縛心放天の鎧 2
他の連載がいろいろ忙しかったり、リアルがバタバタしてたりですっかり更新が遅れてました。
「よーし、到着だな。おう、降りろサイクス」
「お、お、おおお……ようやく、ようやく……!」
緊張と疲労で体が強張っているせいで、半ば転げ落ちるようにして飛竜の背から降りる。でもそんなの気にするような余裕もなく、むしろ今は全身で大地を味わいたいので僕はうつ伏せになって倒れた。
本気で死ぬかと思ったぞ、五回くらい走馬灯が見えた。ああ、地面ってこんなに暖かいんだなぁ……。
「ありがとよ、オマエのおかげでめちゃくちゃ早く着いたぜ。帰ったらたっぷり美味いもん食わせてもらいな。あばよ!」
ぜぇぜぇ喘いでいる僕を尻目に、ピンピンした室長は飛竜を解放した。片道だけの利用でも飛竜は御者なしで店まで帰れるように訓練されているというが、その訓練は聞いた僕が飛竜を哀れに思うようなものだった。要するに、逃げるよりもおとなしく従った方が安全だということを骨の髄まで叩き込むということだからね。
そうして飛び去る飛竜を見送った僕らはいよいよキシリール子爵の屋敷を尋ねに向かう。着陸したのは屋敷がある町の郊外なのでここから少し歩いて行かないとだ。
懐中時計を取りだして時間を確認すると、今はまだ十時半。町の入り口まで一時間ほどと見れば、屋敷に行く前に町で腹ごしらえをしておいた方がいいかもしれない。
「あー、ひどい目にあった……。おかげさまでまだ昼前にもなってませんけど、それにしても飛竜があんなに乗り心地の劣悪なものだったなんて……」
「ああ、普通の飛竜便は御者がある程度スピードをコントロールするからな。今回はそんなまだるっこしいこと言ってられねぇから全開で飛ばしたがよ」
なんとなくそうなんだろうなって思ってたよ、クソオヤジ。移動中ずっとご機嫌だったし。あの飛竜に無茶させてなければいいんだけど……。
町の近くということでそれなりに整備されている道を歩きながら、この後のことを考える。相手は爵位は低いとはいえ貴族だ、対応を間違えるとめんどくさいことになるんだわ。
「初手謝罪で行くか、それとも万が一を考えて出張組から話を聞いた後にするべきか……」
謝罪の言葉を出すタイミングは重要だ。同じ人が同じ言葉を使ったとしても、相手の性格や話の流れよって印象はガラッと変わる。
とにかく謝っておけばいいというタイプなら初手から謝罪で入り、ゴマをすりつつ下手に出ていればいい。しかし原因の究明や損害に対する補償に重きを置いているタイプはそもそも謝罪の言葉自体が大して意味をなさない。そうなった場合は謝罪というよりも、何をすれば許してもらえるのかを探る交渉へと突入する。
「最終的に子爵が都合の悪いことを忘れるまで室長が殴り続ければいいのでは……?」
「オイオイ、それやると子爵だけじゃすまないだろ?この件に関与してるやつ全員やらなきゃいけねぇ。やってやれないことはないが、ちょっと現実的じゃねぇな」
そうか、少なくとも子爵家の者は全員知ってると見ていい。そうなると子爵の妻子や使用人、下手をすると街の衛兵にまで範囲が広がるかもしれない。その人数を一人ずつ記憶が飛ぶまで殴り続けるとなれば、必然的に取りこぼしも出るだろう。
この案はダメだな、やっぱりとりあえずは話を聞いて現行の問題を解決するしかなさそうだ。アホが鎧の付与魔法で暴走することになった経緯次第でこちらがとるべき態度も変わるしね。
「王都で聞いた感じだと……子爵は女好きで妾も数人いるがヤリ捨てるような人柄じゃなく、正妻との関係も良好。政治はパッとはしないが圧政を敷くタイプでもない。って感じだな」
「うーん、そこにマーポルがいるという状況がメチャクチャ不安ですね。あいつなら奥方やお妾さんたちも余裕で口説きだしますよ。連絡にあった『少々の問題』にその辺が含まれてなかったらいいんですけど」
「あの野郎はエルフだからツラはいいし口も回るからな……。まあ、そうなったらまたぶん殴るか。玉を片方潰すくらいはしてもいいかもしれん」
想像しただけで股間がヒュッとした。あの脳が下半身と直結しているクズエルフにとってはこれ以上ない仕置きとなるだろう。いや、あいつじゃなくても男なら全員心の底から拒否する。
意外となんて言ったら僕がシバかれるので言わないけど、室長は男女関係やお金の貸し借りにはけっこううるさい。それも冒険者時代の名残だそうで、『女遊びはプロとやれ』とか『どんな少額であれ借りたことを忘れるようなやつには二度と金を貸すな』とか、そういうことを口にすることが多いんだ。
若干内股になりながら街道を歩いていたその時、おもむろに室長が道の近くに生えている茂みに視線をやった。
「おい……そこで何やってやがる、チグサ」
チグサ、つまり鎧の付与魔法に当てられて暴走し現在絶賛行方不明になっているというアホ女鬼人の名前だ。
幸先がいいと言おうか何と言おうか、室長はその人外の域に片足を突っ込んでいる優れ過ぎた感覚でチグサがそこにいることを看破したらしい。これで間違えていれば大爆笑なのだけど、この手のことを室長が外したところを僕は見たことがない。
「さっさと出てこい、みんなお前を探してんだ「僕らは今来たばっかりですけどね」うるせぇバカ、黙ってろ」
さもずっと心配してましたよ感を出してても、どうせ屋敷にいけばバレますがな。取り繕って意味があるのはバレない可能性がある時だけだ、それ以外は時間の無駄。
「う、うあああ……室長……センパイ……う、ううう……」
茂みの中から姿を現したのは、やはりチグサだった。鬼人らしく男の僕よりも上背のある体を件のものと思われる全身鎧で包み、兜はなかったのか頭部だけは露出している。そのおかげで鬼人の特徴たる額から突き出た角と、後頭部でひとつに結ばれた長い黒髪が見て取れた。
それにしても様子がおかしい。いつもならハキハキとしすぎてて逆に怖いくらい元気があり余っているのに、今は頭を抱えて苦しそうに呻いているだけだ。どうも鎧に込められた魔法のせいっぽいぞ。
「おいサイクス、あいつがどんな魔法にかかってるか分かるか?」
「うーん、術式を構成してる文章を読めたらいけますけど、さすがにぱっと見じゃあダメですね。せめて拘束してくれないと近寄るのも怖いです」
僕は事務仕事一筋の軟弱文官である。本職の戦士ではないとはいえ、鬼人であるチグサに殴られようものなら打ちどころによっては軽く死ねる。鬼人は成人男性なら戦闘訓練を受けたことの無い一般人でも猪くらいなら素手で殴り殺せるからね、男とか女とか関係なく種族としてレベルが違う。
そういうわけなんで僕は正気を失っているであろうチグサから距離を取る。少なくとも不意打ちで飛びかかってこられても室長が間に入ってくれるくらいの間合いは確保しておかなくてはならない。強い者に守ってもらう、それが弱い生き物が生き延びる術なのだ。
「うううう……み……すみ……」
「は? 炭? 炭がどうした?」
「やすみ……休みをくださぁぁあああい! 休みがなさ過ぎてまた彼氏にフラれたのよぉぉおお!!」
聞いてるこちらが涙しそうな怨嗟の声をあげながら、チグサが室長へと躍りかかる。だが、その悲痛な叫びに対しての返答は、同じくらい悲しくなる怒号と華麗なる巴投げだった。
「うるせぇ! テメェより俺の方が休みねーんだよ、先月の俺の休暇が何日あったか知ってんのかアホがァ!!」
ぶん投げられたチグサは綺麗な放物線を描いて吹っ飛んでいき、ゴロゴロと転がりながら数十メートルほどの場所で止まった。いちおう女性への配慮として顔面パンチではなかったけど、これ相手が全身鎧を着た鬼人じゃなかったら割と大変なことになってたんじゃないかな。
「相変わらず女性相手でも躊躇なくやりますねぇ」
「本気で襲ってくるようなやつに男か女かなんて関係あるか。それに鎧の魔法にやられてたとはいえ上官に襲いかかってきたんだぞ、放り投げられただけで済むなら優しい方だろうが」
「ま、それもそうですけど」
ちなみに先月の室長の休暇はというと半日が二回ほどで全日休暇は一回もなく、僕の休みは二日だけだった。僕は一応の副室長でもあるので一般研究員のチグサよりも少ない。たしか彼女は四日は貰えているはずだ、それでも他のヒラ文官よりかなり少ないけど。
「それより、アホが気絶してるみたいですから今のうちに鎧を脱がしちゃいましょうよ。目を覚ますたびに室長が気絶させるでもいいですけど、面倒でしょ」
そういうわけで吹っ飛ばされたチグサの元まで行き、二人で鎧を脱がせた。何かと取り外しが面倒な全身鎧だけどそこはさすがの室長、武具の取り扱いなら慣れたものでスルスルと手際よく脱がしてしまった。
「脱がした鎧は……サイクス、お前が着て運べ。マジックバッグの中に入れて何かの拍子に取り出せなくなったら不味いからな」
「デフォルトのサイズが合うならいいですけど……」
僕は体質として魔力を一切放出することができず、それゆえに使用者から漏れる魔力をキーとして発動するタイプの魔法道具は効果をなさない。一日一回は神に冒涜の言葉を吐くほど嫌いなこの体質だが、こと呪いの魔法道具に対してだけは感謝しないこともなくもない。
とはいえメリットとなる魔法も発動しないので、たいがいの魔法の鎧に施されている『重量軽減』や『大きさ調整』も意味をなさない。僕にとっては聖なる鎧も呪いの鎧も、その辺のしみったれた防具屋で売ってる鉄の鎧と大して変わらないのだ。
「よいしょっと、ギリ着れましたよ。うーん、重い。やっぱり僕は文官を目指して正解でしたね」
「本職の重戦士はそれよりゴツいのを装備して行軍したり走ったり戦ったりするんだぞ。これを機にちょいとは鍛えろ、だからお前だけだと出張にやれねぇんだ」
「室長を筆頭に僕以外がおかしいんですよ。ああそうだ、念のためチグサは縛っちゃいましょう。魔法の効果が残ってるかもですし」
そんなわけで室長がマジックバッグの中に持っていたロープでチグサをぐるぐる巻きにし、目的の子爵の屋敷へと移動を再開する。なおチグサは室長が肩に担いで運んでいるのだが、歩くスピードは手ぶらの時とほとんど変わらない。やっぱバケモンだわこのオッサン。
「しかしアレですね、偶然にもチグサを先に回収できたおかげで思ってたより早く終わりそうですね」
「思いっきり投げといて言うのも何だが、鎧にも目立った傷とかは無かったしな。しかしまあ脱走してから今まで、魔法に惑わされながらよく生きてたもんだぜ。半ば自我を失った女なんて、ちょいと下心と悪意があるやつなら放っとかないもんだが」
「それは多分この鎧に付与された魔法のおかげ? ですね」
「おっ、分かったのか?」
鎧に刻まれた魔法文字による術式を解読すると、付与されているのは『己の心に正直になる』というものだった。だけど術式の構築が若干お粗末だったがためにエラーを起こしていて、普段は隠していたり我慢していたりする感情を増幅させ半バーサーカー状態にしてしまうようになっている。
「要するに精神のストッパーが取れてあらゆることに躊躇しなくなってる状態なわけですよ。それに合わせてオマケみたいに身体強化の魔法も施されてますから、チグサの元々の戦闘力と合わせれば……」
「リターンがリスクに合わねぇ、か」
「そういうことですね」
室長みたいに意味不明な実力を持つ達人やしっかり連携が取れる手練れの冒険者パーティとかならともかく、ケチな野盗くらいなら返り討ちにされるのが関の山だろうね。理性が無くなった鬼人とかぶっちゃけモンスターと大差ないよ、よく討伐依頼を出されなかったもんだ。
「それにしても魔力を扱う才能は全くのゼロのくせに、よくもまあそんなスラスラ魔法術式を解読できるもんだな」
「それは鍛冶で剣を打つことができないのに人の斬り方を知ってるのはおかしいって剣士に言うのと同じですよ。人並みに魔力を使う才能があればと思うのは否定しませんけどね」
今のご時世、魔法道具を使えないと生き難くいったらありゃしない。この溢れる英知を持つ僕だからこそ普通以上の生活ができているだけであって、そうでなかったら路地裏で野垂れ死んでるか超低賃金で肉体労働しているかだ。
頭を下げることが仕事だなんて言えるのは、恵まれた立場にいる証明なんだろうな。満足はしてないけど。