3 驚愕、カタリーナ様襲来
翌朝は、出かける寸前までアルの肩に乗り、頃合いを見計らって執事さんの肩に乗り換えると、ちょっと寂しそうな顔をしながらも、いい子でお仕事に出かけた。
執事さんは書斎の窓辺の一等地まで私を送ると、後は自由にさせてくれた。
ぐーたら以外にすることが見つからない。
このサイズではお掃除のひとつもしてあげられないし。
本を読もうにも、活字がでかすぎて、一語一語を見極めるのが大変。床に置いて、椅子の上から覗くと何となく文章として読めはするけど、哲学の本なんか見ても大して面白くもなかった。
窓の外を見ると、家の中にいろんな人が入ってきては出ていく。
何か荷物を運び込んでいるよう。それも結構な量。
引っ越しか、模様替えでもあるのかな。奥様のお嫁入りの準備かな。
メイドさんが来て、お水や食べ物を置いていってくれた。
そっと手を伸ばして、頭を指で撫でられる。
大人しくしていると、少し離れて手を振ったので、私も手を振り返すと、笑顔で次の仕事に戻っていった。
お屋敷の人、みんないい人だなあ。よかった。
ドロヴァンティ家も、いい人なんだよ、大半はね。ただ、一人でもとんでもないのがいると、その一人にみんな巻き込まれて荒れてしまうだけ。
追い出せるドロヴァンティ家はいいけど、受け入れる側は、まさかそんな相手が来るとは思ってないだろうなあ…。
夕方、戻ってきたアルは真っ直ぐ書斎にやって来て、私の無事を確認した。
飼ったばっかりのペットが気になって仕方がない少年のようだ。
「元気にしてたか?」
こく。
ほっぺたを指先でつんつんして、
「ため込んでないな」
ため込んでませんよ。
頬に食べ物をため込むのが見たいのか、いっぱいクルミを出してきた。
どれくらい入るんだろう。
自分でも試してみたくなり、出してもらえるがままに口に突っ込んでいたら、途中で止められた。
外から見て、やばいことになってるのかも知れない。
これ、この口の中の、どうしたらいいんだろう。
一旦口から出して、後でゆっくりいただくことにした。
せっかく寝床に隠しておいたクルミは、いつの間にか片付けられてしまった。もったいない。
次からは、口の中にためるの、やめよう。
その日の夕食も同席した。リス定食も用意されている。
「明日のドロヴァンティ様との打ち合わせは、午後にして欲しいとご依頼がありましたが」
いきなり出てきたその名前に、危うく豆を喉に詰まらせるところだった。
ドロヴァンティって、…
「承知した、と伝えてくれ。伯爵も来るのか?」
「いえ、カタリーナ様だけで」
ぐふっ、げほげほげほ。
か、か、か、か、
カタリーナ様? ドロヴァンティの、カタリーナ?
も、もしや、ここは。
リゴッティ家なのか??
そしてアル、君は、君の本当の名前は、アルフォンソか!!
や、やばい。
まずやばいのは、カタリーナ様が来る明日。
そして最もやばいのは、この穏やかなリゴッティ家に、明るい未来がないことだ。
知ってるのかな。多分、知らないよね、あの、強烈なカタリーナ様。
知ってて引き受けるのなら、止めないけど。しかし、今更わかったところで、お式はまもなく。もう取り返しのつかないところまで来ている。
昼間運び込んでいたのは、多分花嫁道具だ。家具も一流のものをオーダーしてたし、服も半端ない量だった。あんなにいるんだろうかと思うほどあるのに、まだ追加のおねだりをしてたし。
ああ、アル君。ご愁傷様。
私がリスでなければ、事と次第を語ってあげるんだけど…。知らない方が幸せって事もあるかな…。ないよね。もう一週間後には、身に染みるだろうし。
翌日は朝から仕事は休みだったようで、午前中は書斎で仕事をして、時々ちょっかいをかけられはしたけれど、あまり遊びに熱中しない私をみて、そっとしておいてくれた。
そして時間が来て、来客の呼び出し。
「旦那様、カタリーナ様がお越しになりました」
応接室に移動するアル。大人しく書斎で丸まっていたけど、メイドさんが書斎のお茶を引きに来たタイミングでこっそりと部屋を抜け出した。
廊下を走っていると、扉が開き、お茶を出し終えて下がる侍女さんの姿が見えた。扉が閉まる前にそっと中に入り込み、ソファの影になるようにゆっくりと部屋を回ってアルの背後に行くと、ソファの背によじ登り、顔だけ出して様子を見る。
間違いない。あのカタリーナ様だ。
笑顔をまき散らし、かわいく見せようとしているのか、くねくねしながら、もう一週間を切った式のちょっとした段取り確認とか、新しい部屋の配置とか話している。
アルは時々お茶をすすりながら、笑顔を作り、ほぼ聞く一方。
執事さんが私に気がついたけど、こくこくと頷くと、察してくれたのか、特に何も言わず、気付かないふりをしてくれた。
さっき出て行った侍女さんが戻ってきて、
「大変失礼致しました」
そう言ってシュガーポットを入れ替えた。すかさずカタリーナ様が、
「いいこと? 私は粒の細かな、さらさらのお砂糖がいいの。今後この家で飲み物にお砂糖を出す時は、必ず粒の細かなのにしてちょうだいね。固まったのは嫌よ」
…げ。もうすぐ結婚するとは言え、よそんちの砂糖にケチつけてるのか。
家では固まりでも茶色でも白でも、文句言ったことないくせに。
いや、この前は、スミレの花の着いた飾り砂糖じゃないと嫌だ、と、シュガーポットをひっくり返してたっけな。
お高いお砂糖が出るだけありがたいと思えないもんだろうか…。
執事さんも、顔に出さないように努めてるけど、ちょっと顔をしかめてる。
こんなもんじゃないですよ、この人は。相手に謝らせるためにわざと因縁つけてるんだから。
シーン、と静まり、しばらく冷たい空気が漂う中、
「失礼ながら…」
ティーカップを下に置くと、アルがカタリーナ様をじっと見据えた。
「文句をつける割に、砂糖を使わないんですね」
カタリーナ様が笑顔のまま首をかしげた。
「使わない物を入れ替えさせるために、侍女を動かしたのですか?」
「…それが何か?」
あ、眉間にしわ。ちょっとプチッ、なツボを押したかも。
「私は、やるだけ無駄な仕事を家の者に押しつけることはありません。あなたもそのつもりで」
カタリーナ様の手がブルブルと震えてる。
騙されないでね、あれ、びびってるんじゃないから。怒りを見せないように我慢し、ごまかしているから。
ティーカップを置く音が少し乱雑だった。家ならそのままカップが飛んでくるパターンだけど、何とかこらえきったらしい。つまんないな。やってしまえば面白かったのに。と、不謹慎なことを考えていたら、
やばい、目があった。
「きゃあああっ、な、なに、それ!」
いきなり扇を投げつけられ、さっとよけたものの、全身をさらけ出してしまった。
「いつの間に…」
ソファの背を走り抜け、執事さんのところまで行くと、ジャンプして肩に乗っかり、首の後ろに逃げた。
それを見たアルが眉をひそめて「ちっ」と舌打ちした。しかし、すぐに何もなかったかのように笑みを浮かべると、
「驚かせてすみません。我が家のリスですよ」
穏やかにカタリーナ様に説明するも、
「獣が家の中にいるなんて、信じられない」
と、興奮スイッチが入ってしまったカタリーナ様は、容赦しない。
「あんなものと一緒に暮らすなんて、ありえないわ。私が来る前にとっとと捨ててくださいませ」
その瞬間、アルの目が冷たく光り、カタリーナ様を見下すように睨み付けた。
さすがのカタリーナ様も息をのみ、その迫力に体を後ろに引いた。
「…善処、しましょう。…フェルモ、カタリーナ嬢がお帰りだ」
アルは立ち上がると、さっき私に向かって投げた扇を拾ってカタリーナ様の目の前に置いた。
そして執事のフェルモさんの肩の近くに手を伸ばすと、その後ろにいる私を手招きした。
そのままアルの手を伝って肩に乗ると、客人であるカタリーナ様をその場に残したまま、私を連れて応接室を出て行った。
ガチャン、と何かが割れる大きな音が扉の向こうから聞こえてきた。