勇者と食堂の娘
俺の役目は、魔王討伐及び、攫われた姫の救出だった。元は王宮騎士だったが、勇者の剣を抜いたことから勇者に選ばれ、国一番の魔法使いや、癒し手や、攫われた姫に仕えていた忠実な騎士といった精鋭の仲間と共に旅に出た。そして、やっとのことで魔王城にたどり着いたころには全員満身創痍だった。王宮付近は魔物が出ることはないが、辺境の町から魔王城までは荒野が広がっていて、そこは魔物たちの巣窟になっている。ろくに眠ることもできず、魔物と戦いながらの五日間で確実に俺たちは気力を失っていった。
「これが、最後の戦いだ…」
魔王城を前に、俺が一声漏らすと、仲間たちの疲れきった顔に微かな笑みが浮かんだ。
「これが終わったら、嫌ってほど酒を飲んでやる!それから女もな!」
「僕はお風呂に入って、清潔なベッドで眠りたいよ」
「早く嫁さんに会いてぇ…。もう子どもも生まれてるんだろうなぁ。早く抱いてやりてぇな」
「帰ったら、俺たちは永雄だぜ?へへ、嫌われ者の俺が、永雄か…」
「必ず姫を救い出す…!」
憔悴していた仲間の顔に鋭気が蘇りはじめる。そして、それぞれの思いを胸に魔王城の中へ踏み込んだ。
しかし、踏み込んだそこは既に魔王亡き後。囚われていた姫は解放され、魔王の亡骸の近くで呆然としていた。
「いったい、何が…」
「黒…が…」
姫は騎士の腕の中で引きちぎられた鎖を手繰り寄せると、ゆっくりと話しはじめた。
「黒を纏った女が現れて、その身一つで魔王を葬り去った…か。信じられるかい、ジュード?僕は信じないよ」
「たしかに信じ難い。しかし…姫が嘘を語る必要もない」
魔術師マニークは魔法で夢のような奇跡を起こすわりに、現実的な男だ。今回のことがどうも気に食わないらしい。
それもそうだ。黒髪の黒い服を身に纏った少女が突如魔王の目の前に現れ、武器も持たずにその身一つで魔王と戦い、そして討ち取ったというのだ。その後、姫を繋いでいた鎖を引き千切って解放すると、逃げるように姿を消したという。
姫を無事に保護した俺たちは王宮へと帰った。謎の黒い女のことは仲間と姫、そして王だけの秘密にされ、国民には勇者たちが討ち取ったと話された。
黒い女の話を伏せたのは、国民のためだった。正直に話せば、その女を新たな脅威と考える可能性があったからだ。その噂はたちまち伝染し、せっかく訪れた平和に、また混乱を招くことになる。さらに、この世界で黒髪は珍しい。間違いなく、黒髪の少女は迫害され、最悪殺される。
「あの方は、決して悪い者ではありません!彼女は戦いの中、私に害が及ばぬよう配慮し、守りながら戦ったのです。私はただの足手まといでした。新たな魔王というなら、魔王亡き後私を解放したでしょうか!」
最初こそ正直に公表することを主張していた姫は、もしもの仮定を聞くとその残酷さに渋々納得していた。
「なんだか…気に食わないんでしょ?人の手柄を横取りしたようで。魔王城にいざ乗り込んでみたら、既に成敗された後。それじゃ、モヤモヤしても仕方ないよ」
みんなそうさ、とマニークはため息を吐いた。
「あぁ、まさにそうだよ。なんだが、自分がずる賢いことをしたようで、気分は最悪だ」
「ジュード、君はこの後どうするつもりだい?また騎士に戻るのかい」
「いや、騎士は辞めるよ。魔王が死んでも、まだ魔物が残っている。俺は旅をしながら、魔物を狩ろうと思う」
「そうか。君らしい選択だよ。彼らは魔王亡き今それぞれの道に進もうと、また元の生活に戻ろうとしているのに、君は敢えて過去に囚われ続けるんだね」
魔術師マニークは以前のように王宮で仕える。他の仲間たちも、ある男は姫と結ばれ、ある男は妻と子の元へ帰り幸せな家庭を築くだろう。彼らの幸せも含め、この国の人々の幸せを守るため、また果たせなかった勇者としての役目を次こそ果たすため、そして…。
「こっちでも、何かわかったら知らせるよ。黒の女を気にしているのは君だけじゃない。みんなが同じことを思っている。無事を祈るよ、ジュード」
そして、俺は旅に出た。旅をして一年経つころ、辺境に近いある大きな町に魔物が出るという話を聞き訪れた。比較的少ない被害で魔物を倒すことができたのだが、そこでおかしな話を聞いた。
この町よりさらに進んだ所にまだトリントという町が残っているというのだ。魔物は今まで魔王城から近い所を狙い、その町が潰れると次へと進み、ジリジリと領土を広げていた。しかし、魔物たちはトリントを迂回してこの町へとやって来たというのだ。さらに聞くと、トリントは今現在、一番辺境に位置する町だという。ということは、一番危険に晒されているはずなのに、まだ無事なのだ。
俺はすぐにその町を目指した。トリントまでの間、何度も魔物に遭遇した。なのに、この先にまだ町が残っているというのだ。信じられない思いで何日か進むと、確かに町があった。そこは決して豊かではないが、普通に人が生活を営み暮らしていた。町の人に話を聞くと、半年以上魔物の姿を見ていないというのだ。何か変わったことはあったかと聞いても特にない。ならばと思い、黒髪の女を見たかと聞いても知らないという。しかし、この町には何かある。そう確信していた。
「すまない、娘さん。この町で宿を探しているのだが、良いところを知っていれば是非紹介してくれないか」
そろそろ日が暮れるころなので久しぶりに宿をとろうと通りを歩いていた娘に声をかけた。すると、娘は少し困った顔をした。
「ごめんなさい、この町に宿はないの。こんな辺境の地に来る人は少ないから。だけど、この先に食堂があるわ。そこの夫婦はとても親切なの、頼ってみて」
「そうか、ありがとう。もうすぐ暗くなる。娘さんも、魔物が出る前に早く帰るんだよ」
娘に言われた通りに行くと食堂があり、そこの優しい夫婦に話しをすると空き部屋を借してくれることになった。この町の情報を集めるのを兼ねてしばらく雑談していると、さっきの娘が涼しい顔でただいまーと入ってきたから驚いた。彼女はこの食堂で住み込みで働いているシロナといった。
シロナのいつも三角巾の中ひっ詰められた髪は栗色で、瞳は薄い青。華奢な体つきだが、シャキシャキとよく働く。理知的な性格だが、たまに悪戯をする可愛いところがある。そんなシロナに恋心を抱いていることに自覚するのは早かった。しかし、俺は魔物を倒しながら黒い娘を探す旅の途中。ここでシロナに愛を告げてしえば、俺は今度こそ勇者失格になってしまう。しかし、シロナを見るたびに頬が緩み、彼女と幸せな家庭を築けたら、などと考えてしまう。黒い娘の手がかりは何一つ見つからないし、それならさっさと諦めて、シロナとこの地で幸せになり、魔物と戦えばいいのでは…いや、なんて中途半端なんだ。そんな邪のことを考えてしまう自分の弱さに頭を抱えて町中をふらふら歩いていると、叫び声が聞こえた。
「魔物だー!!」
「いやだー!死にたくないー!!」
気付いたときには既に勇者の剣を手に走り出していた。魔物は食べ物の匂いに反応し、家を漁ることがある。悲鳴が聞こえた方は、この町で唯一の食堂がある方。それは、優しい夫婦とシロナがいる食堂だった。どうか間に合ってくれ。どうか無事であってくれ。そう願いながら走っていた。
食堂の前に大きな魔物が立っているのが見えた。しかも、なかなか手強い種で、豚のような見た目だが体は人間より大きく、性格は獰猛だ。どこかからも悲鳴がするということは、他にも魔物がいる。しかし、魔物は基本夜に行動する。こんな真昼間から現れるのはおかしいと思っていると、食堂の扉がふいに開いた。そこから出てきたのは、フライパンを手にしたシロナだった。
「シロナアアァ!!出てくるなっ!逃げろおおおぉおっ!」
俺は喉が裂けんばかりに叫び、魔物の気を引いて切りかかろうとした。しかし、俺が魔物に辿り着く前に、血が飛び散った。血はシロナの腹部を赤く染めている。俺の足はいつの間にか止まっていた。
「ゥガ…グブ…」
「ちょっとー。やめてよね、汚い」
カランカランと落ちたフライパンは不思議な形に歪んでいた。顔面にフライパンを食らった魔物は崩れ落ちるように膝をついた。
「なんでまた戻ってきたの、懲りないのねぇー。それとも、学習能力がないの?知能が低いの?バカなの?ねえ、バカなの?」
魔物の顔がちょうど良い高さになり、その間、鋭いパンチが八発、頬に食い込んだ。骨を打ち砕いているのか、魔物の顔からは赤いものが飛散し、殴られるたびに音がグシャやらゴシャやらいっている。俺は驚いて動けないでいた。何故って、あの華奢で可愛いシロナが魔物を血で赤く染めているのだ。それも、拳で。気が済んだシロナは飛び散った血を拭うため三角巾を外した。すると、栗色だった髪が一瞬で黒くなった。
「あーぁ、見られちゃった」
「シロナ…」
振り返ったシロナが俺を見る。青かった瞳も、今では黒くなっている。シロナは悪戯っぽく笑うと、こう言った。
「この町に魔物が出ないのは、私がいるからよ」
そして、シロナによって町に現れた魔物は全て血祭りに上げられた。
このあと二人がハッピーエンドになるといいですね、っていう話し。
そのうち、娘視点を書きます。