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ディファレンス・ウィザード  作者: 薙原 優
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道中と少年の話

 簡単な腹ごしらえを済ませた後、私達は出立の準備を始めた。

 分解する際に放出してしまい空になった蒸気を充填するため、神理機関を浴室脇の壁から突き出ている管に接続する。コックを捻ると管から機関内の容器へ高圧の蒸気が流れ込んだ。超常を生み出すとはいえ神理機関も機械。動力源である蒸気が無ければ何もできない鉄塊だ。だからこそ蒸気の残量は生命線であり常に気にかけなければならない。

 十分な量の蒸気を補充してから匣をベルトの金具に提げる。簡易医療キットや圧縮蒸気を封じた交換用の容器の入った軍用ポーチもベルトに取り付けた。次にワードローブを開き、散らかった服の山から男物のフロックコートを発掘し制服の上に羽織った。最後に黒革の手袋をはめれば準備完了である。

「よしっと」

 手早く用意を終えもう一人はどうかと様子を窺うと、リックはもう既に工具類もトランクに詰め終えて今か今かと出発の時を待っていた。お互い万端なのを確認して頷き合う。

 廊下には夕食を食べた帰りなのか、これから食べに行くのか、多くの女生徒がうろつく姦しい気配があった。廊下に男子を出せば面倒事になる。窓から出るとしよう。

 東側の壁に寄ってレースのカーテンを開ける。両開きの窓を押し開くと、澄んだ空気が部屋に吹き込んだ。太陽はとっくに沈み切っていて、空は橙から濃紺に塗り替えられていた。春になったとはいえ日没後は気温ががくりと下がる。冷えた夜風が首筋を掠める感触に思わず肩を竦めた。

「それじゃ行こうか。このぐらいなら跳べるな?」

 窓枠に左足を掛ける。リックの方へ振り返り真っ直ぐに手を伸ばした。

「ああ、問題ないよ」

 両目にやる気を漲らせて、リックは私の手を取った。私のとは違う、骨ばっていて固い掌を握り私は窓の外に身を躍らせた。

 自室は三階で、迂闊に落下すれば怪我をしかねない高さであったが、代入者である私達にとっては危険な落差じゃない。空中で二人そろって機関のスイッチを入れ脚力を強化して着地。膝を曲げ衝撃を殺す私の横で、リックも若干不安定な体勢ながら植え込みの間に着地を成功させる。技師のわりにバランス感覚はなかなかだ。

(さて、と)

 ロンドンの地図を脳内に呼び出す。言伝にあった博士達の拠点の座標を地図に打ち込み、そこまでのルートを考える。目的の建物は、学院の立地するロンドン北部から少々距離があるようだ。

 術式の恩恵を受けた走力のまま現場まで駆け抜けたいのはやまやまだけれど、それをやると後々蒸気の残量が足りなくなる恐れがある。

 移動には普通に乗り物を使うのがベターと考えた私は、手頃な車両の貸出手続きをするべく、リックとともに正門近くの車庫に赴いた。受付に詰めていた事務員のお兄さんは宵闇も深くなってきたこんな時間帯に車を出すことを訝っていたが、最終的に学院の生徒にはよくあることと流してくれた。

 預かったキーで車庫に並ぶ蒸気自動車のうち一台のエンジンをかけると、低く重い呼吸のような音を立てて点火された外燃機関が運転を始める。

 助手席にリックを乗せて私はアクセルを踏み込む。始めはゆっくり、徐々に速く。圧力を受けて上下し始めたシリンダーが熱エネルギーを運動エネルギーに変換し、車庫より発進した車は正門を抜けセントラル方面へ曲がる。速度を増すまま私達を乗せた車両は一路イーストエンドへ針路をとった。

「――にしても、君が運転もできるとは思わなかったな」

 学院から少し離れた辺りで、鞄を膝の上で抱えたリックが隣の席で称賛を口にした。

「大抵の運転技術は学院のカリキュラムで学ばされるんだ。必要に迫られるかもしれんから。ま、私が使うのは専らこっちで、馬車の操縦は苦手だけど」

 ハンドルの向きを調節する私の背後でエンジンがシュンシュンと蒸気の音をさせる。

 リックが相鎚を打とうとしたタイミングで車輪が路面の石に乗り上げ車体が跳ねる。うわっと声を上げる少年に、舌を噛まないように気をつけろと注意を飛ばしておく。

 古くから存在だけはしていた蒸気機関搭載の四輪車が発展してきたのはここ二十年程の間だ。車体の後ろ半分をエンジンが占領しているため座席が狭く、排気ガスと騒音もあるため、未だ馬車に比べて敬遠されている感があるが、小回りが利いて馬のように気紛れでない分私は此方を気に入っていた。

 細い三日月が昇る天球の下、私達を乗せた車は夜風を切って走る。

 地面の凹凸をダイレクトに伝える固いシートに揺られつつ、フロントガラス越しに正面の景色に焦点を合わせれば、これから向かうロンドン市街の夜景がくっきりと像を結んだ。

 霧の都。そう呼ばれるだけあってロンドンは全体が薄く白い靄に包まれている。その靄は天然の霧だけではなく、昼夜を問わず稼働する解析機関が排出する蒸気や、工場が生み出す煤煙なども含んだ混合物だ。ぼんやりとしたその輪郭で目立つのは、街の中枢たるシティ付近の高層建築群と、テムズ川沿いの工業地帯の煙突。バベルの塔もかくやに上へ上へと伸び続ける両者は町並みから飛び出している。

 それらの町並みを照らすのは様々な種類の明かり。繁華街で輝く電気ランプ、道路沿いのガス灯、家々から漏れる蝋燭の火、そこに住まう人々の生活の光が夜闇の中にロンドンの姿を浮かび上がらせる。この上なく科学文明の産物でありながらも、街の照明が霧の奥で星屑のように煌めくさまはとても幻想的であった。

 顔は前に固定したまま、知らぬ間に黙っていた助手席の少年の様子を横目に窺う。

 リックは窓の外を流れる家々に目をやって物思いに耽っていた。平静を維持しているように見えても、膝の上の拳は固く握られていて、彼が急ぐ気持ちを抱え続けているのが分かる。その姿に、私はずっと引っ掛かっていた素朴な疑問を思い出した。

 ――到着までまだ時間が掛かる。話してみるにはいい機会かな。

 引き結ばれた口元を視界の端に収め、私は何気ない風を装って口を開く。

「なあ、不躾なことを訊くようだけど。良いか?」

「ん……? 構わないけど、答えるかどうかは内容によるかな」

 リックはこちらに視線を巡らせ首を傾げた。

「何を訊きたいの?」

「ああ。……お前はさ、博士達の安否を心配して行動してるわけだけど。私の知る限り、彼らはお前にとっては――言い方は悪いけど――職場の上司に過ぎないだろ。私にとってはサリヴァン少佐とかの立ち位置だ。でも私じゃ、たとえ少佐辺りが行方不明なっても、精々無事を祈るだけで自ら探しに行こうなんて思わないんだ。リックはどうして博士達のためにそこまで必死になれるんだ?」

 昨晩、最初にリックの口から「先生たちを探しに行きたい」と聞いた時から不可解だったのだ。

 リック・カートライトは第一技研の主任研究員リーナ・アドコックとマット・スモールウッドの助手。その関係性は職務上の上司と部下に終始する筈で、失踪したからってわざわざ探しに出向くような間柄ではない。ましてや、リックは謎の代入者に一度脅しをかけられているのだ。普通そこまで強硬に追跡を続けようとは思うまい。

 しかし彼は脅迫を振り切り、軍に掛け合ってまで博士らの捜索を断行した。

 調査の許可が下りたと告げただけで激発しかけた熱量。敬愛という言葉では説明しきれない、私でさえも圧倒されそうなほどの異様なモチベーションの出所が私には掴めない。

 無論、彼の熱意を嘲笑う気はない。ただ、どうしてそこまでと考えてしまうだけだ。

 ともすれば彼の尽力を否定しているように取られかねない発言であったが、リックは私の疑問をちゃんと汲んでくれたようで、首を傾ける角度を深くした後「ああ」と得心いったように苦笑した。

「君は知らないのか。そういえば、人の物を覗き見るのは苦手って言ってたっけ」

「……何のことだ?」

 意味が分からず聞き返す私にリックは、

「俺の生い立ちのことだよ。その質問が出るってことは調べてないんだろう?」

 そう答えて笑みを深くする。背凭れに深く寄り掛かって彼は再び窓の方へ向いた。

「そうだね。手伝ってもらってるんだし、君には話しておくべきだったね」と顔を見せないまま少年は言った。

 私からは隠された双眸はガラスの向こう側の景色に合わせられている。けれども、彼が見ているものは流れていく家並みなどではなく、きっとそれよりももっと遠い場所にある過去の景色なのだと、私はどうしてか確信できた。

 そして、少年は静かに語り出す。

「今でこそ軍直轄の研究所で働けてるけど、俺は元々下層の出でね。とてもじゃないが研究に携われるような生まれじゃなかった」

 父親は生まれた時からおらず、母も物心がつくかつかないかの頃にリックを適当な路地裏に置き去りにした。両親に捨てられた少年は、生きるためにテムズ川の畔で泥堀りをして過ごしたそうだ。金目の物が見つかれば同じような境遇の子供たちと奪い合ってでも手に入れる。今日死なないために明日を磨り減らす野犬のような日々。

「つまりはまあ……、ロンドンの何処にでも転がっているありふれた話さ」

 貴族があらゆる特権を手にするのに対し下層民の中にはその日の糧すら危ういものもいる。階級制度が根強いイギリスに厳然と存在する薄暗い側面を、少年は何でもない事のように話す。

 不意に、物語るその声が今までになく柔らかくなった。

「けど、そんな陳腐で悲惨な毎日が二人に出会ったことで変わったんだ」

 二人というのが誰を指すのか、話される前に分かった。

 八歳の頃だったそうだ。ねぐらにしていた街の救貧院で代入者の適性検査が行われ、食べ物を恵んでもらおうと出向いていたリックも受けさせられた。少年は代入者なんて別世界の存在だと思っていたのだが、検査の結果、驚くべきことに彼には一級の適性があると示された。

 検査には、通常の職員の他にラフな格好をした二人の男女が付き添っていた。取り立てて特徴の無い外見をした二人は、彼が一級の数値を出すとおもむろに近寄って来て開口一番こう言った。

「『君、私達の所に来ない?』ってさ。ふわふわした誘い文句だろう? 何処で、何をするために来させるのかも教えないんだから。あんまりフワフワしてたから思わず俺は笑ってしまったよ。でも彼らが無防備に笑い掛けてくるもんで、考えるより先にイエスと言ってしまっていた。当時の、警戒心バリバリの俺としては信じられない事だったね」

 それがリーナ先生とマット先生だった、と笑みを含ませて言う。

 その時の博士達は神理機関を使える助手を求めていて、有望そうな子供がいないか探しているところだったそうだ。マット博士は代入者ではなく、リーナ博士は工業向きの系統じゃなかった。高度な金属加工が必要な時は、その都度魔導士を雇っていたそうだが、優秀な技術魔導士は多忙でありいつでも都合がつくわけではなかった。

 その点、鍛冶神の命素を示した少年は、専属の助手とするにうってつけの人材だったことだろう。学の無い浮浪児を教育する手間を考慮して尚、手元に置こうと考えるほどに。

「彼らの手を取って、そこからは――、夢のようだったよ。先生らは自分達が半分ずつ使ってる家に俺を連れ帰って、その内の一部屋を与えてくれた。部屋だけじゃない。食事も、衣服も、そして教育も二人は俺に与えてくれたんだ」

 助手として育てるために連れ帰った少年を博士達は単なる道具扱いせずに、きちんと一個人として遇したそうだ。同じ家で寝起きして、食事して、時間が空いた時は博士達自ら教鞭をとってリックに勉強を教えさえした。不器用ながらも愚直な好意がそこにはあったという。当初は、二人に壁を作っていたリックもやがては心を許し、いつしか自ら技術者を志すようになっていった。それは何一つ持たなかった子供が初めて手を伸ばすべき目標を得た瞬間だった。

 正しく、リック・カートライトの人生は二人と出会った時点から始まったのだ。

 彼らにもらった沢山の物のおかげで無学な幼子はだんだんと一端の代入者らしくなっていった。博士らと同じ技研に入ったのは三年前。配属が決まった時、二人はリック本人よりも喜んでくれたそうだ。

 自分が曲がりなりにも研究機関で働けているのは、全部先生たちが居たからなんだ、と少年は過去を振り返る。

「彼らに出会わなければ、俺は今頃テムズの川べりで野垂れ死んでるか、下層出の代入者として使い潰されてたろう。感謝してもし切れないし、返し切れないほどの恩がある。たとえ代入者としての素質のみを求めて俺を引き取ったのだとしても、彼らから受け取った優しさは本物だった」

 だから、とあの熱の篭った口調で、リックは自分に言い聞かせるように締め括った。

「俺はいなくなったあの人たちを探したい。そして、攫われたのであれば何としても助けなきゃならないと思ってるんだ」

(……成程、ね)

 リックが指摘した通り私は彼の経歴を調べていない。そういうのはエリザの担当だ。そんな訳で彼のハードな昔話は若干寝耳に水であった。

 が、お陰で色々納得はできた。

 決して幸福といえない幼少期を過ごした彼が、博士達との邂逅にどれだけの救いを見出したのか。私には到底推し量れない。それでも理解できる。同じ時を過ごし、庇護され、導いてくれた相手。そんな人物の安否を心配する気持ちは私にとっても馴染み深い。

「そうか……、お前にとって博士達は家族みたいなものなんだな。それなら、そこまでしようとする気も分かるよ」

 感謝であり、恩義であり、そしてそれ以上の純粋な感情でもある。それはきっと子が親に向ける想いだ。上司が行方不明になった程度じゃ動じることも無いが、肉親が攫われたのなら私だってリックのように必死になる。

「家族……」私が何気なく零した呟きに、リックがそっと吐息を漏らす。

「ああ……そうだね。言葉にして人に話すのは恥ずかしいけど、きっとそうなんだと思う」

 家族、家族か、とリックが助手席で擽ったそうに肩を揺らす。その眦が照れたように下がっているのが顔を隠したままでも感じられた。二人について話していた時のリックの声はとても暖かかったから。血縁が無くても、きっとその繋がりは強固なのだと思えた。

「踏み込んだことを詮索して悪かったな。気を悪くしないでくれ。何なら一つそっちの貸しにして貰ってもいい」

「別に気にしないで。人に生まれを話すことはそんなになかったから、俺としてもいい確認になったし」

 謝罪する私にリックはブンブンと手を振って答えた。

「自分でも無我夢中に動いてただけだったけど、君に言われたことで、俺は自分を変えてくれた人達のために何かしたいんだって分かったよ。何か、ちゃんとした指針ができた気分だ」

「そっか、なら頑張って手掛かりを見つけないとな」

「ああ、勿論だっ」

 リックを護衛にも、その延長で博士らの捜索に関わることにも、私は「任務だからやってる」以上の動機を持たない。ぶっちゃけ今でもちょっと面倒臭いくらいだ。

 それでも、隣に座る少年が『両親』を探す手助けができるなら、それも悪くないのかもしれない。

 市街に入り、賑やかな空気の気配が濃くなる。広くなった道幅を埋め尽くすように、多くの馬車と人々がそれぞれ目指す場所へ急ぐ。時折ベルを鳴らして通行人へ注意を促しつつ、私は慎重に車を走らせた。

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