王狼の籠手 2
「それじゃあちょっとお隣さん手伝ってきますよ」
「おう、いってこい。お前ならなんとかできるだろ」
「なんとかするのが仕事ですんで。あとはよろしくお願いします。フゥラは僕が戻って来るまでに散らかした物の片づけしとくんだよ」
「はぁーい」
みんなが仕事場に戻ってきたので、デリラ姐さんとの約束通り古代術式研究室、通称コダケンに向かう。出張から帰ってきたと思ったら派遣だよ、雇われの身って辛いね。
コダケンはお隣さんとはいえ問題児の掃きだめである編纂室とは違って立派で広い空間をお持ちでいらっしゃる。具体的に言えば僕らが使っている事務所と資料を一時保管する用の倉庫を含めても十倍くらい。そして職員も二十人はいる。
「ども、編纂室のサイクスでーす。そこの人、デリラ室長はどこ?」
適当なコダケン職員を捕まえてデリラ姐さんの居場所を教えてもらう。編纂室とはいえ僕は一応副室長なので一般職員より上だ、ちょっと砕けた口調になっても許してくれたまへ。
「……サイクス副室長がいらっしゃったら案内するように申し付けられています。どうぞ、こちらへ」
ひゅー、プルプル震えてめっちゃ悔しそう。まあねー、ウチの面子やデリラ姐さんが変わってるだけで、普通の職員はエリート意識バリバリのインテリだもんな。そりゃあ自分たちでにっちもさっちもいかない問題に助っ人として呼ばれるのがバカアホクズマヌケ筋肉の悪名轟かす編纂室職員ときたらそうもなろうってもんだわ。
でもぶっちゃけ? 編纂室って戦力的には研究所全体でもトップクラスですし? フゥラ一人が癇癪起こしただけで右往左往してたやつらとは違うんですよね~。
ま、そんなことをいちいち口に出すのは二流。一流の嫌味ってのは直接じゃなくて匂わせるのさ。そうするとプライドが高い奴ほど勝手に悔しがるんだ。僕が口にしてない以上は表立ってアクションを起こすと自分で格下と認めることになるからね。
「この部屋です。デリラ室長、編纂室のサイクス副室長をお連れしました」
「入りな」
たった一言だけの返事にだいぶ行き詰ってる感がありありと伝わってくる。たまに手伝ってはいるのものの、今回は一段と難しそうだ。
「微力ながらお力添えに来ましたよっと。で、何がどんな感じでどうダメなんですか?」
「ブツはこれだよ、見たことないかい?」
そういって姐さんが示したのは、机の上に置かれた一組のガントレットだった。そして僕はそれに見覚えがある。
「……冒険者ジェルインの『王狼の籠手』じゃないですか。それ、僕の仕事リストの中に入ってるやつなんですけど」
霊獣であるルプス・レクスの爪牙と毛皮で作られた、古代の魔法術式が刻まれたガントレット。とあるダンジョンの奥に安置されていたそれを持ち帰ったことでジェルインの冒険者としての名声は確固たるものになったという。
具体的な締め切りはまだまだ先だけど図鑑に載せることは確定していて、確か二週間後くらいに持ち主であるジェルインへの取材予定があったはずだ。それがなんでコダケンで研究対象になってるの?
「あら、あんたの仕事に入ってたの? 一週間くらい前にジェルインが血相変えてやってきてねぇ。急に込められていた魔法が使えなくなった、魔法使いに見せても原因が分からないって泣きついてきたのさ」
「まあ古代術式はその辺の魔法使いじゃチンプンカンプンでしょうからね。どうせ僕の仕事に影響がでるんでしょうから、ちょいと見てみましょうか」
「頼むよ。とりあえずアタシらが解析した部分までの資料はここにあるから。今の壁を突破できれば一気に進むと思うんだけどね」
渡された資料は簡潔にまとめられたもので、コダケンの職員がどれだけ真面目にこの問題に取り組んできたのかがよくわかる。これがマーポルやチグサなら早々に諦めて遊びに行って室長に見つかりぶん殴られてるだろうに。
ざっと資料を読んでみた感じだと、魔法が発動しなくなったのは術式刻印の劣化ということで間違いなさそうだ。そして復元を試みているけどかすれて消えてしまった部分でどうやっても上手くいかない、と。
丁重に保管されていたというならともかく現役の冒険者がバリバリ使ってる武具だ、どれだけ手入れに気を遣っていてもこういうことは起こりえる。コダケンからしたらこうなる前に万全の状態を見せてくれていたらと歯がゆい思いをしてるだろうね。
「込められていた魔法は『打撃の瞬間に魔力体の狼が顕現して対象に食らいつく』ですか……わざわざ狼の形にする意味あります? どう考えても形を作る分を攻撃に回した方がいいですよね?」
「魔法使いってのはどっちかって言うと学者より芸術家に近いからね。自分の魔法は誰にも真似できない至高の物じゃないと気が済まないのさ」
「そのせいで術式が複雑になって整備性が皆無ですじゃあ、魔法としてはともかく武具としては欠陥品じゃないですか……」
うへぇ、予想通り術式がびっしり刻まれてる。打撃に合わせて追撃の魔法を発動させるならこの半分以下の刻印で済むだろうに、狼の形を作るという余計な手間のせいで術式がとんでもないことになってるな。
もうちょっと効率を重視したスマートな術式にできないもんかね。そりゃこんな一点物の術式じゃあ復元も難航して当然だ。
「虫食いの部分はここか。文脈的には狼の動きを作る箇所っぽいな。前のワードは……『剥きだす牙』『見据える眼』『なびく鬣』……たてがみの動きまで再現してんの!?」
いよいよもって古代の魔法使いたちは頭がおかしいんじゃないのかと思えてきた、古代魔法の術式っていつもこうだよ。異常に細部にこだわって機能性が損なわれてるか、威力に全ツッパで攻撃対象が塵も残らないかのどっちか。お前らの頭の中は0か100かじゃなくて方向性の違う100か100しかないのかと時空を超えて問いただしたい。
ていうかジェルインはよくこんなポンコツ術式の装備で戦ってるね。消費魔力と効果の効率だけでいったら、ちょっと名の知れた魔法使いと刻印師が刻んだ術式の方が絶対にいいぞ。まあルプス・レクスの素材を使ってるから強度とかは優れてるんだろうけどさ。
「どっちかっていうと武具というよりは装飾品や芸術作品の部類だね。……よくよく考えれば実用性のある物がダンジョンの奥に置かれてる意味も分からないし。使える物なら文明が滅ぶ前に使うって話だよ」
「毒にも薬にもならないことをぶつぶつ言ってるところ悪いけど、なにか分かりそうかい?」
僕の隣、イスじゃなくて机に腰かけて煙管で一服してる姐さんが聞いてきた。吸ってる煙草は研究室内ということでか、煙が少なく匂いもほとんどしないやつだ。そこまで気を遣うなら吸わなきゃいいのに。
「そうですね、これの術式を作ったやつは間違いなく頭がいいバカということが分かりました」
「つまりアンタの同類ってことね。他には?」
「ちょっとくらい笑ってくれてもいいのに……。ええと、虫食いの部分はスペースと文章の流れから見て、消えたワードはおそらく三つ。候補は『顎を開く』『眼を見開く』『体毛を逆立てる』『耳をヒクつかせる』『鼻を鳴らす』ってところだと思いますよ。……ですが違うんでしょ?」
デリラ姐さん率いるコダケンだって必死に研究してたんだから、僕がせいぜい数時間資料と実物を眺めただけで気づいたことなんてとっくに検証済みだろう。僕もそこまで自惚れちゃいないよ。
「そう。今アンタが挙げた候補は表現を変えつつ何度か確かめて、それでも全部ハズレだったよ。だけどサイクスが見てもそうならそこまで遠くはないみたいね」
「そこまで信用されても困ります。ですが大筋は合ってると思うんですよ」
「でも何かが足りない、そんな感じだねぇ」
型には嵌まってるのに何か違和感がある、鍵穴に鍵は刺さるけどなぜか最後まで回らない。その何かが分かれば多分サクッと解決するような気がするのに、その何かが分からない。
ああこりゃしんどい。デリラ姐さんも疲労するはずだ、あと一歩のところで進まない仕事は精神にクる。こういうのは誰かが画期的な案を閃くまで延々と続く地獄なんだよね……。
ダメだ、空気が重い。こういう時は雑談で気を紛らわすに限る。
「そういえばフゥラは姐さんと一緒にいたんですよね。これ、あいつに見せました?」
「いや、見せてないね。なにせ預かり物だからさ、そんなことはないと思うけど万が一にでもあの子の馬鹿力で壊されると困るのよ。アタシもあの子を見てる間はここに来ずに、部下がまとめた資料を見返すのが中心だったし。それがどうかしたのかい?」
思ってたよりフゥラのことは手厚く見ていてくれたらしい。鬼人であるチグサも大概な怪力だけど、フゥラは単純な膂力ならダグラス室長に次ぐからね。歴戦の冒険者としてダンジョンの魔力で体が変質した室長に迫るフゥラが凄いのか、生物としての格が違う銀狼を生身で張り倒せる室長がおかしいのか、そこはコメントしづらいところだけど。
それにしても他所の室長の手を止めさせるなんて、研究所ではこの上なくクソ迷惑なことしてんな僕ら。今度またちゃんとお詫びの菓子折りでも持ってこよう。
「いえいえ大したことじゃないですよ。ほら、ルプス・レクスって狼人にとっては神様みたいな存在らしいじゃないですか。だからフゥラも興味持つかなって思っただけです」
「そういえばエルフでいうところのドリアードみたいなものだって聞いたことあるわ。それなら見せてあげればよかったかねぇ」
「もしあいつが興奮して弄りだしたらただでさえ劣化してる刻印が全部消えかねません。安全策をとったのは正解ですよ。それにフゥラはまだ読み書きを覚えてる最中ですからね。自分の一族のなら読めはします……け、ど……」
いやいやいやないないない。まっさか、そんなことある? いやでもこれ……マジ?
頭をよぎったその考えを半信半疑で確かめてみると……わーお、いけたわ。いけちゃったわ。
「どうしたんだい、いきなり固まったと思ったら」
「姐さん。確か一部の種族が使う文字って、古代文字とほぼ同じでしたよね?」
フゥラが今はない彼女の故郷で使っていたという文字はほぼ古代言語の文字そのままだ。発音の規則や単語の綴りなんかはまるきり違うけど、文字そのものに変わりはない。
「古代言語は大陸全土で使われていたって話もあるからね。自分たちで新しい文字を発明するより楽だから結構な数の種族が流用してるけど、それにしちゃ整い過ぎて……ああーそうか、二重言語だね?」
同じ文字を使う言語体系では、綴りが一緒でも発音や意味が違う単語というものはそれなりにある。片方では何てことないありふれた単語でも隣の国では卑猥な言葉になってたりとかね。
で、それを意図的に使って双方の言語で意味を通らせ二倍の情報量を封じ込めるのが二重言語。この量の術式を二重言語で行うのはもはや狂気の沙汰としか言いようがない。二つの言語が相当似通ってないとできない芸当だ。
「おそらく。そしてこれ、フゥラの一族が使ってる言葉にかなり近いですね」
「……ホントに?」
「フゥラに読み書きを教えている時、逆にあいつの一族が使っていた言葉を教えてもらったりしてたんですけど見覚えがあります」
フゥラの一族って結構な歴史のあるものだったんだよね。流行り病で幼いフゥラを残して滅んでしまったのが悔やまれる。
「とりあえずフゥラを呼んで読めるかどうか確かめましょうか」
「そうね、悪いけど連れてきてちょうだいな……」
手がかりができたから安心したのか、それとも自分のそばにいた人物が答えを握っていたのをみすみす見逃していた事へのやるせなさからか、姐さんは椅子の背もたれに身を投げ出して顔に手をやった。今はそっとしておいた方がいいだろう。
それはそうとして僕はフゥラを呼びに行きますかね。
作中世界では『それが言語であるという多数からの無意識化の認識及び実際に使われた歴史がなければ魔法術式には使えない』という原理があります。要するに二重言語を使うためだけに適当な単語を作って『これはこういう意味である』と言い張っても世界から承認されません。




