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帰宅と手料理

既に日が暮れようとしているけれど、リビングには私しかいなかった。定位置と言っても過言ではないソファーに、チェキの姿はない。

私は広々としたソファーに横になり、白い天井をぼんやり眺めていた。


「遅いな」


彼が連絡もなしにいなくなるのは珍しいことだった。書き置きもメールもそこにはないのに、チェキの姿がないことは、極めて異例なことだ。

部屋に明かりを付けずにいたけれど、いよいよ7時を回り、日没の時を迎えたのでそれも限界だ。真っ暗の部屋でこのまま横たわっていたら、帰宅したチェキは驚くかもしれない。死んだふりなんてしたら、本気で蘇生術を開始してもおかしくないなと私は小さく笑う。そんな些細なイタズラを私は暗闇の中で考えていた。自分でもくだらないと思うけれどそんな馬鹿な行為に笑うチェキの顔が見たかった。


イタズラよりご飯の用意をしろと頭の中の天使が言うけれど私はそれを無視した。そもそも、何故帰ってこないのか不安がよぎって動けずにいたというのが正解だ。


私は携帯電話を何度も開いては折り畳んだ。電話もメールもないこの状況に困惑は隠せなかった。

急に寂しくなってきた。重厚な暗闇に押しつぶされそうになりながらも、明かりをつけない己の矛盾に気付いていた。でも身体は動かなかった。

私は楽しいことを思い出そうと努めた。この暗闇に対抗できるほどかつて胸躍ったものを脳の端から端まで探し集めたいと思った。

いきなり脳裏に浮かんだのが何故かサハラの顔だった。今日の午後、体育館裏で再会した時の恥ずかしさを今でも鮮明に思い出せる。雨に身体をさらす私の姿を見て、サハラはどう思ったのだろう。珍妙な女と思ったけれど、邪険にするつもりはないというのが正解かもしれない。そうでなければ大した中でもない女子高生を突然昼ご飯に誘わないだろう。

何故あの金髪の軽そうな男のことを考えてしまうのだろう。気がつくとどこに行けば彼に会えるのだろうと頭が動いてしまう。


『会えるよ。キミがそう望むなら』


サハラの言葉が真実ならばいいのにと思った。私がただ望むだけで、世界がそのように動いてくれればいいのに。この願いを誰かが叶えてくれればいいのに。

ソファーに寝そべりながら、はぁと大きく溜め息を吐くと同時に玄関の方で鍵が回る音がした。やっと帰ってきたか、と私は安堵に近い感情を抱いた。私は瞳を閉じ、寝たふりをする。リビングの電気をつけた瞬間、急に起きあがって驚かしてやろう。あの強靱な心臓が多少揺れるのを期待した。

足音が近づき、リビングのドアがゆっくりと開いた。電気のスイッチがパチッという音を立ててONになった瞬間、私はぐっと腹筋に力を入れて起き上がった。

結果を言うならば、相手は全然驚かなかった。更に言えば、相手はチェキではなかった。


「あれ。セツナ、いるんじゃない。電気くらい付けなさいよ」


黒い革の鞄を肩にかけ、スマートなグレーのパンツスーツを着ている女性。つまりは私の母親、滝島カオルだった。


「えっ。あ、なんで?」


声が裏返ってうまく話せなかった。


「なんでってここ私の家だし」


母は私にぐっと顔を寄せて、じろっと見つめた。近づいてもシミひとつない綺麗な肌だと分かる。相変わらず母は若くて綺麗だった。


「それとも何。私が帰ってきたらイヤなわけ?」


そんなわけない。私は首を振る。


「チェキも喜ぶよ」


私がそう言うと母はスーツの上着を脱いでキッチンに直行した。


「今日は帰ってこないってさ」

「え?連絡もらってないよ」

「私がもらってる。だから帰ってきた」


私は首を捻る。チェキが私に連絡せずに母に言う理由が分からないし、チェキが帰れないからといって仕事を放置して家に帰ってくるような人間ではない。


「仕事は?まさか投げ出して帰ってきたの?」


母は冷蔵庫の中身を吟味しながら「あのねぇ」と呆れた声を出した。


「警察も公務員なんだから休みくらいあるって」


母の言葉にこっちが呆れてしまう。


「ほとんど帰ってこないくせに」

「ようやくまとまった休みをもらえたのよ。しばらく家にいるわよ。明日一緒にどこか行こうよ」


母は冷蔵庫の中からタマネギとピーマンと牛肉を取り出した。キッチンに立つ母を見るのは、半年ぶりかもしれない。


「チェキは元気なの?」


包丁を器用に動かしながら母が訊ねた。


「うん。元気だよ。相変わらず何考えてるのか分からない時があるけど」

「そう」


母は野菜を切りながら嬉しそうに笑った。


「チェキの知り合いにも会ったんだ」


私がそう言うと母は手を止めてこちらを見た。


「知り合い?」

「桐谷リヒトとサンデ」


母は一瞬目を大きくしたけれど、やがてやんわりと笑って「そっか」と呟いた。


「彼らに会ったんだね。リヒトがセツナのおじさんだって聞いた?」

「うん。全然実感ないけど」

「そうよね。セツナはお父さんのことも知らないもんね」


コンロに火を付けながら彼女は「知りたい?」と訊ねてきた。


「知りたくないわけではないけど、この前から読んでるミステリー小説の犯人の方が知りたい」

「そう」


母の態度は素っ気ないものだった。フライパンに油を引いて刻んだタマネギやピーマンを炒め始めた。


「セツナももう高校生だもんね。いろいろ知っておいていいかもしれない」

「星が降った日のこととか?」

「それもあるし、お父さんのことも知っておくべきだと思うのよね。あなたもいつかは親として子供を育てていくこともあるでしょ」


いつのまにか、レンジに冷えたご飯が放り込まれていたようで、それはチーンと温め完了を知らせた。


「よし。明日は私が秘密の場所に連れていってあげる」

「何それ」

「ちょっと身体動かすから、覚悟しといてね。まぁバイタリティ溢れる若人なら問題ないか」


私はダイニングに向かいテーブルに置かれた皿を見て小さく溜め息を吐く。相変わらず見た目とか盛りつけに疎い人だなと思う。だが残飯のような野菜炒めでも、彼女の味はいつも完璧だ。正直に言えば、チェキの料理よりも美味しいとさえ思ってしまう。


「母の手料理、ね」


私の呟きに気付かない母は、豪快に「残さず食べなきゃ許さないよ」と言って、箸を手渡した。その力強い笑顔につられて私も笑ってしまった。


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