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ゴーヤチャンプル

彼が案内した場所は学校から車で十五分ほど離れた場所にある小さな飲食店だった。口が裂けても綺麗とは言いがたい。入り口には赤い看板が立てかけられていて、白い文字でヒナタと書かれている


「随分お洒落なお店を知っているのね」


私の皮肉を受け流し、彼は微笑んでその店のウェイターのように低い物腰で店内へと誘った。

ヒナタは老舗のようで、古い絵画や家具に囲まれた内装がそれを物語っていた。幸い、古風な店でありながらもエアコンが設置されているようで、店内は快適な温度に保たれていた。店内に客はいない。1900年代に流行ってたであろうフォークソングが心地よい音量で流れていて、コーヒーの豆を挽いた時の香ばしい香りが充満していた。


「あら。チェキじゃない」


紺色のエプロンをつけた恰幅のいい店主と思われる中年女性がカウンターの奥から姿を現した。天然なのか人工なのかは分からないが、パーマで短めの髪がクルクルうねっている。店主が彼の名を知っているということは、彼はここの常連客なのだろう。


「久しぶり。ルウ」


ルウと呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべて、軽く手を挙げた。


「どうしたの?彼女でもできたの?」


ルウはカウンターに散らばったままになっていた皿やフライパンを片付けながら冷やかすように言う。こういう時、私は口の利けない大人しい人形のように彼の横で立っていることにしていた。私と彼の関係を正しく理解されるように説明するのは難しいからだ。彼は緩やかに首を横に振り、背筋をしゃんとして言った。


「いや。この子は私の友人の子供なんだ。わけあって私が世話をしている」


私はおやっと思う。彼が正確にそれを説明することは少ない。私と同じ年恰好のチェキがそれを説明することは混乱を呼ぶので、いつも彼は私を「彼女」や「友人」だと大嘘をつく。


「あら、そうなの」


ルウは呆気なく説明を受け入れ、それ以上追究することなく「何にする?」と訊いてきた。


「夏バテにいい料理とアイスコーヒーを」


チェキはメニューを見ずにそう言った。彼女は気前のいい声で「はいよ」と返事をした。


「ここのお得意さんなの?」

「昔からここには来てる。店主は私の事情を知ってるし、料理もうまい」


「私の事情」という言葉の意味を私はすぐに察知する。確かに理解されているならば、安心して食べにこられる。珍しい人だな、と私は調理に取り掛かる店主を天然記念物のように見た。


10分後、皿に山盛りになったゴーヤチャンプルが運ばれてきた。私はおそるおそる箸でゴーヤを摘みながらそれを眺める。


「これって本当に夏バテに効くのかな?」

「ルウの料理は美味しいから、食べないと損だ」


チェキは涼しい顔をしてブラックのアイスコーヒーを飲んでいる。彼がそれを飲むと、中身が何であっても30年物のワインに見えてしまうから不思議だ。


「うん」


摘んだペラペラのゴーヤを口に放り込む。ゴーヤ特有の苦味が口の中に広がるが、鰹節の出汁だしの香りがして不思議と食欲が湧いてくる。


「おいしい……」


私が箸を動かす様子を見つめるチェキは安堵しているように見えた。


「良かった。食べないと死んでしまうからな」


たかが夏バテで大げさだとも思うけれど、彼の心配性は今に始まったことではない。私の保護者であり、育ての親である彼はいつでも私のことを気遣ってくれている。


「チェキは食べないの?」


彼はアイスコーヒーを口にしながら優雅に首を横に振った。


「食べる気分じゃない」

「私には食べろって言うくせに」

「私は食べる必要がない」


潔く断言するその言葉は嘘ではない。彼は生きるために食べる必要がない。それは彼が人間ではないことを意味している。そもそも今口にしているアイスコーヒーも本来は口にする必要がないものだ。


「毎食、コーヒーは飲むのに」


冷やかしてみるが、チェキはやんわりと微笑むだけでそれ以上の無駄口は必要ないことを悟る。


「そういえば、今日のテストの最後の問題」


私は話題を変えながら、テーブルの上で噴き出すような水滴で全身を覆ったグラスを手にとり、その中に入っている冷たい水を喉に流し込む。


「世界史のテストか?」

「そうそう。2012年、コアによるアメリカへの攻撃が終わった日を何と言うか。さあ、答えは?」


チェキは答えない。その目は私を見ているようで、別の何かを見ているようだった。目を細めて眩しい太陽を眺めているような表情で、遠い日の記憶に意識を飛ばしているようだった。

私は彼がヒトではないことも、十五年前の2012年、運命の日に生きていたということも知っている。彼が自分のことをあまり話すことは少ないので、詳しいことは私も知らない。


「私は星が降った日が闘いの終わりだと思っていたよ」


彼は追懐しながら、ぽつりと呟く。私は箸からポロリとゴーヤを落としてしまう。


「セツナ?」


口を開けたまま、私はチェキに見惚れていた。名前を呼ばれてようやく私は我に返り、皿に落としたゴーヤを箸で拾い上げる。


「どうした?」

「いや。別に」


慌てて口の中にゴーヤチャンプルを掻きこむ。なるほど、確かに世の中の女達が見惚れるわけだ。あんなに物憂げで切実な表情をされたら、毎日見ている顔ですら別物に豹変し、私までドギマギしてしまう。


「私は今日、少し用事がある。夕飯は」

「うん、大丈夫。今日は適当に作っておくよ」


食事は基本的にチェキが作ってくれるが、定期的に彼は外出し日が落ちてから帰宅することがある。そういう時は私が夕飯を作るのが我が家のルールだ。

 箸を動かしながら、私の頭の中では壮大な作戦会議が行われている。議題は「いかにチェキを尾行するか」ということだ。私が覚えていないくらいの幼い少女だった頃から、彼は定期的にどこかへ出かける。どこへ行っているのか本人に訊ねても答えない。数名の同級生に推理させても「風俗」だとか「女」だとかパッとしない意見が殺到した。

チェキがどこへ出かけているのかを知りたい。思春期のせいか、好奇心が抑えられない私はその作戦を実行しようとしている。


「本屋にでも行こうかなぁ」


私は薄っぺらなアリバイ作りのために適当なことを言う。本屋はとても好きだけれど、今日は本屋には行かない。


「そうか」


短くそう言ってチェキはアイスコーヒーを口に含みながら、窓から差し込む日光をぼんやりと眺めている。絵になるなぁと思いながら、私は皿に残った最後のゴーヤを口へ放り込んだ。


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