第8話:ノイズ混じりの世界で、君だけが『正解』を見ている
少女が目を覚ましたのは、甘いスープの匂いがきっかけだった。
「……ん……」
重い瞼を持ち上げる。
視界に映ったのは、ボロボロだが手入れされた木造の天井。
そして、揺れるランプの暖かな光だった。
(私、まだ生きてる……?)
リアは身を起こそうとして、ふらりとよろめいた。
指先まで痺れている。
体力が限界に近い。
だが、誰かがふいに肩を支えてくれた。
「無理に動くな。まだ毒が抜けてない」
低い、落ち着いた声。
見上げると、先日自分を助け出した黒髪の少年――レンが、湯気の立つマグカップを持って立っていた。
「ほら、飲め。栄養剤入りの特製ポタージュだ。……ちょっと味は濃いかもしれないが」
「あ……ありがとう、ございます……」
リアは震える手でカップを受け取り、口をつけた。
熱い。
野菜の甘みと、少しの塩気。
それが冷え切った内臓に落ちていく感覚に、思わず涙が出そうになる。
一息ついたところで、リアはハッと思い出したように顔を上げ、レンからズルズルと後ずさった。
「ち、近づかないでください!」
ガタン、と背中が壁に当たる。
彼女は左目を――眼帯で隠されたその目を、手で覆った。
「私は『呪い』持ちなんです。私のそばにいると、あなたの魔法も、魔道具も、全部壊れてしまう……!」
声が裏返る。
それが、彼女が追放された理由だった。
『魔眼・天球儀』。
半径十メートル以内の魔力回路に干渉し、ノイズを走らせて自壊させる、忌むべき目。
王国の魔導師団ですら、彼女を制御できずに捨てたのだ。
この船も、魔力を動力にしているなら、きっと私が壊してしまう。
そう思って怯えるリアに、レンはキョトンとした顔をした。
「……ああ、それか」
レンは全く動じることなく、ポケットから何かの装置を取り出した。
コンパスのような魔道具だ。
その針は、リアの方を向いた途端、グルグルと狂ったように回転し始めた。
ジジッ、ジジジ……。
針が異音を立てる。
「ほら! やっぱり狂ってる! 早く私を捨てて……」
「すごいな」
レンの口から出たのは、恐怖ではなく、純粋な感嘆の声だった。
「ここまで強力な『ジャミング』を常時垂れ流してるのか。これなら、敵の誘導弾もロックオンを外せるぞ」
「……え?」
「それに、魔力を乱すってことは、逆説的に『魔力の濃い場所』がわかるってことだ」
レンは立ち上がり、小屋の窓をバンと開け放った。
ヒュオオオオ……。
冷たい風と共に、濃い『白い霧』が室内になだれ込んでくる。
深淵特有の『幻惑霧』。
視界を奪うだけでなく、方向感覚を狂わせる魔性の霧だ。
これでは一寸先も見えない。
だが。
「おい、リア。その左目を開けて、外を見てみろ」
「え……でも……」
「いいから。俺が許可する」
力強い言葉に押され、リアは恐る恐る眼帯に手をかけた。
心臓が早鐘を打つ。
もし、この人の期待を裏切ってしまったら。また軽蔑されたら。
震える指で、眼帯をずらす。
黄金色の時計盤のような瞳が、霧の世界を捉える。
その瞬間。
彼女の視界から、白い霧が透けて消えた。
「……見えます」
リアは息を飲んだ。
霧の奥にある、色のついた『風』のようなもの。
右前方には、赤黒い渦潮のような魔力の乱れ。
左後方からは、青い波紋を描いて泳いでくる何か。
すべてが、サーモグラフィーのように鮮明に浮かび上がっていた。
「魔力の『流れ』が見えます。……あっち、右へ30度。そこに安全な海流があります!」
リアが無意識に叫ぶ。
「よし、採用だ」
レンは即座に伝声管に向かって叫んだ。
「ガイウス、面舵30! リアの指示通りに進め!」
「承知した!」
ギギギ、と船が大きく傾く。
霧の中を、迷いなく進んでいく。
数分後。
霧が晴れた先にあったのは、鏡のように静かで穏やかな海域だった。
もし指示がなければ、その手前にあった『魔力渦』に巻き込まれて沈んでいただろう。
「抜けた……」
リアはへたり込んだ。
自分が、役に立った?
ただそこにいるだけで迷惑をかけるだけの自分が?
「合格だ」
レンが彼女の頭にポンと手を置いた。
大きくて、温かい掌だった。
「お前のその目は、呪いなんかじゃない。この視界の悪い深淵で、唯一真実を見通せる『航海士の目』だ」
「航海士……私が?」
「ああ。これからはお前がこの『リベルタ』の目だ。……頼りにしてるぞ、リア」
頼りにしている。
その言葉は、彼女が生まれて初めてかけられたものだった。
熱いものが込み上げ、視界が滲む。
けれど、それは呪いのせいではない。
「……はいっ!」
リアは涙を袖で乱暴に拭い、強く頷いた。
こうして、ゴミ捨て場の船に、正確な『航路』が生まれた。
船長レン(頭脳)、剣士ガイウス(武力)、航海士リア(索敵)。
深淵を攻略するためのピースが、ここに揃ったのだ。
「さて、メンバーも揃ったことだし……」
レンはニヤリと笑い、前方の闇を指差した。
「そろそろ、本格的に『稼ぎ』に行こうか。この先には、深淵の主が住む神殿があるはずだ」
最強のFランク艦隊の快進撃は、まだ始まったばかりだ。




