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追試

何も変わらない青空。そこに輝く太陽。

グラウンドから聞こえる蝉の声は私の集中力を削ぎ、苛立ちを駆り立てる。滲む額の汗を手の甲で拭いながら、私は教室の窓際の席で世界史のテストを受けていた。


「中世における百年戦争で英雄となったフランスの少女の名は?」


私は問題文を頭の中で反芻しながら、鉛筆をさらさらと動かす。正解はジャンヌダルクだ。追試であってもほとんど本試験と同じ問題を出す担任の上原は優しい性格であると同時に怠惰だなと思う。


教室には私と試験監督の上原しかいない。既に高校は夏休みに入っていて、グラウンドからは青春時代を謳歌する野球少年たちの声が聞こえてくる。追試を受ける人間がもっと多ければ、もう少し上原も試験問題を工夫しただろう。


私は行き詰まることなく最後の問題まで鉛筆をひたすら動かした。問題は極めて簡単だ。世界史は決して苦手な科目ではないし、既に本試験の問題も目を通していたので、一言で言うなら楽勝だった。

さっさと終わらせてしまおう。高校生は社会人ほどではないが、時間を有効に使う義務があるはずだ。私は、再度汗を拭いながら最後の問題に目を向けた。


「2012年、コアによるアメリカへの攻撃が終わった日を何と言うか」


私は思わず目を見開く。最後は上原の好意で極端に簡単な問題が用意されている、ということは前もって耳にしていたが、ここまでとは思っていなかった。これは12月25日が何の日かという問題と同じレベルだ。私は浅く息を吸ってから解答用紙の最後の空欄に丁寧に、そして出来る限りの敬意を込めて文字を書く。


「星が降った日」


私は手を挙げて、上原に「終わりました」と告げる。受験者が一人なので、私が終われば試験の時間も終わる。上原は満足そうに笑みを浮かべて、「お疲れ様」と言った。彼もわざわざ夏休みに学校へ出勤して来ているのだから、早く解放されたいに違いない。


私は解答用紙を提出し、荷物をまとめて教室を出る。私が廊下を歩いていると、早足で職員室へと向かう上原が私を後ろから追い越した。つんとした汗の匂いがした。

私は鞄の中から携帯電話を取り出す。11時45分。ディスプレイに表示されるデジタル時計の上にメール受信の文字がある。無駄のないただの連絡事項がそこに綴られている。


「12時15分に行くよ」


私は携帯電話のディスプレイを見て思わず微笑む。携帯電話を最近持ち始めた彼が、一生懸命メールと格闘している様子を思い浮かべる。彼には電子機器は似合わない。彼に似合うのはバロックの音楽とゼンマイ式の時計だ。


30分時間が空いているので、食堂横のカフェテリアで時間を潰すことにした。夏休みで係りの人間は誰もいないだろうが、それでもテーブルは常に解放されている。カフェの真ん中に置かれているテレビでもつけて、自販機でアイスカフェオレでも飲んでいれば、時間はあっという間に過ぎるはずだ。


カフェテリアには誰もいなかった。それなのにテレビが着いたままになっている。もしかしたら先客がいたのだろうか?私は周囲を見渡してみるが人の気配は一切無かった。おそらく誰かが消し忘れて帰ったのだろう。私はカフェオレを買って、粗末な椅子に座った。


「裁判官は被告に無期懲役を言い渡しました」


テレビの中で淡々と滑らかに語るのは、最近綺麗になったと持てはやされているアナウンサーの津野田リエだ。最近はあまりニュースを見ないようにしているので、私は昔の津野田リエしか知らないが、比べてみると確かに肌艶も良くなっているし、短く切ったボブヘアーもよく似合っている。ニュースはあまり見たくないので私は立ち上がり、テレビのチャンネルを変えようとする。


「あ、速報ですか?」


リモコンを手に取った瞬間、急にテレビの中のスタジオが騒然とした。私にチャンネルを変えさせたくないという意図的なものを感じずにはいられないほどのタイミングの良さだった。


「広島県警の元巡査部長、三島アキラ被告が、先ほど再逮捕された模様です」


再逮捕?あ、そう。心の中での私の感想はそれだけだった。

しかし、その後津野田リエによって語られた言葉に私は凍りついた。


「飲酒運転で逮捕されていた三島アキラ被告はDNA検査の結果『コア』と判明いたしました。繰り返します。三島アキラ被告は・・・」


けたたましく吠える犬のように告げる津野田リエの声を聞きながら、私は左下に大きく載せられた真面目そうな青年の顔を見る。もう彼が穏やかな日常に戻ることはないということは明白の事実だった。私は目を伏せる。


「彼は近日中に『セル』へと送還されます」


彼女がそう言った瞬間、私は思わずテレビの電源を切っていた。心臓がドキドキして変な汗が噴き出してくる。ここで時間を潰すべきではなかった。私は心から後悔した。


校舎を出ると、思わず「げっ」と声を上げてしまった。大地からユラユラと陽炎が見えたからだ。太陽が最も自身をアピールする時間なだけにその照り返しも異常だった。こんな時にわざわざ好き好んで野球をする男子達を私は無条件で尊敬する。


数10メートルも先にある正門の前に黒いクーペが止まっている。私はそこまで歩くのが億劫だったけれど、さすがにそんな贅沢を彼にいうのも憚れたので、早足で車の助手席に乗り込む。


「お待たせ」


運転席に座っている茶髪の青年は「別に待っていないよ」と穏やかに微笑んだ。その端正な美しい笑顔に心を貫かれた女を私は何人も知っている。彼は私がシートベルトを締めるのを確認してから車のギアをシステマティックに動かす。私は車のことはよく分からないが、この車がマニュアル車であることくらいは知っている。


「試験はできたのか?」


彼はハンドルを握り、車を走らせながら問う。


「うん。簡単だった」


見栄を張ったわけでもなく純粋に答えたつもりだったが、彼は笑いながら「そうか」と言った。


「ご飯、どこに食べに行こうか」


私が訊ねると、彼は「何が食べたい?」と訊ね返した。あれやこれや様々な料理を思い浮かべ、どれを自身が求めているかを検証するが、そのどれもがヒットしない。私は顔をしかめる。


「麦茶が飲めるならどこでも」

「どうせセツナは夏バテで食欲がないんだろ?」


図星だった。ここまでで分かる人には分かるかもしれないけれど、私は夏が苦手だ。持病「夏バテ」と言いたくなるほどに。今年記録した40度の猛暑が再来したら貴方はどう乗り越えますか? 高校からの帰り道の街頭でテレビ局のリポーターに尋ねられたけれど、私は親切に回答することもできず、真っ直ぐに家に帰ってしまった。その時の私は、その時の猛暑と闘うことで必死だったのだ。


「セツナの元気が出るものを食べに行こう」

「何それ」


私が問うと同時に、彼は車をUターンさせて、家の逆方向へと走り出した。


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