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ディファレンス・ウィザード  作者: 薙原 優
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某日、アフガンにて

 幼い頃、私は英雄譚を好んでいた

 特に、お気に入りの物語なんかは何度も繰り返し読んでもらうようせがんだものだ。

 それがどんな話だったのか、今ではすっかり忘れてしまったけれど。



 丘陵地帯攻略を目的とした中規模な作戦が開始されてから、既に四時間が経過していた。

 中天に差し掛かった太陽から降り注ぐ殺人的な光線が赤茶けた大地を熱する。カラカラに乾いた風が灼けた砂塵を巻き上げ、荒野を挟んで対峙する両軍の視界を遮った。

「…………」

 深呼吸を一つ。体温よりも高い温度の大気を肺に取り込む。体の内側から焦げ付くような感覚を味わいながら、体勢を低くした私は、いつでも動き出せる準備を整えていた。

 砂煙が収まり、戦場の風景が姿を現す。

 私が身を潜める岩塊の左右と前方にライフルで武装した我ら英国陸軍が広く展開し、更にその先の、僅かに土地が傾斜してできた小高い丘の上に同じくライフルを携えたアフガン軍が鎮座している。向かい合って撃ち合う兵と兵の距離はおおよそ五十五ヤード――メートル法に換算して五〇mほど。

 部隊の規模も、ライフルの性能も此方が上だ。しかし、高所を取られた上に、簡易的とはいえ石積みの砦の中に立て篭もられているため攻めあぐねているのが現状だった。掩体に利用できる物の少ない拓けた地形も災いし、包囲は出来ても陥落させるには至らない。

 敵の機関銃は既にこちらの臼砲で破壊されている。ここまで詰めたのなら後は突撃して制圧するのみなのだが、そのあと一押しに苦労していた。

(指示が出るのは次に弾が止んだ時だろうな)

 膠着する戦況を岩の影から窺いつつ、私は少し離れた場所で部隊全体に指示を出し続ける中隊長に視線を巡らした。髪を短く刈った壮年の指揮官は前線が崩壊しないように盛んに采配を振るっている。伝令を飛ばすことに忙殺されているようだが、まさかこの部隊唯一の《代入者》の存在を失念することはあるまい。私を投入するタイミングについては常に頭の中にある筈だ。

 命令が発された瞬間、あの銃弾飛び交う死地に踏み入ることとなる。何度こなしても慣れない戦いの前の緊張感に、私は無意識のうちに腰元に右手をやっていた。

 弾薬や包帯などを収めたポーチと同じく腰のベルトに吊るされた、十五センチ四方の立方体が指先に触れた。所々から歯車の一部分や切り替えスイッチ、排気用パイプが突き出た、鋼鉄製の箱型の機械。その硬質な感触がざわついた心を静めてくれた。

 今一度精神集中したところで、絶え間なく響いていた銃声に僅かな間隙が生まれた。丘の反対側に回り込んだ別動隊が攻勢をかけたのだ。その機を逃さず、指揮官様は私にさっと視線を送り、右手を素早く振り下ろした。

 ――合図だ。

 そう認識するが早いか、私の両足は地面を蹴り、弾かれたように岩陰から飛び出していた。簡易的な塹壕を次々に飛び越え、最前列の兵の横をすり抜けて一気に戦場のど真ん中に躍り出る。

 兵の多くが逆方向に気を取られていた敵の部隊がにわかにざわつく。武器といえば剣帯にぶらさげた刀程度の、たいして重装備でもない兵士が単身で走ってきているのだから不可解に思うのも無理ない。次いで、敵陣に再度動揺が走る。おそらく、彼ら全員が理解したのだ。今の世の戦場で軽装の兵士が先陣を切る意味を。

 敵の準備が整うまでに十メートルの距離を詰めて、斜面に差し掛かる寸前で腰の箱に手を回した。人差し指に力を入れて側面の突起物の一つを弾く。バチンという音とともに管路を閉じていた弁が開かれ、内部容器に蓄えられていた蒸気が開放された。動力源たる圧力が管路を伝って隅々にまで行き渡り、匣――《神理機関》は稼働を始める。

 シューシューと音を立てて上下するピストンと回転する歯車が、身体より湧き出る生命力たる《命素》を吸収し、機関をいっそう激しく動作させる。

 機関に取り込まれた命素は魔術的な形で吐き出される。途端に、手足が羽のように軽くなった。出力された術式に肉体を強化されて、私は人間離れした脚力で地を蹴った。

 派手に土埃が舞い上がり、周囲の景色が一気に後ろに流れていく。

 さらに二十m詰めたところで、装填をし直したアフガン兵らのライフルが、砦の石壁から一斉に顔を覗かせた。それらは全てが私に照準を合わせている。戦闘の経過から判断すれば敵の部隊に《代入者》は含まれていない。単独で拮抗できる戦力が存在しない以上、彼らは私を最優先で排除する必要があるのだ。

 膨大な殺気が叩き付けられるのを感じながらも私は顔を跳ね上げて、それらの視線を正面より受け止めた。

 一拍置いて、無数の銃口が次々と火を噴き始めた。

 限界まで眼を見開き、降り注ぐ弾丸の雨を観察する。四肢と同様に強化された視覚と知覚が数多くの弾道を正確に捉える。見える限り、このまま走って命中するのは十二発。武装の質か、兵の錬度の問題か、こんな近距離でも当たる弾は意外に少ない。

(これなら最低限の回避だけで大丈夫だな)

 ダッシュのスピードをほんの少し上げ、胸を反らせて上体を左に傾けた。甲高い音が幾つか耳元を通り過ぎ、脇腹と太ももの表面を弾が撫ぜていく。致命傷だけを確実に避け、それ以外は軍服を浅く裂いていくに任せて弾幕の隙間を掻い潜る。

 機銃に比べてライフルは連射性に劣る。第二射がスタートするまでに、私は残りの距離を駆け抜けた。砦を囲む壁の高さはおよそ四メートル。城壁の手前で僅かに身を撓め、大きくジャンプ。

 全力には及ばない一蹴りでも私の肉体は容易く壁の上空に運ばれる。跳躍した際に前方向に勢いがついたことで身体の上下が反転し、放物線の頂点近くで頭が地面の方を向いた。浅黒い肌の兵士が驚愕に彩られた表情でこちらを見上げているのが目に入る。

 そのまま華麗に宙返りを決め、私は石壁の向こう、敵部隊の真っただ中に降り立った。

 激しいどよめきが巻き起こり、周りの兵たちが慌てて銃を構え直そうとする。

 今さっき目が合った背後のアフガン兵が、何やら訳の分からないことを喚きながら拳銃を抜き、私の後頭部を撃ち抜こうとする。しかし――、

 ザンッ。

 彼が狙いを定め引き金を引くよりも早く、その首は私が振り向きざまに鞘から抜き放った刃によって斬り落とされていた。

 鮮血が舞い散る。頭部を失った死体が糸の切れた人形のように倒れると、周囲のアフガン兵たちは凍り付いたように動きを止めた。目に見えぬ震えが敵全体に広がっていく。一人失ったくらいで及び腰になるとは。勇猛果敢で知られる砂漠の民の名折れだが、まあ、それも無理からぬことか。

 如何に歴戦の猛者といえども、騒乱の神の使いと対面する機会などそうないだろう。

 振り切った刃を引き戻しつつ、くるりと体の前後を入れ替える。

「《Code:Dead flame of (争神の死炎)Eris》」

 そう口の中で小さく呟いた途端、湾曲した刀身を深紅の炎と紫電が包んだ。最小まで短縮した魔術コードが、予め機関に入力されていた戦闘用プログラムの一つを発動させ、形を与えられた命素が純粋な攻撃力となって顕現する。

 正眼に構えた刃から噴き上がる高温が砂漠に立ち込める熱気すら圧倒する。争神の雷火を纏った刀を持ち上げると、私は躊躇なく敵兵の群れに斬りかかった。

 向こうは同士討ちの懸念もあって容易に銃を使えず、こちらの攻撃を防ぐ手段も無い。戦闘は一方的に進み、五分足らずで状況は終結した。


「……たいしたものだな、ニシゾノ少尉」

 戦闘終了後、殆ど私一人で陥落させた砦の占拠と探索の指示を部隊に出しながら、我らが中隊長は言った。

「これだけの数の敵を単身で殲滅するとは……。しかも、『情報入手のため指揮官は捕虜にせよ』という命令を果たすべく、遠距離爆撃を制限した上での戦果だ。流石、本国お墨付きの代入者なだけはある」

 石造りの砦中に漂う、人の焼ける不快な臭いに指揮官は顔をしかめた。感心するような文言の裏にほんの少しの忌避が含まれているのを感じたが、私はそんなことはおくびに出さずに敬礼を返した。

「お褒め頂き恐縮です。ですが、それも敵に代入者がいなかったからこそできたこと、いつもこううまくいく訳ではありません」

「そうか。代入者の天敵足りえるは代入者のみ、だったな。だからこそ国は、貴官のような者を率先して育成している」

「ええ、中隊長も敵側の代入者にはお気を付けください。アフガニスタンの軍はともかく、痺れを切らしたツァーリが自国の兵士を貸し出すかもしれない」

「分かっているさ。私達では君達には敵わないことは骨身に染みている」

 そこで中隊長はふと思い出したように手を打った。

「そういえば、貴官はこの作戦の終了後に本国に戻るそうだな」

「はい。数日後にボンベイから出る便に乗船する予定です。元々私は臨時の穴埋めでしたし、正式に配属される代入者に当てができたようなので」

「そうか、短い間ではあったが世話になったな」

 差し出された右手が意味する感謝は混じりけ無しの本物のようだった。私も革の手袋を外して、彼と握手を交わした。

「国に帰ったらどうするのだ? 暫く休暇でも取るのかね」

「そうしたいのはやまやまですけど、まず学校の方に顔を出さなければなりませんかね」

「学校?」

 きょとんとした顔を見せる指揮官に「ええ」と笑いかけた。

 思えば彼には、これまでに立てた戦歴等を記した書類は渡していたが、その他の経歴については伝えていなかった。年齢の割に多い、些か仰々しい戦果を読んで、私を叩き上げの兵だと思っていたのかもしれない。

 砦を吹き抜けていった熱風に流されて髪が顔に張り付く。指先でそれを払うと、一房の黒髪が視界の隅で揺れるのが見えた。

「こうして酷使されてますが……、一応身分上、私はまだ女学生なもので」

 一九八〇年。十九世紀も末に近付いた、第二次アフガン戦争が終結する頃の話だ。


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