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この日は良い天気だった。
14階からの外の眺めは最高なものだった。
都内ということもあり、周りには高層ビルが立ち並び、有名な建物達が軒を連ねていた。
「病院からもこんな景色が観えるんだ・・・」
ぽつりと呟く私の隣に祖母が立っていた。
「そうね、夜なんてもっと綺麗だろうね。」
母も同じように毎日こうしてこの景色を、夜景を眺めるのだろうか。
私にはその景色がくすんで見えた。
ここから見える景色が病院でなければ、もっと何倍も良かった筈だ。
「お待たせしました」
真っ白な白衣に身を包み、足元はサンダルなのだろうか、ペタペタと足音を鳴らしながら一人の中年男性がこちらへと向かってくる。
「お待たせしてしまってすみません。担当医の伊田と申します。
少し手術が長引いてしまいまして」
そう、言うと柔らかい笑顔をこちらに向けた。
「さ、此方へどうぞ」
待合ロビーのすぐ隣に位置する診察室のような処へと案内された。
その部屋はとても広いとは言い難い部屋だった。
私たち親族は6~7人居ただろうか、先生と付き添いの看護師を含めたその部屋は
まるで通勤ラッシュの電車の車内ようだった。
重い空気が漂う室内。
皆の息使いさえ聞こえそうな程だった。
レントゲン写真を張り付ける台にパット明かりが灯され、複数のレントゲン写真が並べられた。
「これが、早川さんのレントゲン写真ですが、、」
ここまで言いかけてから、伊田先生は掛けていたメガネをおもむろに外し始めた。
「ここに影が映っているのがわかりますか?」
持っていたボールペンでその箇所を示してくれた。
「あぁ・・なんとなくわかります。」
そこにいた全員が上半身を前のめりにしながらレントゲン写真を食い入る用に見つめていた。
「まず、ここが子宮で、この部分に腫瘍がある状態で、
早急に手術が必要です。早くても来週の頭に手術を予定していますが、どうでしょう。」
「是非、お願いします。」
沈黙を破ったのは以外にも祖父だった。
「是非とも娘をよろしくお願いします。」
その言葉を合図に私たち親族は深々と先生に頭を下げた。
「わかりました。私も最善を尽くさせて頂きます。」
先生の言葉は真っ直ぐだった。
この先生ならきっと母も安心だと。
その後は術後の話などを一通り聞き、一時間以内にはその室内から解放された。
病院のロビーの空気でさえ、この時は新鮮に感じられた。
ロビーで少しの間頭を整理していると、祖母が皆に向けて話し始めた。
「お母さんにはまだちゃんとした病気の事話していないけど、本人の希望でどんな結果であっても
全部話してほしいと言われているの。
きっと隠した所で自分で色々調べたりすると思う。
あの子はそういう子だから・・」
母に病名を告げたら、母はどうなってしまうのだろう。
どんな気持ちになるのだろう。
それを考えただけで怖くなった。
もし、自分だったら?
どんな行動をするのだろう。
母がいる病室に近づくにつれ、顔が引きつっていくのが分かった。
母が目に入った瞬間に泣いてしまうだろう。
もうそこまで涙は出かかっていた。
何度も何度も深呼吸して気も気を落ち着かせた。
ピンク色のカーテンを開けると、そこには笑顔で楽しげに看護婦さんと会話をしている母がいた。
少し驚いた。
こんな時にも笑顔でいられる母はやはり強いものであると。
と、同時にその笑顔にまた涙がこみ上げそうになる。
「あ、終わったんだ。」
母の表情はいつになく穏やかだった。
母の荷物を整理しながら、看護婦さんを交え少しの談笑に入っていた。
こんな時、人生の経験を積んでいる大人たちはそう簡単に涙など見せないものだ。
私は談笑をしている皆を後目に個室のトイレに入る素振りをみせ、少しの涙を拭っていたなんて、
今になっても言えない話だ。
区切りの付いた所で「では、また後ほど伺いますね」と、看護師さんが部屋を後にした。
いよいよだ、いよいよ母に告げなければいけない時間が迫っていた。
「ーーで、どうだった?」
核心に迫ったのは母からだった。
室内が一瞬張りつめた気がした。
「あぁ、そうね、その話をしないとね。」
祖母は小さな子供に語り掛けるかの用に、優しい口調だった。
「最初はほら、筋腫って言っててじゃない?」
うんうんと頷く母。
祖母は一つ一つ丁寧に言葉を選びながら話を続けた。
「それでね、その筋腫って言っていたけれど、、それが、子宮の癌だって言うのよ、、」
そこまで話を聞いていた母は、癌と告げられたにもか関わらず、一切の表情を変える事はなかった。
「あー、やっぱりかー、そっかぁ・・」
少し表情が悲しそうではあったが、母はその事実をしっかりと受け止めているようだった。
弱音は一切言わなかった。