nearHEART
「サナ」
水色のワンピースを着てカフェの前に立っている友人に私は声を掛けた。腕時計はピッタリ11時だ。遅刻はしていないはずだが。
「ごめんね。待ったんじゃない?」
「私もさっき来たとこやから大丈夫やで」
関西訛りで話すサナは私の高校の同級生だ。高校入学時に関東にやってきた彼女は未だ訛りが抜けないまま、時折標準語と混じった奇妙な言葉を話す。
「入ろか」
私はサナの白い肌がうっすらと赤みを帯びていることに気付いた。きっと10分前にはここにいて、太陽に肌を焼かれていたのだろうと思うと、罪悪感が湧いてくる。
nearHEARTSは関西を中心に展開しているコーヒーショップチェーンで、関東に最近進出してきたばかりだ。私は来るのは初めてだが、サナは中学時代に行ったことがあるらしく、慣れた様子でアイスカフェラテとBLTサンドを頼んだ。何が美味しいのか分からないので、サナに合わせて私も同じものを頼んだ。
席に着くなり、彼女は「ごめんな」と言った。
「何が?」
謝られる理由が全く見当たらず私は訊ねる。むしろ謝るべきはギリギリに待ち合わせ場所に到着した自分ではないのか。
「いや、悩みを聞いてほしいとかいきなり言って」
サナにそう言われたのは2日前のことだった。昨日は私が追試で無理だったので、今日会うことにしたのだ。
「ああ、いいよ。帰宅部は暇だしね」
私の言葉でサナは目に見えてほっとしているようだった。
「で、悩みって何?」
サナは俯いたまま緑色のストローを加えて、カフェラテを口に含んだ。
「言おうか悩んでたんやけど」
少し掠れた声で言うサナは、明らかに周りを警戒しているようだった。挙動不審だ。キョロキョロと目や首を動かしている。スパイや尾行を気にするハリウッド映画の女優のように。
「三島アキラ、知ってる?」
どこかで聞いた名前だ。脳の表面に貼り付いている、極めて最近知った名前だ。
「ほら、最近逮捕された……コアの」
「あぁ」
思い出した。彼が再逮捕されたニュースを私は昨日高校の食堂のテレビで見たのだ。あの時感じた嫌悪感が蘇るが、できるだけ表情に出さず平静を保つよう努めた。
「それがどうかしたの?」
「三島アキラってな、お母さんの友達やったんやって」
曇った顔で話すサナはまだ俯いたままだ。
「どういう知り合いか知らんけど、なんかお母さん最近元気なくてさ。どうしたらいいんか、私も分からへんねん」
「そうなんだ」
サナが母親のことをとても慕っているのは知っている。母の日や誕生日のプレゼントを一緒に買いに行ったこともある。
「お母さんの鬱ぎ様を見てたら、たぶん親密な仲やったんやろなぁって思う。でもそしたらお母さんが怖くなってきたんよ」
意味が分からずに私は首を傾げる。
「そんなに親密やったらあいつがコアやったこと知ってたと思うねん。それやのにさ、どうして黙ってたんかな。お母さんは犯罪を知りながら黙ってたんよ?なんか信じられんわ」
吐き捨てるように彼女は不満を告げた。コアを排斥しようとする彼女を私は責めることも咎めることもする気はない。これが日本の、この世界の人間の常識だから。コアと一切関わりを持たず、見つけ次第速やかに政府に通報する。ヒトを殺すな、モノを盗むなといった一連の規則のひとつだ。彼女は真面目にその規則に沿って生きているに過ぎない。いわばコアと暮らしている私の方が間違っている。あくまで、この世界においては。
「ごめん。愚痴って」
「いいよ。そっか、辛いね」
サナに告げると同時に、私は彼女の母にもその同情の意を伝えたくなる。私にはサナの母親がコアの所在を閉口した理由がなんとなく分かるからだ。コアは危険ではない。それはコアと話して初めて分かることだ。
ナイフが危険だということは、それによって血を流すことで、あるいはその光景を見て初めて認識すべきことだ。その言葉を言ったのは確か母のはずだ。犯罪を助長するような奇怪な言葉にも聞こえるが、なんとなく分からなくもない。常識を疑え、身を以って知れ、と言いたかったのだろう。
「私はどうしたらええかな?今、お母さんと顔あわすのも嫌やねん。こんなん続くの、耐えられん」
サナの目は潤んでいる。大好きな母親が犯罪に荷担していたとしれば辛いのかもしれないな。その感覚はどんな見方であったとしても、私には想像できない。母とも疎遠でコアと暮らしている私はサナと別の世界にいるようなものだ。
「そうだなぁ。親密だったのにコアだと知らなかったから、ショックを受けてる可能性もあるから」
言葉を濁しながら私は言う。片隅でそんな可能性はないと断言する悪魔がいるが、今のところ無視する。
「お母さん、信じてあげたら?本当に愛しているなら」
私は柄にもなく優しい言葉をかけた。私が母に対する愛を口にすることはこの世界の禁忌であるようにすら思えた。思い詰めた表情のまま彼女は小さく頷いた。彼女の中にも母親を信じたいという気持ちが強かったのだろう。
「ごめんね。湿っぽい話して」
「あぁ、いいよ。食べようか」
BLTサンドが食わねーのか、と私たちを見上げているように見えた。私達は同時にそれを掴み大口を開けて噛みついた。
「そういえば、チェキさんは元気?」
「ん?元気だよ。会いたい?」
「うん。会いたいなぁ。またあの笑顔で『よく来たね』と言われたいわぁ」
サナはうっとりした様子で言った。彼女はチェキのファンの1人だ。彼がサナの嫌悪しているコアであると知れば彼女は気が狂ってしまうかもしれないな、と苦笑する。
「チェキさん、芸能人より格好いいもんね。コージより格好いいよ」
コージこと河本ジュンは最近人気のアイドルグループE-NETのリーダーだ。
「そうかなぁ」
「絶対そうやって。セツナはいつも一緒にいるから目がおかしくなってるんよ」
私はあの白い病室でベッドに横たわる桐谷リヒトを見つめるチェキを思い出しドキッとする。
「どうしたん?」
「いや……」
あのチェキは確かに反則だった。あれじゃ誰だってときめくに違いない。私は動揺を誤魔化すためにストローをくわえた。一気に中身を吸い込んだせいで一瞬で中身のカフェラテは消え去った。俺も忘れるなよと言わんばかりにBLTサンドの中からマヨネーズが垂れた。
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