第5話:規格外の心臓――
翌朝。 俺は、焦げ臭いオイルの匂いで目を覚ました。昨夜の深淵鮫のステーキは美味かったが、朝になってもまだ腹の奥が熱い。さすがは高ランクモンスターの肉だ。栄養価が高すぎて、体がエネルギーを持て余しているらしい。
「おはよう、レン。……いや」
小屋の外に出ると、ガイウスがすでに起きていた。彼は昨日拾ったボロボロの砥石で、自身の剣を磨いている最中だった。
「おはよう、ガイウス。体調はどうだ?」
「悪くない。……いや、正直に言えば驚くほど軽い。この船の上の空気は、王都よりも澄んでいる気がする」
ガイウスが深呼吸をする。それは気のせいではない。この筏には『空気清浄(魔素フィルタ)』の効果を持つ流木を組み込んである。外は死の雲海だが、結界の内側だけは森林浴レベルの快適さだ。
「さて、腹ごなしの運動といこうか」
俺はガラクタ置き場へと向かった。今日の目標は決まっている。『動力炉』の作成だ。これまでは風と海流任せに漂っていたが、それだけじゃこの広大な深淵を探索しきれない。何より、いつか空の上へ帰るためには、重力に逆らって浮上するための莫大なパワーが必要になる。
「ガイウス、その黒い鉄塊をこっちに運んでくれ」
「これか? ……うぐっ、重いな!」
ガイウスが抱え上げたのは、ドラム缶ほどの大きさがある鉄の塊だ。表面は錆びつき、パイプがちぎれている。これは『古代魔導エンジンの残骸』。ゲーム内ではレアアイテムだが、この深淵ではただの粗大ゴミとして流れてきたものだ。
「まさかこれを動かそうというのか? 完全に壊れているぞ。魔力回路も焼き切れている」
「普通に使えばな。だが、俺たちの目的は修理じゃない。『改造』だ」
俺はエンジンの蓋をこじ開け、内部を露出させた。複雑な歯車と水晶が噛み合っているが、その心臓部は黒く焦げている。通常の修理なら、同じ規格の部品が必要だ。だが、俺がやるのはもっと乱暴で、効率的な方法だ。
「いいかガイウス。このエンジンの出力限界を決めているのは、『熱』だ」
俺は昨日倒した深淵鮫から取り出した、青く輝く『氷結袋』を取り出した。
「魔力を流しすぎるとエンジンが溶ける。だから安全装置がついている。……じゃあ、絶対に溶けないくらい冷やしてやればどうなる?」
「……まさか」
ガイウスが顔を引きつらせる。
「リミッターを解除して、魔力を無限に突っ込む気か!? そんなことをすれば爆発するぞ!」
「本来ならな。だが、ここは深淵だ。冷却水ならいくらでもある」
俺は筏の床板に穴を開け、そこから直接パイプを雲海へと通した。吸い上げられた極低温の海水が、エンジンの周りを循環する『冷却回路』へと流れ込む。さらに、燃料として深淵鮫の『魔石』を、エンジンの心臓部に強引に押し込んだ。
準備完了。俺はニヤリと笑い、起動スイッチ代わりの魔力線をショートさせた。
バチヂヂヂヂッ!!
激しい火花が散り、エンジンが悲鳴のような駆動音を上げた。 キュイィィィィィン……!!
回転数が上がっていく。錆びついた鉄塊が赤熱し、周囲の空気が歪む。爆発寸前だ。ガイウスが身構える。 だが、次の瞬間。
ジュボオオオオッ!!
冷却パイプから凄まじい勢いで白煙(蒸気)が噴き出した。極低温の海水が、エンジンの暴走熱を瞬時に奪い去っていく。赤熱していた鉄塊が、急速に青ざめていく。回転音が高音から、腹に響くような重低音へと変わった。
ドゥン、ドゥン、ドゥン、ドゥン……。
安定した。いや、ただの安定じゃない。ステータス画面に表示された数値は、俺の予想すら超えていた。
《動力炉:魔改造・古代エンジン(強制冷却仕様)》 《出力:500%(安定)》 《状態:オーバーロード中》
「せ、成功……なのか?」
ガイウスが呆然と呟く。目の前にあるのは、今にも壊れそうなガラクタの集合体だ。だが、そこから溢れ出る魔力の波動は、王国の最新鋭戦艦すら凌駕している。
「ああ。これでもう漂流者じゃない」
俺はエンジンの回転を、船尾に取り付けたスクリュー(巨大な水車を改造したもの)へと接続した。 ガコンッ! 船体が大きく前へとつんのめるような衝撃。次の瞬間、俺たちの筏は、まるで意思を持った獣のように波を切り裂いて加速した。
「うおおっ!?」
ガイウスが慌ててマストにしがみつく。速い。風なんて関係ない。俺たちは今、深淵の海を自由に駆け回る足を手に入れたのだ。その光景を、ガイウスは甲板で呆然と見つめていた。風が、頬を叩く。それは「死臭」ではなく、未来へと向かう「推進力」の風だった。
「どうだガイウス! これがFランクの速度だ!」
舵を握る俺が、子供のように笑っている。 ゴミを拾い、繋ぎ合わせ、ついには運命の流れすら逆転させてみせた少年。ガイウスは、震える手で自身の剣を握りしめた。この魔剣もまた、レンによって呪いを力に変えられた。自分と同じだ。
(ああ、そうか。私は認めたのか)
国を追われた老騎士は、理解した。地位も名誉も関係ない。ただ、「道のない場所に道を創る」この男の背中を、追いかけてみたいと。 ガイウスは静かに片膝をついた。かつて王に捧げ、そして踏みにじられた忠誠の礼ではない。もっと野蛮で、実利的な、荒くれ者同士の契約として。
「……命令をくれ(・・・・・)」
「え?」
風切り音の中で、俺が振り返る。
「次の目的地はどこだ。……『船長』」
俺が一瞬、目を丸くした。だがすぐに、ニヤリと生意気な笑みを返した。
「決まってんだろ。一番稼げる場所だ。……総員、配置につけ!」
「応!」
ガイウスは立ち上がり、マストへと走った。
その足取りは、昨日までの死に体とは別人のように軽かった。
Fランクの筏は、ついに『動力』と『仲間』を手に入れた。
もはやこれは、ただのゴミの塊ではない。
深淵を統べる、最強の船の産声だった。




