという確固たる状況証拠……だがやはり信じたくはない。決して信じたくはないが、それを否定するという事は非常に深刻な病気を発症した可能性があるという事になり、つまりそれは今ここで僕の未来が閉ざされたと、そう言える状況になってしまう……
『さて、そろそろ番組の終わりの時間ですね。では催眠術を解きますね』
ようやく番組が終わる。もしもこれで女性の言う通り体が自由になれば催眠術が本物であるという可能性が出てくる。だがもしも状況に何ら変化が無ければ突発的に病気を発症した事になる。それも助けを呼ぶ事も出来ない程の深刻且つ絶望的な症状……
『では両の腕を胸の前で交差させ、手は固く握り、首を垂れつつ目を瞑り、「縺ゅ>縺?∴縺翫°縺阪¥縺代%縺輔@縺吶○縺?」と3回念じてください』
「!」
何を言ってるんだこのバカ女は! 手なんか動くか! そもそもお前が動かなくさせたんだろうが! つうか念じろって言うが何て言ったのか全然聞こえなかったぞ! ちゃんとした日本語で話せ!
『どうです? 解けましたか? 解けたでしょ?』
「グッガッ! ガガガガグガガガァァ ガアガガガッ』
僕は機械であるラジオに向かって言葉にはならない怒りの言葉をぶつけた。勿論それが無意味であり滑稽である事は重々承知ではあるが、それでも機械に向かって怒りをぶつけ続ける。
「グアッ……ハガガガ……」
色々な罵声を口から出したつもりが全く言葉にならない。おまけに喉が渇き始めて言葉にならない声すらも出せなくなってきた。
『ね? 私、結構凄いでしょ?』
「……」
僕は「アンタの凄さは体が動かないような術をかけておいたくせに、術を解くのに腕を動かせなんて言っている馬鹿さ加減だよ」と心の中で激しく罵った。
『それじゃあそろそろ終わりますかね』
「!?」
終わる? このまま終わるのか? 僕の体を動かない状態にしたまま終わるという事なのか? それとも番組が終わればこの術は解けるのか?
「!」
6帖程の密室と呼べる部屋の中は勉強に集中出来るようにと部屋の照明は点けずに机の上のデスクライトだけが点いていた。そんな暗い部屋の中でふと背後に人の気配を感じた。だが体が動かない状況にあっては振り返ったりして確認する事など出来はしない。
「では、さようなら」
「!」
そう耳元でゆったりと囁くような女の声が聞こえた瞬間、僕の中で唯一動いていた物が止まった。そしてラジオのスピーカーからは「サー」という砂嵐の音が流れ始めた。それと同時に視界が急速にしぼみだし、更には耳も遠くなり始めた。そんな全てが消えてゆく中で、僕の目に何かが映った。それは透けるような白さの人の腕の様な細長い何か。その白い何かは机の上に立つラジオの方へと向かってのびてゆき、「パチッ」とラジオの電源ボタンをそっと押した。そして僕の元に完全なる暗闇と静寂が訪れた。
◇
『速報です。本日未明より「人が亡くなった」という通報が各都道府県の消防当局に対し相次いでいる問題で、その人数が全国で千人を突破したと、先程政府から発表がありました。またそれら亡くなった方々の詳しい死因は不明なれども、亡くなった全ての方々の身体には何ら外傷は見当たらず争った形跡も無く、更には亡くなった方々の年齢も性別も住んでる場所もバラバラであり且つそれらの方々に何らかの繋がりを示す物等は何1つ見当たらない事からも、現時点で事件性は無いとの事です。また記者からの「同時多発的に人が亡くなった今の状況は自然な状況だと思うのか」との問いに対しては、「あくまでも大勢の方が亡くなった時刻が近かったというだけであり、政府としてはただただ御遺族に対しお悔やみを申し上げるのみである」との事でした。そして政府からのお願いとして、今回の件に関し真偽不明な陰謀論等を説くなどして亡くなられた方々やその御遺族に対しては勿論の事、無関係の人や団体に対しての誹謗中傷等は決して行わないようにという注意勧告もなされました。また政府消息筋によりますと、同様の事象で亡くなっているにもかかわらず独り身等で発見されていない方がいる可能性が無いとはいえず、今後更に同様の死者数が増える可能性は否定できないとの事です』
2022年07月17日 初版
「夏のホラー2022」企画投稿作品/テーマ「ラジオ」