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夢の判決

作者: ubon

ある夜、遊牧民の青年が奇妙な夢をみた

夢の中で起きた出来事を、誰にも話してはならないと約束させられる夢である


青年はその日

羊たちとともに草原へでかけ、いつもどおりの一日を過ごした

夜になると友人をゲルへ招き、腸詰やチーズをふるまった

盛り上がったところで昨夜の夢の話をして聞かせた


翌朝、まだ靄がのこる時刻

外から聞こえる物々しい音に青年は目を覚ました

ゲルをでてみると、数十人の腫れたトマト面の騎兵隊が待ち構えている

「貴様は罪状認否を求められている。裁判所への出廷命令が下った」

不躾な物言いだった

悪い冗談だ、いや人違いだ、青年はそう思って

「俺のことではありません」といい終わるやいなや

ゲルへ引っ込もうとした、すると

「従わなければ逃亡罪を適用する」

まるで君主のような口調で告げてきた

青年もいささか腹にくるものがあったから

「さっきから何ですかあなた方は。俺がなぜ裁判などを受けなければならないのです」

と多少強気になって言い返すと

「この姿を見て我々が誰かを気付かないか?」

と手にしていた短い棍棒で征服のボタンをカツンと叩いた

彼らの制服には金色に輝くボタンが幾つもならび、右腕の腕章には大きな鳥が翼を広げている刺繍がほどこされてあった

「われわれは王の命令により、法を守ることを仕事としているものだ」

「それは分かります。俺が言いたいのは、どんな罪を俺がおかしたのかということです」

「見てはならないはずの夢を見たという罪だ」

「みてはならない夢?夢なら毎日のようにみています。いったいいつみた夢のことを言っているのでしょう」

「我々の仕事はお前を連れて帰ることだ」

「突然やって来てそう言われても、俺には羊がいます」

「そんなことは問題ではない」

これほど乱暴な言葉を、平気で他人に投げつける男と出会ったのは、この日がはじめてのことだった

遊牧民にとって家畜は家族同様に大切な存在だ

同じ草原に暮らすものなら誰もがそれを知っている

しかし「家族以上に大切な用向きがある、直ちに裁判所へ出向け」とこいつらは言い張る

聞ける話しではない

青年は無言のままゲルへ戻ろうとした

「待て!われわれには、命に従わないものをその場で処刑する権限も与えられている。手間を取らせるな、ただちに仕度をしろ!」

一段と鋭く固い口調で憲兵が言った

青年は怖くなった

道理が通じないのだ

共通の常識をもちあわせていないとなると

次に相手が何をしでかすのかも予測はできない

先の読めないことは人間にとって恐怖だ

青年は頭を踏みつけにされたように自分の言いたいことが言えなくなっていた

終にはその強要に押され、体高の低い頭の悪そうな馬に乗せられて裁判所へと向かった


この馬は酷くゆれた

背骨がいびつに歪んでいて足を引きずるように歩く癖がある

飼育環境が充分ではないことは遊牧民なら誰でも分かることだ

歪んだ背骨と、びてい骨が擦れるたびに奥歯を噛んで痛みを堪えた


青年は不快な馬上で、あらためて罪状について考えてみた

しかし憲兵の言う、みてはならない夢などというものは

思いあたる節がなかった

そもそも俺は遊牧民だ

大地の従順な民なのだ

故国の法などなんの役にもたたない

自然の掟が戒律そのものだ

それを夢にまで入り込んで規制をするなど

文明は人の頭を駄目にしてしまうらしい

そんなことを考えた


はるか荒野がしらじらと明けてゆく

陽の光がうっすらと弧を描いて顔を上げる

この星がまるいことを確かめられる時刻だ

空も大地もかわらぬ広さで偉大だった

それは誰のものでもない

砂まじりの涼しい風

乾期にはきまってこれが吹いてくる

これも誰のものでもない

草原をおおう葱草

それは羊と俺の命をつなぐもの

枯れることのない恵みだ

これも誰のものでもない

しかし夢の話となると話は別だ

夢は個人のものだ

それが、内容によっては裁かれてしまう?

はじめて聞いたぞ

いったい誰がどう裁くというのだ


陽は既に高く登っていた

裁判所は都からさらに東へ三里ほど外れた場所にあった

砂漠のような空っぽの土地に

土色をした屋根のない四角い建物がある

窓らしい窓もなく、扉らしい扉もない

壁をくり貫いたような入り口がひとつあるだけで

とても人を裁くような厳粛な場所とは思えなかった

特徴的なのは全てが土のみで作られていたこと

壁が驚くほど、いや無意味なほど分厚いことだった


青年は下馬すると、馬に礼をいい、額をやさしく撫でてやった

腫れたトマト顔の騎兵隊たちは、既に裁判所の入り口に線を引いたように整列している

青年は彼らに睨まれるようにして入り口から中へ入った


廷内は外からみた印象とまったく同じで「から」だった

地面がむき出しの廃墟のような空間だった

ほかに目につくのは吹き抜けの青い空と

等間隔で置かれた大小の木箱の二つだけだった

入り口をみると、腫れたトマト顔の男が直立したまま顎で合図を送ってきた

小さいほうの木箱に座れということらしい

少しして裁判所の真上に大きな影が走った

何かが上空を横切ったのだ、いや旋回している

青年は見上げ、その正体を探したが、もう着陸したのか見つけることはできなかった


外で軍隊式の号令が響いた

一瞬にして緊迫が走った

入り口に現れたのはコンドルだった

おそらく上空を横切った影の正体であろう

首には鬣のように大仰な毛輪を飾り、敷石の上で既にこちらを見据えている

見たこともないほど大きなコンドルだ

青年はそう思った


コンドルは首を前後に揺らしながら廷内へ入ってきた

どことなく肉の腐ったような匂いがした

何か詰まりものがあるかのように喉を鳴らしているし、目も淀んで濁っている

とにかく長くみていると気分が悪くなるほど醜悪な容姿だった


コンドルはその巨体をしっかりと支えながら

青年の向かいに置かれてある大きい木箱の上へ登った

箱がそのおもみで壊れてしまいそうなほど軋んだ

暫くのあいだ一人と一羽は無言で向かい合った

青年はコンドルの何かを諭しかけるような瞳が気に入らなかった

自分の方が随分と劣っているように感じたのだ


「私が裁判長である」

コンドルが口をきいた

青年は驚きで反応がおくれた

コンドルが裁判長だと?

子羊を狙うコンドルは、いわば遊牧民の敵だ

そんな奴に、俺はこれから裁かれるのか

「お前は罪状を心得ておるか」

コンドルは気高くも威厳たっぷりにそう言った

大きな濁り目も、鋭く折れ曲がったクチバシも

爪の先に付着した肉片も、先よりはっきり見えていた

それは青年を威嚇するには充分すぎた

「お前は見てはならない夢を見た。破ってはならない約束も破った。どうだ思い出したか」

まったく不可解だ

みてはならない夢をみたと言われたところで、俺がそんな夢など知るものかと言えば、誰も反論はできないだろう

なぜなら夢をみたかどうかなど、証明することは不可能だからだ

「どうだ、思い当たる節はないか。お前は約束を破ったのだぞ」

「夢をみたとかみないとか、約束を破ったとか、それが罪だとか。いったいどうやってそれを証明するのですか?話の分からない憲兵たちにも言いましたが、俺は・・・」

息巻いてその先を付け加えようとしたとき、青年の心にふと思い当たるものか浮かんだ

それは、瞬間的に尻が凍ってしまうような衝撃だった


「それだ」コンドルが言った

「今、心にあるものを口にしてみよ」

コンドルは見逃さなかった

青年ははっきりと思い出していたのだ

そして、言い逃れは出来ない、そう確信した

「さあ、言ってみなさい」

「俺はお前と・・・」

「貴様!」入り口の憲兵が怒号のように叫んだ

「裁判長をお前と呼ぶとは何事だ!慎まんか!」

「・・・裁判長と俺は前に会っています」

「どこで」

「夢の中で」

「そうだ。我らは一度会っている。私はそのときお前に何を言った?」

「この夢の話は決して誰にもしてはならないと」

「しかしお前はどうした」

「俺は仲間に話しをして聞かせた」

「約束を破ったということだな」

青年は黙って頷いた

「判決を言いわたす!判決、不夢不眠の刑。さらに、お前の仲間ともども言論禁止令に処す!」


青年はもう何も驚かなかった

薄ら笑いさえ浮かべていた

ここで合点がいったのである

つまり、これは夢なのだ

俺はまだ夢のつづきを見ている

やがていつものように朝を迎え、いつものように目覚める

いつもの生活がはじまり、いつもの仲間と楽しい時間を過ごす

そうか、ならばいっそこのままでいよう

この不思議な夢の世界をもうすこしだけ堪能しておこう

そう考えた

それにしても良く出来た話だ

裁きようもない夢をいかに裁くのか

落としどころは以外にも裁判長みずからが夢に登場していたという筋書きだ

なるほど、これでは言い逃れはできない

裁きようのないものを裁くのだから、これぐらいの強引さが必要だ

上手くできている、夢で良かった


コンドルは判決を言い渡すと、飛びたつ刹那あしもとの大きな木箱を破壊して廷内から去っていった

青年は、それを見届けると憲兵のいわれるままに

あの愚図な馬にふたたび跨って帰路についた


陽が完全に落ちて随分と時間が経過した頃

青年はやっと帰宅した

羊たちは興味のなさそうに主人を迎えた

乾燥した糞で火をたき、湯を沸かしてチャティを飲んだ

そしてじっと夢から覚めるのを待った


揺れる炎とカップの熱があまりにリアルで青年を無口にさせた

長い夢だ

明日はいつもより早く羊たちを水場へ連れて行ってやりたい

そんな予定をたてた

しかし一向に夢から覚める気配はなかった

休むことなく糞を次々とくべているというのに眠気は襲ってくる

どういうことだ、人は夢の中でも眠れるのか?

自分の眠気を疑ってはみたものの

起きていても眠っていても夢は夢だ

そう自分に折り合いをつけて寝床へ横になった

眠れそうで眠れない

歴史書を開いて目を疲れさせようとしたけれど無駄に終わり

革命の歴史という箱のように分厚い本を手にしたけれど初めのページで活字が嫌になり

春本をひらいたところでいつものような高揚はないだろうと手も伸ばさなかった

仕方なく日頃は口にしない馬乳酒を手にとった

来客用のためだけに羊の皮袋の中で数日攪拌させて作り置きしていたものだ

数回かきまわしてドンブリに注ぎ、一杯やってホロホロとした、が

日が浅いのかアルコールは弱く、酸味ばかりが口に残ってどうも好きになれなかった

終に立ち上がりゲル内の雑用をはじめたが、きりがなくなって疲れ、また寝床へ転がった

寝床がいつもより硬く感じた

青年は次第に、昼間の出来事が現実であったのではと疑いはじめた

これは夢ではないのかもしれない

もう刑は執行されていて、俺には二度と眠りも夢も訪れないのかもしれない

そう考えると青年は失望していった

天窓から望む夜空に流星が悲しく落ちていった

一つまたひとつ

無風の夜だった


次の日の朝早く、青年は目を覚ました

目が覚めて新しい朝に触れた

「朝だ!俺は眠ったんだ。眠っていたんだ」

喜びとともにゲルを飛びだした

興奮気味の主人に、羊たちは冷たい視線を送った


青年は雲の位置と風向き確認した

いつもより少し遠くの水場をめざして放牧にでかけることにした

それは昨日の罪滅ぼしだった

羊の群れを操りながら昨夜までの心配を笑った

途中で葱草が豊富に密生する場をえらんで休憩もとった

青年はそこで寝転がり、雲を眺めながらいつもの詩を歌った

「俺はとっても幸せだ

 羊は元気に草を食う

 俺はとっても幸せだ

 羊は元気に草を食う

 俺はとっても幸せだ

 俺はとっても幸せだ」


ふと、異変に気づいた

羊たちが暗い声で唸っている

草に顔をうずめてはいるものの

口が針と糸で縫われ、塞がれているのだ

青年の歌は終り

幸せは戦慄した


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― 新着の感想 ―
[一言] 新しいフェーブルを読んだ気分になりました 色々と考えさせてくれますね
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