好奇心と難解な問題
サハラは裸のままベッドに寝そべっていた。彼の瞳は傍らで寝息をたてて無防備に眠っている裸の女性に向いていた。彼女はサハラの「彼女」ではないし「友人」でもない。知り合って3時間にも満たない、知り合いだ。知人と言うにもあまりに浅い関係しかないはずだが、自らの全てをさらけ出す彼女にサハラは首を傾げていた。
正確に言うならば、彼女と出会ったのはつい2時間と50分前だ。夜、天神山高校から大学への帰り道、怪しいネオン街を通っていると突然背後から声をかけられたのだった。
「お兄さん」
サハラは振り向いた。そこには見覚えのない、茶髪の若い女が立っていた。クルクルと巻かれた髪の毛にはラメが付いていて、彼女は肩の露出した深紅のドレスを着ていた。「佐原リョウ」には妹はいないはずだったので、サハラは首を傾げた。
「キンパのお兄さん。そう、あなたですよ」
「俺はあんたの兄じゃないだろう?」
サハラが眉をしかめてそう告げると、女は下品な声でギャハハと笑った。
「何それ。洒落ですか」
「洒落?」
「まじ超ウケますね。それ」
大しておかしいことを言ったつもりもなかったので、サハラは表情を動かすことなく「何か用?」と訊ねた。
「単刀直入に言うけど、私とヤりませんか?」
サハラはまた首を傾げた。
「ヤる?」
殺るという意味が最初に浮かんだが却下した。正しい解答が浮かび、サハラは思わず苦笑した。
「何故俺なんだ?」
女は意味ありげな表情で笑った。口元の妖艶なピンクのグロスが煌めいた。
「だってお兄さん、ちょっと好みだし、私飢えてるんだよね」
「飢えてる?」
サハラの声が裏返った。彼女もコアなのかと、一瞬訊ねそうになった。
「悪い話じゃないよ。私、結構身体には自信あるし」
「何だよ、それ」
「安くしておくし。私、今むしゃくしゃしててさ、ヤらないと気が狂いそうなの」
そこでサハラは察した。彼女はまとまった金が必要で身売りをしようとしている。よく考えるとこのネオン街はそういう店が乱立していて、そういう女性や男性が徘徊していることで有名だった。
「ダメですか?」
上目遣いでサハラを見上げる女性を、彼は存分に見下した。金のために自分の身体を売る女性は特に嫌いではないが、媚びる女は嫌いだ。
しかしサハラはフッと頬を弛ませて、その誘いを承諾した。金がない彼女に同情したわけではなく、ただ好奇心に依るものだった。生命が生み出されるために歴史が刻み続けた儀式に対する興味に過ぎなかった。横で眠り続ける女はマドカといった。興味はなかったが、彼女は自分からそう名乗った。
サハラは溜息を吐いた。好奇心は満たされることはなく、後悔だけが残った。時間の無駄だった。このことで生命を理解するには、難解すぎて不可能だったと彼は反省した。彼は右手でマドカの頬に触れた。温かく柔らかいその感触は嫌いではなかった。
ぼんやりとサハラは滝島カオルの娘のことを思い返していた。騎士がついていないあの状況で、わざわざ天敵の娘に自ら近付いたのか、彼自身も分かっていなかった。本当は彼女は最も遠ざけるべき人間だったというのに、何故ご飯に誘う真似事などしてしまったのか。
枕元に置かれた携帯電話がバイブレーターの音で電話を知らせた。発信者はハマダだ。
「タテナリが到着しましたが」
相変わらず淡々とした話し方だった。無人の音声案内を聞いているようだ。
「マンションに向かわせてもよろしいでしょうか」
ハマダがそう訊ねると急にガチャガチャと妙な音がして、「久しぶりだねぇ、サハラ君」とはしゃぐ声がした。
「タテナリか」
「そうだよ。今成田だし」
声を聞いて、相変わらずだなとサハラは笑う。力を使えば日本に一瞬で来られるというのに、わざわざ飛行機で来るというのも彼らしい。
「全部聞いたよ。なんだか旧友が面倒を起こしてるんだろ?」
「あぁ。まぁそういうわけだから頼むよ。前園はどうでもいいんだけど、『友達』は捕らえてきてほしいんだ」
「分かったよ」
調子良くタテナリは了承した。サハラの横で「うぅん」と唸りながらマドカが寝返りをうったけれど起きる気配はなかった。
「モルディブはどうだった?」
サハラが訊ねると彼は「最高だったよ」と答えた。
「サハラ君は人間生活を楽しんでるのかな?」
「そうだなぁ」
サハラは大口を開けて眠るマドカの顔を眺めながら「難しい」と言った。簡単に今の状況を話すと、タテナリは声を上げて笑った。「意味不明だ」と最後に付け加えると、タテナリは「それが命だ」と言った。その言葉の意味がサハラには分かっていた。だからサハラは今、力をほとんど持たない人間の肉体のまま生きているのだ。
「まぁ楽しんでよ。神様になるまでの娯楽でしょ」
馴れ馴れしい男だとは思うけれど、タテナリは嫌いではない。昔のサハラならば、タテナリのようなコアは消していただろうと、彼自身も思っていた。しかし神になるまでの時間を有効に使う人間ごっこを楽しむためには、彼のような無礼者を飼うのも一興だとも思っている。
「いい知らせを待ってるよ」
サハラはそう言って電話を切った。彼はすぐに立ち上がり脱ぎ捨てた洋服を着始めた。これ以上ここにいる理由はない。彼はポケットに入れた財布から1万円札を10枚取り出し、マドカの枕元に置いた。彼の好奇心を満足させるには至らなかったけれど、金はサハラにとって何の意味もなさないものだったし、身体をはってお金を稼ぐ彼女に微塵ほどの敬意を払いたかった。
「さようなら」
サハラはゆっくりと扉を開いた。そしてマドカが目覚めないように、静かに扉を閉じた。




