身を穿つ雨だれ
翌日、雨が降っていたけれど私は1人で高校に来ていた。
朝、目覚めた時には既に体調は回復していたため、チェキは渋々外出を許可してくれた。なんとかして着いてこようとするチェキだったけれど、学校がコアを厳重に取り締まっている可能性があるため、私が断固拒否した。長居するつもりは全然ないので、チェキにわざわざ着いてきてもらうのも気が引けた、と言うのが本音だ。
私が通う都立天神山高校は昨日の一件で世間の注目の的になってしまったようで、相変わらずマスコミが群がっていた。「こちらが昨日コアが出現した現場です」とハキハキと語るアナウンサーらしき女性がいた。一瞬高校が閉鎖されているのではないかと不安がよぎったけれど、騒いでいるのはマスコミだけのようで、もはや学校が機動隊やら警察やらに囲まれているということはないように見えた。
校門から入ろうとすると、アナウンサーが目をわざとらしく輝かせて小走りで近付いてきた。
「あなた、ここの学生さんですか?」
露骨にイヤな顔をするのも悪い気がして、私は「まぁ」と曖昧に返事をした。
「昨日のコアの事件についてご存じですよね?」
コアは有無を言わせぬ凄みのある声と表情で、マイクを私に向けた。緊張感の漂うカメラマンが私に寄ってきた。
「まぁ」
煮えきらない私の態度にかまわずアナウンサーは不躾な質問をがつがつと投げかけてくる。
「コアが学校に現れたということで、登校が辛いとか怖いとか感じたりしますか?」
「いや。別に。怖いならわざわざ夏休みに学校に来ませんよ。じゃあ私、用事あるんで」
私はマイクを避けるようにして、校舎に向かった。たかだかコアが現れただけで騒ぎ立てるマスコミが妙に憎かった。
「前園教授の捜索のせいで、校内には入れないわよ」
マイクをおろしたアナウンサーの口調が急に崩れたため、私は思わず振り返って彼女の顔を見た。先ほどにはなかった冷たい目をこちらに向けている。彼女はアナウンサーではなく女優なのかもしれないと思うほどの豹変ぶりだった。
「前園ヨウイチが拉致されたってやつですか」
「そうよ。今躍起になって探してるみたいだけど」
犯人を知っていると言えば、マスコミは食いつくだろうなと考えていた。勿論言うつもりは微塵もないけれど。
いずれにしろ困ったことになった。生徒手帳には今後の補習の予定がかかれてある。それに、生徒手帳にはあまり他人に見られたくないものがある。一刻も早く取り返したいのに。
とりあえず、一縷の希望を抱いて校舎以外の所を探してみることにした。昨日と同じように校門から、そのまま真っ直ぐに体育館へ向かった。道の脇にある、あまり手入れされていない花壇や茂みにも分け入ってみたが、生徒手帳はなかった。
「やっぱり中で落としたのかな」
私は体育館に目をやる。アナウンサーの女性が言ったとおり、体育館や校舎の入り口には黄色い捜査中と書かれたテープが貼られており、警官が仏頂面で門番のように立っていた。私が恨めしそうに体育館を見ていると警官と目があった。気まずくなりすぐに目を逸らしたけれど、これじゃ私が犯人みたいだと自分で思った。
私はくるりとUターンをして校門に足を向けた。仕方ない、事が落ち着いてから探そう、と冷静な自分が言うけれど、人に手帳の中の「アレ」を見られていたらと思うと胃の中に黒ずんだ重いものが沈んでいくのを感じた。
「あ」
私はその感覚でふと思い出した。まだ私は体育館裏には行っていないではないか。くだらない根拠のない予感でしかなかったけれど、私は何故か生徒手帳を見つけたような感覚になっていた。
体育館裏の日陰にひっそりとあのベンチがあった。しとしと降る雨に打たれながらも、そこにただあり続けるベンチは何だか誇らしげに見えた。
私はベンチの下に目をやる。そこには駆除されていない雑草や蝉の死骸があるだけで、手帳はない。
「そんなにうまくいくわけないか」
私は肩を落として、傘を差したまま濡れたベンチに腰掛けた。制服のスカートに水が染み込んでいくのが分かったけれど、この時は立ち上がる気力さえなかった。
風が無かったから雨は垂直に降っていた。私はぼんやりと美しい雨を見つめている。こうして眺めていると、雨に濡れまいと傘を差している自分がとても小さな存在に思えた。雨に打たれたい気分になり私はそっと傘をおろした。
体育館の中では壮大な捜査をしているだろう。にもかかわらず、裏側はこんなに静かで心地よい。私はしばらく瞳を閉じていた。
「あれ。また会えたな」
急に聞き覚えのある声がしたので私は慌てて目を開けた。雨に打たれて目を閉じている姿を見られた恥ずかしさで、私の心臓のリズムはおかしくなった。目の前には、Vネックの黒いTシャツに褪せたジーンズ姿の金髪男が立っていた。
「あ、サハラさん」
私は下ろしていた傘を慌てて上げた。照れ隠しで笑うしかできない。
「こんなとこで何してる? 傘も差さずに」
「いや、ちょっとぼんやりしてて」
自分でも理由になっていないことが分かるほど陳腐な答えだった。それなのにサハラはほんの少し笑みを浮かべて、ふーんと興味のなさそうな反応を示しただけだった。
「サハラさんこそ、どうしたんですか」
「俺はちょっと捜査協力で」
サハラは視線をちらりと体育館に向けた。
「前園教授が拉致されたから」
「あぁ、そっか。サハラさんもT大の人間だし、身内が拉致されたとなると大変だよね」
「まあね。でも昼休憩らしいから、ぶらっと歩いてたら、同じ場所でキミに遭遇したわけだ」
私の姿を見つけた時のサハラの気持ちを想像する。顔が熱くなり、すぐにその場から立ち去りたい衝動に駆られる。
「夏休みでも登校するの?」
「あ、いや、ちょっと落とし物をしちゃって」
頭をぽりぽりと掻いて私は引きつった笑いを浮かべる。サハラはそんな私の顔を見ることなく大きく背伸びをして欠伸をしている
「落とし物?」
「あ、うん。昨日、生徒手帳を落としちゃって」
意外なことにサハラはそこで私を凝視した。私が変なことを言ったかと不安になるほどに、サハラの笑みはさっぱり消えていた。
「もしかして、滝島セツナってキミのことか?」
「え?」
私が目を丸くしたと同時にサハラはジーンズの後ろのポケットから、紺色のカバーの生徒手帳を取り出した。
「昨日落とし物で見つけたから」
そう告げるサハラは柔和な笑みを浮かべている。さっきまでのあの神妙な表情はすでに幻の如く消え去っていた。
「あ、ありがとう」
私はサハラから生徒手帳を受け取り、パラパラとめくる。アレが無くなっていては元も子もない。
「写真ならちゃんと挟まってたよ」
「!」
私は思わずサハラを見た。睨んだという表現が近いかもしれない。
「怒るなよ。拾った時に落ちたんだって。見ようと思って見たわけじゃない」
「ごめんなさい。ちょっと動転しちゃって」
どういう理由であれ、拾い主を睨みつけるなんてマナー違反もいいところだ。我に返り自己嫌悪を抱いた。少しきまずい空気が漂い始めた時、サハラは思わぬ事を提案した。
「じゃあさ、御礼にご飯に付き合ってよ」




