探偵ごっこ
今から作戦を決行する。最優先事項は「チェキにばれないこと」。そしてその次に「チェキを見失わないこと」だ。
私は店を出る前にトイレに行く。そこで携帯電話でタクシーを1台予約する。家の隣の公園に来てもらえば、チェキに気付かれることはないだろう。まさか、私が呼んだとは思うまい。
「さぁ、行こう」
トイレから帰って来た私は元気良くチェキに言う。
「何だ?妙に晴れ晴れとしているな」
「え?」
チェキが私の計画に気付いたのかもしれないという危機感のせいで私は動転し激しく首を振った。
「いや。ほら、トイレ、すっきり」
奇妙な暗号のような言葉の羅列に、チェキは首を傾げながら小さく息を吐き、「行くか」と言って立ち上がった。
「ねぇ。今日はどこに行くの?」
家へ向かう車の中で、チェキに訊ねる。容疑者に自首のラストチャンスを与えるような気分だった。今、答えなければ私は強引な手段をとらせていただきます、と私は心の中で呟いた。チェキは前方を見たまま「いつもの所だよ」とやんわりと答えた。緊張感のない口調であるはずなのに、その先に踏み入れないような強さを秘めている。赤いペンキでしっかりと境界線が引かれていてここを乗り越えてはいけません、というルールを私は幼い頃から教え込まれている。私は「ふーん」と興味のなさそうな声をあげて、両手を頭の後ろに回した。
家に着いた。決して大きくはないが、私はこの家の鮮やかな赤い屋根と真っ白な壁が気に入っている。
「じゃあ、いってらっしゃい」
私は車を降りて、笑顔で手を振る。でも、もう無邪気なだけの私ではないよ、と心中で付け足す。そんな声も届かず、チェキは軽く左手を挙げて、車を走らせた。
予約した黒いタクシーがすぐ傍に止まっている。私は駆け寄って、タクシーに飛び乗る。
「あのクーペを追ってください」
私がそう言うと、運転手のおじさんが怪訝な顔をこちらに向けた。確かにそんなセリフを吐くのは火曜日のサスペンスドラマの有名な女優さんくらいかもしれない。
「早く!」
私が急かすと運転手は「はいよ」と気の抜けた声を発して車を出した。
「尾行しているのか?」
運転手が感情のない声で訊ねたので、私はそれを肯定した。私の回答を聞いて数秒後にアクセルを踏み込む音がした。
「じゃあ、見つかるわけにはいかないなぁ」
どうやら乗り気になったらしい。こういう運転手もサスペンスドラマではよく見かけるなぁと暢気なことを考えてしまう。
自宅から真っ直ぐ走ると、拓けた国道に出た。私が行くと宣言した本屋を通り過ぎて、車は国道を走り続ける。私は内心、不安になってきた。財布の中身が気になる。もし、このまま東京を抜け出して、隣の県に行ってしまったら、お金は足りないかもしれない。チェキの動向も気になったけれど、私はタクシーの料金メーターに釘付けになっていた。
「あんた、あの車の行き先知ってるの?」
運転手が心配そうに尋ねてくる。私が嫌な汗をかきながら首を横に振ると、僅かに目を輝かせて「地の果てまで着いていってやる」と漫画の主人公のような言葉を口にした。
国道を五キロほど走ったところで、クーペは左折した。まるで尾行を撒こうとしているように入り組んだ道をゆっくりと進んでいく。
見覚えのある風景のお陰で気付いた。そこは先ほどゴーヤチャンプルを食べた喫茶店ヒナタのあった通りだ。チェキは戻ってきたのか? そういう仮説が浮かんだけれど、チェキはヒナタの前を通り過ぎて、さらに真っ直ぐに車を走らせたため、その儚い仮説は一瞬で消え去った。
「あっ」
クーペは喫茶店ヒナタのすぐ傍にある都立病院の地下駐車場へと向かう。私もそれを追いかける。金銭的にここで降りたいところだが、ここで降りてしまってはチェキを見失う可能性が高い。
地下駐車場は比較的空いていた。チェキが車を停め始めたので、私は少し離れたところで、タクシーから降りた。
心臓がドキドキしたが、先ほどの興奮はもうない。むしろ、自分が開けてはいけない扉を開けてしまったのはないかと落ち込んでさえいた。彼が通う秘密の場所としては最悪の場所だと思った。彼はどこか病んでいるのだろか。
でも病院はあくまで人間が来る場所であって、彼が来るべき場所ではない。ヒトではない彼が医者に身体を診てもらったところで、彼らは身動きも出来ずに絶句するか、大声を上げて警備員を呼ぶかのどちらかだろう。
私はこのまま彼を追うか悩んだ。扉を開けてしまったのに、その中に入ってしまっては帰ってこられないのではないかという不安が、私の頭の中で仁王立ちしている。その不安を背景に、天使と悪魔が喧嘩をしている。それこそ漫画ではないか、と私は苦笑する。
チェキは車を降りて、建物の中に入っていく。遠くから見ると、売れっ子のモデルのように見えた。ほとんど衝動的なものだったが、私はチェキの背中を追いかけることにした。幼い頃からちょろちょろとチェキの背中を追って走り回っていたクセのようなものかもしれない。
「たとえ病気でも家族なら知っておくべきだよ。きっと」
頭の中の天使が勝利し、耳元で囁いたような気がした。私は頷き、声に従うことにしたけれど、病院のエスカレーターに乗りながらとある真実に気付き、思わず首を振った。それが本当に天使なのか、判断する術はどこにもない。残念ながら。