L棟 1
L棟の前に着いたところで、サハラはポケットから1枚のカードを取り出した。左側に「佐原リョウ」と名前が書かれてあり、右側にサハラの顔写真が載っている。相変わらずの金髪でチンピラ面だが、改めてじっくりと見るとそれなりに整った顔立ちをしているのだと気付いた。日頃からチェキの端正な顔を見て生活していると、よほどでない限り周囲の男性に対して格好いいという感覚は湧いてこない。以前、サナに「目がおかしくなっている」と咎められたことを思い出す。今となっては否定することはできないな、と苦笑する。
「何?」
カードに魅入る私にサハラは怪訝な表情を向けた。私が「いや」と短く首を振ると、彼は別段追究する必要がないと察したのか、「準備はいいか」と訊ねた。
「L棟は俺や騎士達、および政府の一部の人間しか入れなくなっている」
特殊なパスで管理されているのだと彼は言った。
「おそらくあいつらも既に中にいる。もしかしたら用心で、誰かを配備している可能性もある。おそらく強力で凶暴なコアを」
私は今夜遭遇した赤と黒の二匹のライオンを思い出す。獰猛なコア。チェキの存在によりコアに対して抱いていなかった恐怖が心底に強固に根付いていることを実感する。あのままサハラがいなければ私は彼らの餌になり、肉塊すら残らない無惨な最後を迎えていたに違いない。
「セツナ」
当然、名を呼ばれて私は思わずびくっと肩を揺らした。
「やはりお前は帰った方がいい」
チェキが神妙な表情を浮かべながら言った。灯りの影響なのか、チェキの顔は青白く見えた。
「記憶が失われることなくセルに入れるなら、お前が入る必要はない」
私は首を横に振る。チェキがそう言い出すのは予想がとうに出来ていた。
「セツナ……」
「イヤよ。絶対着いて行く」
我ながら呆れるほど、幼いと思った。玩具を買って貰えない小児のように、私は頑なに首を振った。
セルに入ることに対する恐怖心は勿論あった。存在すら怪しかった正体不明の生命の檻に自ら足を踏み入れることに何も感じないほど、私は強くはない。それでもその恐怖よりもチェキがいなくなる方が怖かった。チェキがいなくなるくらいなら、私は自分が消えた方がいい。
「セルがどういう場所か分かっているのか」
「分からないよ」
「それがどれほど危険であることを示しているか分からないほど馬鹿ではないだろう」
いつになくチェキの口調は強かった。
「それはチェキも同じ。充分危険だよ」
「頼む、セツナ。私を困らせないでくれ。私は傷を負っている。力不十分な状態でお前を充分に守りきる自信がないんだ」
眉間に皺を寄せて懇願するチェキを私は初めて見た。しかし、大切な人を困らせる悪女であると思われても、これだけは譲れなかった。最悪の場合、チェキは私に手を出しても、行くのを妨げるだろうと覚悟していた。その拳がいつ飛んでくるか、私は内心ハラハラしながらもひたすらに食い下がった。
「チェキ。悪いんだけど、彼女には同行してもらうよ」
サハラがうっすら笑みを浮かべそう告げると、チェキは珍しく鋭い視線を彼に向けた。
「何だと?」
「彼女が行かないなら、この入り口は開けない」
「貴様、セツナに何をするつもりだ!」
夜の静寂に突風が吹き込んできた。周囲の建物のガラス窓がガタガタと音を鳴らし、木々はガサガサと枝を揺らした。チェキの怒りに反応しているように思われた。
そんな緊迫したチェキとは相反して、サハラは手をひらひらさせながら、「何もしない」と笑っている。
「だが、彼女には同行してもらいたいんだ」
「理由になっていない。何を企んでいる?」
サハラは飄々と笑いながら、こちらを見ている。私は彼の意図を知っている。彼が求めているのは私という監視役であり、ストッパーであるということは分かっている。だが、ここで私が持っている星のナイフを見せて説明をすれば、チェキに取り上げられる可能性が大いにあるため、私は黙っていた。
「何も企んでいないよ。まぁ証拠は何一つないけど。そもそも、俺のこと信用するって言ったくせに、セツナが絡むと豹変するんだな」
証拠ならきっとある。それは私の左手に握り締めたままになっている星の石のナイフである、と言えるのではないか。
「どうする? チェキ」
急かすようにして、サンデが上擦った声を出した。彼は既にセルに連れて行かれたエソラの身を案じているようだ。早く行こう、と促したい思いが前面に出ている。
目に見えて苛立っているチェキの顔を覗き込むようにしてサハラは「彼女は俺が守るよ」と言った。
「お前が守れないなら、俺が守る」
挑発するような口調だった。わざとかもしれない。何故この状況で、そのような行動をとったのかは不可解だが、私もサハラに乗じて「お願い」とチェキに追い討ちをかけた。
チェキは唇を噛みながら、目を閉じた。彼の中で何かしらの葛藤があるのは見て取れた。苦しめている張本人であることが辛かったけれど、こればかりは引けない。
10秒ほど間が空いて、チェキは深い溜め息を吐いた。
「分かった。今はエソラを救出し、セルの凝縮を防ぐことが最優先だ」
「チェキ!」
「ただし」
チェキは歓喜する私に釘を刺すようにして、いつもよりも刺々しい口調で言った。
「決して無理をしないこと。自分の身は自分で守れ」
その顔は真剣で、どこか寂しそうに見えた。突き放した自分に対する罪悪感のようなものが、振り切れないままに答えを出したようだった。自分で守れというチェキはおそらく窮地になれば、身を呈して私を守ろうとするのだろうなという予測は簡単に出来た。だからこそ、自分の身を自分で守ることの重要性は多大なるものに思えた。彼を困らせたことに耐え切れず「ごめんね」と謝ってみるが、チェキは何も言わなかった。チェキはまっすぐに扉の向こうを見つめていた。その瞳には当然のごとく迷いも曇りもない。傍らにいるサンデが深く頷いた。決意に満ちた表情だった。
サハラは大きく息を吐き出してから、パスをカードリーダーに通した。チリチリと金属が捩れるような音の後にピーっという冷たい高音が鳴った。
扉は自動的に開いた。通常の自動ドアよりもゆっくりと焦らすように開いた。
扉の向こうには直線の白い廊下が伸びていた。いつかの病院での小さな冒険を思い出す。あの時の眩しい白さはそこにはなく、じめじめした薄暗さで正確には純白かどうかの判断は難しい。サハラが先頭を歩き、私達3人は並んでその背中を追った。
ただ薄汚れたスニーカーを履いているのに、足音が奇妙なほど反響した。真夜中の病院を散策しているようで、どこか後ろめたく不気味だった。この真夏に寒さを感じて、私は一度鼻を啜ったがその音もしつこいほど響き、隣を歩くサンデに不機嫌な視線を向けられるはめになった。
急にサハラの足が止まった。突然のことだったので私は前につんのめる形になった。
「やはりいたな」
廊下の突き当たりのところに、人影が見えた。やがて近付くにつれ、そこにいる者が人間ではないことが分かった。背中から大きな灰色の翼が生えている。
「来られましたか。サハラ様」
太いバリトンの声が響いた。
「本当に我らを見捨てるのですね。神とは無情なものです」
「俺は神じゃないよ。シュラ」
背中まであるであろう漆黒の長髪、燃えるような赤い瞳のそれは確かに男性に見えた。羽根さえなければ、どこかのビジュアルバンドのボーカルでもしていそうだと思った。
「タテナリに、時間稼ぎをしろとか言われたのか?」
「時間稼ぎ? そんなつもりは毛頭ありません。私が命じられたのは」
シュラと呼ばれたコアを淡い紫色の光が包んだ。暗闇に慣れていた目には刺激が強く、私は目を伏せるが、次に彼を見た時、その手には長い槍が握られていた。
「あなたの処分、ですよ。サハラ様」
読んでいただきありがとうございます。
書きたいままに、気ままに書かせていただいており、見苦しい点多数あるかもしれません。
是非アドバイスや感想など頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします!!