青い眼の男
その後、私達は商店街をうろうろして何も買わずに15時頃に別れた。そのまま帰ろうかと思ったけれど、なんとなく寄り道をしたくなった。今から電車に乗り、家に帰ったところで待っているのは膨大な宿題だけだから。
それでも電車に乗らずに炎天下の中、川沿いを歩いて帰ろうと思い立ったのは、不思議だと言わざるを得ない。暑いのが苦手で嫌いなのに、敢えてそういう行動をとったのは何かしらの運命的な力が働いていたのかもしれない。
私は川沿いの土手を歩いていた。キラキラと輝き流れる河は美しかった。私はそれを眺めながら滲む汗を拭い真っ直ぐにただ歩き続ける。強い日差しと猛暑のせいかあまり人がいない。今時、河辺で元気に走り回る少年達は少なく、彼らは冷房のついた部屋でビデオゲームやらままごとやらに興じている。私自身も外で遊んだ記憶はほとんどなく、あの頃はチェキが読んだ後の小説を片っ端から読みあさっていた。
河を眺めながら歩いていると河川敷にキラリと青く輝くものが見えたので思わず立ち止まった。あの光に見覚えがある。チェキが持っていた小瓶に入っていた青いカケラ・星の石。まさにそれと酷似している。私は恐る恐るその光へと歩き出す。美しい光に魅せられた私は見失わないように瞬きすらしないように努めた。
土手を駆け降り、水辺の傍で輝く青い光まで5メートルという所まで近付いた時だった。河の向こう岸から駆け抜けるような突風が吹き付け、私は思わず目を閉じた。ビュンというバットを振り回すような音がして、私の髪の毛は浮かび上がりグシャグシャになる。
次に目を開けた時、私は自らの目と記憶力を疑った。先ほど私は光に誘われて河川敷へやってきたのに、既にそこに青い光はない。その代わりに見知らぬ青年が膝を抱えて座っていた。夢の世界にいるのではないか、もしくは先ほどまで夢の世界にいたのではないかと思った。今私は夢と現実の曖昧な境界線に立っているような気がした。
青年は赤茶色の猫毛を風に靡かせながら、水辺に座り込み河を眺めていた。彼の横顔からは何の感情も読みとれない。
「何してるの」
私は青年に声をかける。普段からそういう行動をとるタイプの人間ではないが、なんとなくそうせざるを得ない気がした。台本が用意された世界に突如飛ばされ、私はその世界のルールに従う。
「何をしてると思う?」
こちらを振り向くことなく低い声で青年は訊ね返した。
「河を見てる」
「間違いではない。確かに今、おれの目には河が映ってる」
青年は傍らに立つ私の方を見た。そこで私は青年の瞳が深い海のように青いことに気付いた。アジア人の顔立ちだが、髪の色と瞳の色が違うせいで不思議な印象だ。
「座れば?」
短く私にそう言う彼の表情は無表情のまま揺らぐことなく、愛想のようなものは一切ない。私は彼に従い横に座る。今、この光景を同級生に見られたら噂になるだろうなという不安もありながら、どこか楽しんでいる自分もいた。
「水辺が好きなんだ」
青年は言った。私は「ふーん」と愛想のない返事をした。
「本当は波打ち際が好きだけど、ここから歩いて海に行くのは大変だろう?」
「そうだね」
2人の間にあるものが沈黙であっても、私は苦痛を感じなかった。むしろ無理矢理な会話を交わすならば、静かに川のせせらぎに耳を傾けているべきであると感じていた。
「止めどなく流れる川は時代の流れを教えてくれる。寄せては返す波は命のあり方を教えてくれる。世界中にヒントが散らばってるのに、人はそれに気付かないんだ」
「ヒント?私達は問題に直面しているの?」
「壮大な問題を抱えている。それにあんたは気付いている」
青年は真っ直ぐに川を見つめながら、穏やかな口調でそう告げた。先ほどの突風は何だったのだと訊ねたくなるほど、川は緩やかに流れている。
「世界に星が降ってから随分時間が経ったね」
「そうみたいだね。あんまり私には実感がない」
「命のあり方そのものが問われる時代になった。そしてそんな時代におれ達は産み落とされた」
「うん」
私には幼なじみはいないはずだけれど、青年はそういった存在のように感じた。本当にそうだったのではないか。私が忘れているだけかもしれない。
「で、あなたは誰」
私はそこで訊ねた。
「おれはエソラ。あんたは名乗らなくてもいいよ、セツナ」
「エソラ?絵空事みたい」
「間違いではないな」
青年は初めて笑顔を見せた。彼が私の名前を知っていたことには驚いたけれど、あまり言及しなかった。些細なことに思えた。
ぼんやりと水面を眺めながら私は話してもいいと思った。誰にも打ち明けたことのない悩みを何故見知らぬ青年に話そうと思ったのか分からない。
「私はこの世界を直視できないの」
「ふーん。問題が霧のように邪魔しているからだな」
「うん。たぶん」
「では何故問題が生まれたのだろう」
青年に問われて、私はいろいろなことを考えるけれど思い当たらない。エソラはうっすら笑みを浮かべたまま、私を見つめている。
「セル」
「え?」
「歪んだ世界の中心だよ」
私が生まれた時に『セル』は既に存在した。当時無名だった博士が開発した命の牢獄のことだ。コアの力を無力化し、生きたまま保存することができる牢屋だ。
「捕獲したコアを放り込む無慈悲な檻。それが生まれてからヒトの心は酷く荒み、ヒトとコアの血生臭い戦いが始まった。問題の原因だ」
「セルが原因なの?」
「それだけではないけれど」
私は様々なことを思案し、断念する。諦めたことに気付いたのかエソラは小さく苦笑した。
「表面を見るな」
「え?」
真っ直ぐに私を見つめる深いブルーの瞳に溺れそうになる。強い意志を刻まれこのまま催眠術にかかってしまうのではないかと私は思った。
「世界の裏側を見てみろよ、セツナ」
エソラはそう告げて八重歯を見せて笑った。緩やかな柔らかい風が私を慰めるように吹いた。膝を抱えて座っていたエソラはゆっくりと立ち上がり、履いていた綿パンに付着した砂利や雑草を払った。
「おれ帰るよ」
今思えば、彼の纏う不思議な空気のせいで、あの時の私はどうかしていたと思う。急に平凡な青年の言葉が放たれたせいか、彼を覆う超然とした空気が削がれ、私も我に返った。
「エソラ君。また会えるかな」
「エソラ、でいいよ」
擽ったそうにエソラは笑った。白く鋭い光を放っていた太陽がうっすらとオレンジ色を帯び、時間の経過を知らせていた。赤毛が太陽に照らされて金の鬣に見えた。
「また会えたらいいね」
右手を軽く挙げて彼は立ち去った。私は彼の背中を見えなくなるまで見つめていた。