親
私の作戦は成功したはずなのに、何故か私はチェキの車に揺られている。確かに彼の行き先は分かった。彼の目的は見舞いであり、その相手は彼にとってとても大切な存在だった。
ようやく、抱いていた謎の答えがわかったというのに、全然すっきりしないのは何故だろう。
「浮かない顔をしているな」
助手席で溜め息を吐いた私にチェキは前を向いたまま声をかけた。
「そうかな」
「どうした?」
私にも分からない。分かったのは私には知らないことがたくさんあるということ。世界のこと、二十年前のこと、チェキのこと、自分のこと。挙げるときりが無い。むしろ私は何も知らないのではないだろうか。あの身勝手に恐怖を喚き散らす大衆と同様に。
チェキは自らの過去を詳しく語ることは少ない。今私が見ている彼の顔は、本当の顔ではないのかもしれない。それでも私にとってチェキがかけがえの無い存在であることは変わりない。
「チェキは怒らないの?」
「は?」
「私が勝手に尾行して、チェキの秘密を暴いたんだよ?人として最低なことだよ」
決して私を咎めないチェキに痺れをきらして、私は問う。私にはチェキの心情がどうしても分からない。私なら勝手にそんなことをされたら、怒り狂うかもしれない。
「なんだ。そんなことを気にしていたのか」
チェキはふっと息を漏らして笑った。
「生憎、私はヒトではないから、最低だとは思わない」
「そういうトンチみたいなことじゃなくて」
「どうせいつか、セツナをあそこへ連れて行くつもりだった。何しろ、お前の伯父だからな。私が独り占めするわけにも行くまい」
ベッドで横たわる桐谷リヒトを思い出す。蝋人形のように白い肌と、華奢で壊れそうな肉体。それにくっ付いた優美な寝顔。
「綺麗な顔をしていた」
「あぁ、リヒト様は美しい」
チェキは頷く。その目には前方で走るシルバーのセダンが映っている。
「お前の父親にとても似ている」
ぽつりとチェキが呟いた言葉に、私は少なからず動揺する。父親が自分に存在しているということが自分でもなかなか信じられないからだ。父は限りなく虚ろな存在だった。物語の中のシンデレラの方がまだ現実的だと思えるほどに。血のつながりが何だというのだ。私は大空の下、スクランブル交差点に立ち、大声で主張したくなる。
「チェキ」
「ん?」
「私にとっての親はチェキだけだよ」
私がそう言うと、チェキは困った顔をして笑った。別にお世辞を言ったわけではない。それでも彼は私の両親の友人らしいので、複雑な心境にさせたのは間違いないだろう。だが、そこで彼は思わぬことを口にした。
「お前は私に似ている」
そう言うチェキの横顔は差し込む夕陽に照らされて美しい。茶色の髪が燃えるようなオレンジ色を放ち、輝いて見える。
「それって喜んでいいの?」
「嘆くべきだな。残念ながら」
そう言いながらも、彼はほんの少し嬉しそうに見える。それを見て私も嬉しくなって笑う。
「そういえば、セツナ。夕飯を作る約束はどうした?」
「う……」
痛いところを突かれて私は思わず顔を強張らせる。
「悪戯をするのは構わないが、約束を守らないのはいただけないな」
「ごめんなさい」
私がしおらしく謝ると、彼はふっと息を吐いて太い声で「まぁいい」と言った。
「今日は私が作ろう。その代わり全部残さず食べろ」
「えー……」
駄々を捏ねてワガママを言う私を彼はいつも怒らない。ただ優しく、時には厳しく戒めるだけだ。私はワガママを言うし愚痴も零すけれど、結局チェキには敵わない。雄大なクジラに立ち向かう小さなサメのように、軽くあしらわれて終わる。
「うん。わかった」
満足そうにうっすら笑みを浮かべながら、チェキがアクセルを踏み込んだ。健気に黒のクーペが唸りながらスピードを上げた。