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セル

シュラの骸を越えた所にあったのは大きな鉄の扉だった。ここに満たされているのは致死量の放射能です、と云わんばかりにその扉は厳重に閉ざされているようだった。11桁の暗証番号、指紋認証、網膜認証の3重のセキュリティで外部からの侵入者を閉ざしていた。そもそもこれだけ鉄壁のセルにどうやって侵入するつもりだったのだろうか。


「エソラでも入れただろう。11桁のパスさえ知っていれば、の話だが」


サハラはセキュリティの穴を難なく認めて、さらりと告げた。彼は慣れた様子で全てのセキュリティを解除していく。やがて缶ジュースを開けた時のようなプシュッという空気が抜ける爽快な音がした。ゆっくりと荘厳な音を立てて扉が開く。開けてはならない禁断のドアノブに手をかけてしまったような、奇妙な罪悪感があった。


私は驚愕した。

当然知らないはずの向こう側に広がる景色を知っていたからだ。


穏やかな風が吹き抜ける白い部屋。純白のカーテンがふんわりと風を掴み膨らんでいる。

部屋の中心には白いパイプベットがあり、その上にはかつて私が美女と見間違えた、美しい青年が寝息をたてることもなく眠っている。つまりは私の叔父が眠っている。


「桐谷リヒト」


私は彼の名を呼んだ。勿論彼が身体を起こし、私の呼びかけに反応することはない。


チェキは顔を硬直させたまま微動だにしなかった。できなかったというのが正確な表現なのだろう。


「何故……?」

「これはチェキ達が知ってる病院じゃないよ。これは本物のリヒトじゃないから」


サハラは真顔で言う。表情というものを忘れてしまったようにも見える。


「本物?」

「あそこで眠っているリヒトは本物だよ。ここはリヒトの夢の世界を具現化し、現実の世界とリンクさせるための部屋だ。レプリカにすぎない」

「レプリカにしては悪趣味に思えるほど精巧だな」

「これこそがセルだ。レプリカとなめていたら心を食われるぞ」


サハラは穏やかな寝息をたてて眠るリヒトを見下ろしながら言った。


「心を食われる?」

「記憶を失い自我を失うということだ。セルは貪欲にコアを食らう」


私は眉間に皺を作りながら問う。


「結局セルとは何なの? これじゃまるで」


私の質問に被せるようにしてサハラは答える。


「セルの本質はコアそのものだよ」


白い部屋にどこからともなく風が吹き込んできた。驚いたことに、先ほどまで暗闇に覆われていたはずが、窓の向こう側には真っ青な雲一つない空が見えていた。既にリヒトの夢の世界に迷い込んでしまったのかもしれない。


「目を閉じて」


突然、サハラの声色が変わった。聞いたことのない穏やかな声。夜の浜辺で押しては返す波のような静かな声だった。


「リヒト様?」


戸惑うチェキの口は相変わらず開いたままだ。


深く息を吸い込み、ありもしない潮風を身体の奥に封じ込める。


私は目を閉じた。

暗闇が眼前を覆い隠す。


月が雲を隠すように。




やがて胸の辺りが熱を持つのを感じた。心臓がオーバーヒートし、発火してしまうのではないかと思う反面、私の心臓はいっこうに逸る様子を見せない。ただ一定リズムを刻むだけだ。通常は脳からの指令により制御されるべき心臓が、いまや逆の立場をとり、焦ることはないと脳に言い聞かすような不思議な感覚だった。


無。


そこには闇しかない。


この闇は夢で見たことがある。

チェキが愚図りながら、荒野にへたりこむ夢。何も知らない赤子のように涙を流し、そんな彼に手を差し伸べる桐谷リヒト。

あれは夢だったのだろうか。それとも誰かが、例えば神様が私に見せようとした、過去の映像ヴィジョンだったのだろうか。


明らかにする術はないが、私は何故か後者であることに確信があった。


そしてこんなことを考える。


神様がいたとしたら、どうして理不尽な運命を人々に課すのか。

優しい人間を、そしてコアをねじ曲げるような暴挙をなされるのですか、と。



気がつくと私は雨に打たれていた。身体の隅々に突き刺さるように鋭く穿つ雨の滴は、サハラと再会した体育館裏のものとは似て非なるものであると感じていた。


「こんなところで何してる? 傘も差さずに」


ベンチに座る私に声をかけたのも、やはりサハラだった。出会った時と同様に全身黒ずくめで、絵本の中から飛び出した悪魔のようだった。


ただ違うのは、サハラの瞳が輝く海のように青く染まっているところだけだ。


私はそんな彼と目を合わせたまま、「そっちこそ何を?」と訊ねる。サハラは微笑を浮かべたまま「神様になろうと思って」と意味の分からないことを言った。


私はそれを笑ってあしらうこともできたけれど、「そうなんだ」と頷いた。


「何故神様に?」


私が訊ねるとサハラははにかんだ。照れているのだろう。


「分からない」

「分からない?」

「これは俺の意志ではなく、みんなの意志だから」

「みんなが神様を望んでいるってこと?」


雨足は弱まるどころか、更に激しさを増している。それなのに何故か私の耳には鮮明な輪郭をもつサハラの声が届いている。


「そうだな。俺は望みを叶えるために存在しているから。俺が実体を持って存在するのは誰かが俺を求めているからだ」

「それは誰だろう?」

「誰だろうね」


サハラは笑みを壊すことなく、肩を竦めた。その目はかっちりと私を捉えている。


「必要だから俺はセルを作り、神様になろうとした。この世界は絶対的な力を以て支配する者がいなければ、秩序さえも失われてしまうほど歪んでしまったから」

「そうなのかな」

「そうだよ」


サハラは即答した。


「外からでは見えない。同じ場所から見える景色は同じものでしかない」


彼はそう言いながら、眩しいものを眺めるように目を細めながら天を仰ぐ。空から降り注ぐ大粒の滴を顔面で受け止めながら、彼は「セツナ」と人なつこい声で私の名を呼んだ。


「世界の裏側を見てみろよ」


どこかで聞いた言葉だなぁと思い、記憶を巡らせる。やがて、ふわっと深海の泡のように沈んでいた記憶が浮かび上がり、彼の半身であるエソラと出会った時だと思い出した。


「裏側には何があるの?」


私は訊ねてみる。あの時のように呆気にとられて首を傾げるしかできない私ではない。


「コアの悲しい末路と人間の歪んだ憎悪だよ」

「でもそれを生み出したのは星だわ」

「きっかけは星だが、生み出したのは今生きる人間達だよ。人は簡単に命を切り捨て、除去できる生き物だからな」


そう語るサハラはどこか諦観しているように見えた。


「それでも貴方サハラは人になることを決めた」

「あぁ。俺は人として生きたいと思った」


鸚鵡返しに彼は言う。いつの間にか雨が身体を穿つ感覚がなくなっていた。「あれ?」と私は辺りを見回すが、雨は未だ降り続けている。


「他でもない、貴女セツナのために、俺は生き、死ぬ」


その声があまりに真摯な色を帯びていたため、私は思わずサハラの青い瞳に釘付けになってしまう。金色の髪の毛が濡れ、萎れた花のように垂れている。


「目を開けて」


サハラは言った。意味が分からずに私は首を捻った。今開いているではないか、と言いそうになり、おかしなこの状況にようやく気付いた。


目を閉じたままの私が何故今、サハラを見ているのだろう。


不意に夢から覚め、我に返ったように、私は目を開ける。今までにない強烈な白い光が射し込んでくる。私は目が慣れるまでうっすらと瞼を閉じ、じっと待つ。



目の前に広がる世界は、幼い頃絵本で見たことがあるような広大な緑の草原だった。



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