4 困惑、へっぽこ魔法とリス
私があの場にいてはいけなかった…。
大いに反省し、がっくりとうなだれた。
しかし、書斎に戻るとアルは私を肩に乗せたまま、
「ようやく本性を見せたな」
と、窓の向こう、ぷりぷりと怒りながら帰って行くカタリーナ様を見ていた。
「悪い子だな、勝手に応接室に入って…」
そう言いながらも、私を机の上にそっと下ろし、笑顔で私の頬から耳の後ろを指で撫でるその仕草はかなり機嫌が良さそうに見える。こっちも気持ちが良くて、目を細めちゃう。
「おかげで、見たかったものが見れた」
その口ぶりからして、カタリーナ様の事を全く知らない訳ではなさそうだ。
ペンをねだると、ペンを渡してくれて、紙も敷いてくれた。
ごめんなさい
「エリィが気にすることはない。あれはああいう人間だ」
かたりーな やばい だいじょーぶ?
アルは書斎の椅子に腰掛けると、私を観察するようにじいっと見た。
「エリィ、…君は、本当は、人間?」
そのものズバリ、の質問に、答えていいかかなり迷いながらも、こくり、と頷いた。
「…何だかね、君から魔法の匂いがするんだよ」
臭い?
あのかけられた液体の臭いが残ってるんだろうか。
思わず尻尾を掴んでクンクン臭うと、
「別に臭い訳じゃない」
と、笑われてしまった。
「少し、話し合おうか」
そう言って、ペンを私から取り上げると、両手で私をすくうように持ち上げて、左手の平に乗せた。
卓上を軽く三回叩き、指先を私の頭の上で三回、時計回りに回すと、指から虹色の光が出てきて、シュルシュルと糸のように体に巻き付いていった。
魔法だ。リスにされたあの変な魔法とは全然違う。ギクシャクしてなくて、なめらかで、透き通っている。とてもきれい。
「さて、エリィ。これで話せるかな?」
「 ハナシ… 」
お、声じゃないけど何か、話をするように伝えられる。なんだこれ??
「 あー、あー、あー、 聞こえますか? 」
ぷっと、アルが吹き出した。
「聞こえるよ」
書かなくても言葉を伝えられる。これはありがたい。
文字を書いても、あんな大きなペンじゃ、まどろっこしいんだもの。
「 こんにちは。リスのエリィです 」
「エリィはいくつだ?」
「 リスになって三日目、くらい? 」
正直に話すと、さすがに驚いた顔をされた。
「誰かに、魔法をかけられたのか?」
こくりと頷くと、アルは何度か頷いて、鋭い目で私を分析するかのように見つめた。まるで、魔法のかけらを感じ取ろうとしているかのよう。
「今いたカタリーナ嬢は、知り合い?」
こくこく。
「もしかして、リスになったのに絡んでる?」
…それは、果たして返事をしていいものだろうか。
首を縦にも横にも振れず、固まっていると、
「魔法はね、因縁に引き寄せられるものなんだよ。…ちょっと頭を覗かせてもらうよ」
そして、ツンツン、と私の頭を二回つつくと、つつかれたところから紫色の雲がもやもやもや、と湧き出てきた。
アルが覗き込むのを真似て、私も覗いてみると、もやの中心がだんだん白くなってきて、何かを映し出していた。
私がいる。人間の私。
入った部屋の中には、カタリーナ様と魔法使い。
カタリーナ様の肩を抱いて、私に怒鳴りつける。
カタリーナ様、私にあっかんべーしてる。あの顔、むかつく。
薬の瓶を出して私に向けてふりかける。逃げたけど、液体がかかる。
紙を見ながら読む変な呪文は、やっぱりたどだどしくって、変な感じ。
「ふっ」
アルが鼻で笑った…。口は歪んでるけど、目が笑ってない。
私の記憶にして、私とは違う目線の事実。…これは何?
服の中に引き込まれるように私が見えなくなる。
出て行く二人。
私の服がぺったんこになって床に広がり、もぞもぞ動き出す。小さいもぞもぞが布をかき分け、ひょっと顔を覗かせたら、…リスだ。
扉の向こうで、へっぽこ魔法使いがカタリーナ様の頬にキスをした。カタリーナ様は別の方を見ながらにやりと笑って、満足した様子で、わっわっわ、お屋敷の廊下でそんな、婚約者がいるのに別の男と熱いチューを交わして、駄目です、駄目、抱き合っちゃダメダメ!!
尻尾を逆立てて紫の雲に突進しようとした私を見て、アルがシュッと指を振ると、雲は瞬く間に消えてしまった。
恐る恐る、アルの方に目を向けると、何だかものすごーく悪い人のような顔になっていた。ニヤニヤ笑いながら、
「やはり、彼女は必然じゃなかったか」
と言うと、私の眉間を指で撫でた。
「虫にならなくて良かったな。リスでなきゃ、さすがに俺でも君を拾えなかった。あのド素人魔法使いには感謝すべきだろうか」
虫になる魔法だったってわかったんだ。さすが。でも、
「 感謝? 感謝…したくないなぁ 」
「そうだよなあ。あのへたくそな魔法、五日じゃ解けないかも知れない」
ええーーーーっ! もしかして、わたし、このまま一生、リス…?
リス、涙はうまく出ないけど、心は泣いている。
「心配しなくても、ずっとここで過ごせばいい」
「 カタリーナ様と一緒に暮らしたくない。それくらいなら、出て行く 」
「あれと君とを選べって? …あり得ないな」
「 あれ? あれ扱い? あなたの婚約者様ですよ? 」
ふふふ、と笑みを浮かべたアルは、
「俺は今まで、婚約した人は五人いるけど、一度も結婚まで至らなかった。魔法使いは、自分に適さないものを受け入れないようになっている。今回だって、ここまで来たから、あの女をしつけながら生きていくのが運命かと思っていたが、パーツが足りなかっただけのようだ」
「 パーツ? 」
「あの女を何とかして欲しいと願う者は多いようだ。だが、それは俺の役目ではなかった。心から安心したよ」
うーん、言ってることがちょっとわからない。
「 でも、あと四日後、結婚するんでしょ? 」
「さあ、するのかなあ。どう思う?」
「 どうって…。こっちはそれどころじゃ… 」
人間に戻れないかも知れないし…。あと二日ほどで戻れると思ってたのに、このままリスか…。
ちろっと視線を上げると、素敵な笑顔で、目の前に素敵なクルミを差し出された。
クルミを受け取って、ほじほじと前歯で少しづつかみ砕き、はあ。と溜息をついた。
あの後、アルはカタリーナ様が投げて割ったカップについて苦情をドロヴァンティ伯爵様に申し立て、「怒りのまま、故意にカップを割るような令嬢とは思いませんでした。どうしたものか…」と牽制したらしい。
翌朝、まさかカップ一個で結婚を取りやめにされてはかなわない、と、伯爵様の使いがすっ飛んできて、訪問を打診した。
何の話をしてたのか、その日の夜、仕事の後だったのに遅くまで結構長い時間話し込み、結局結婚式はそのまま挙行する事になったらしい。挙式まであと三日。さすがにここに来てドタキャンはなかったか。
そしてその翌日になっても、やはり私はリスのままだった。
アルの見立てを信じてなかった訳じゃないけど、わずかな希望は捨ててなかったのに。
日に日にクルミはおいしくなるし、ドングリも食べられるし、野菜もお肉もおいしいし、執事さんもメイドさんもみんな優しいし、ここでのリス生活は実に快適だけど、でもこの暮らしもあと二日。私がリスだろうと、リスでなかろうと…
カタリーナ様が来る前に、そっと裏の林にでも小屋を作ってもらって、カタリーナ様がいない時だけ遊びに来るってのはどうだろう。
提案はしてみたけど、アルに笑顔で却下された。