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第45話:重力の断崖、届かぬ聖剣

 王国の北限に位置する『竜の顎』渓谷。

 そこは、大地が神の斧によって叩き割られたかのような、深さ数千メートルにも及ぶ断崖絶壁が連なる難所である。

 常に乱気流が吹き荒れ、岩肌には鋭利な牙のような岩柱が無数に突き出しており、熟練の飛空艇乗りでさえ近づくことを恐れる魔の空域だ。


 その灰色の空を、異質な色彩が埋め尽くしていた。

 白亜の塗装に金色の装飾を施された、王国の正規軍艦隊数百隻。

 隊列を組んで進むその姿は、荒々しい自然を力でねじ伏せようとする人間の傲慢さを象徴しているかのようだった。


 旗艦『グロリアス・セイバー』の広大なブリッジ。

 勇者セドリックは、豪奢な玉座に深々と腰掛け、退屈そうに頬杖をついていた。

 彼の目の前にある巨大モニターには、先行する護衛艦からの映像が映し出されている。


「……見えました、勇者様! 渓谷の中央、高度一千メートル付近に、不審な飛行物体を確認!」


 オペレーターの声に、セドリックは気怠げに視線を上げた。

 モニターのノイズ混じりの映像には、断崖の影に溶け込むような、漆黒の船影が映っていた。

 周囲の岩陰に身を潜めるでもなく、堂々と航路の中央に鎮座している。


「フン、あれが例の海賊船ですか。報告にあったよりも随分と小さく見えますね」


 セドリックは鼻で笑った。

 彼が乗る旗艦は全長五百メートルを超える超弩級戦艦だ。対して、画面の中の黒い船は精々百メートル程度に見える。

 実際には、リベルタ・アークの光を吸収するステルス装甲と、重力レンズ効果による視覚歪曲が、その巨体を小さく見せているのだが、セドリックの曇った眼にはそれが理解できない。


「薄汚いドブネズミにお似合いの、黒ずんだボロ船だ。……レン、君は最後まで貧乏くさい男だね」


 セドリックは立ち上がり、マントを翻した。

 腰に佩いた聖剣エクスカリバーが、ジャラリと音を立てる。


「全艦、攻撃用意。警告など不要です。あの薄汚い船を、地形ごと消し飛ばしてあげなさい」


「はッ! 全砲門、開け! 目標、前方の黒い船!」


 艦長の号令と共に、数百隻の戦艦が一斉に砲門を開いた。

 魔力充填の光が、灰色の渓谷を真昼のように照らし出す。


「放てェェッ!」


 轟音。

 数千発の魔導砲弾と、炎、雷、氷の攻撃魔法が、一斉に解き放たれた。

 それは空を埋め尽くす死の雨となり、一点の標的、リベルタ・アークへと殺到する。

 逃げ場などない。

 物理的にも、魔力的にも、その空間ごと消滅させるオーバーキルだ。

 セドリックは勝利を確信し、優雅にグラスのワインを口に運んだ。


 ――はずだった。



 一方、標的となっていたリベルタ・アークのブリッジ。

 外の世界が爆音と閃光に包まれる中、船内は不気味なほどの静寂と平穏に満ちていた。

 船長席のレンは、手元のマグカップから立ち昇るコーヒーの香りを楽しみながら、眼前に迫る数千の光弾を冷めた目で見つめていた。


「派手な花火だ。歓迎会にしては熱烈すぎるな」


「着弾まで三秒。……レンさん、回避行動は?」


 副操縦席のリアが、冷静にカウントダウンを告げる。

 彼女の手も震えていない。この船の、そしてレンの絶対的な防御力を信じているからだ。


「必要ない。……アイギス、仕事だ」


『了解、マスター。重力偏向シールド、展開。出力、三十パーセントデ十分デス』


 レンの背後のスピーカーから、無機質な合成音声が響く。

 瞬間、リベルタ・アークの船体周囲の空間が、陽炎のように揺らめいた。


 ズドドドドドドッ!


 凄まじい衝撃音が響く――ことはなかった。

 直撃コースに乗っていたはずの砲弾の雨は、船体に触れる寸前、まるで見えない巨大な球面に弾かれたように、不自然な軌道を描いて上下左右へと逸れていったのだ。


 炎の弾は上空へ逃げて雲を焼き、雷撃は眼下の谷底へ落ちて岩を砕く。

 数千発の直撃を受けたはずの船は、傷一つどころか、揺れすらしていない。


「な、なんだと!?」


 旗艦のブリッジで、セドリックがグラスを取り落とした。

 ワインが床に広がり、赤い染みを作る。


「外しただと!? これほどの至近距離で、これだけの数を撃ち込んで、一発も当たらないなどあり得るか!」


「そ、それが……! 照準は完璧でした! しかし、砲弾が……敵艦の手前で勝手に曲がって……!」


 砲術長が顔面蒼白で叫ぶ。

 セドリックはモニターに食らいつくように身を乗り出した。

 黒い船は、悠然とそこに在った。

 まるで、王国の誇る最強艦隊の攻撃など、そよ風程度にしか感じていないかのように。


「ば、馬鹿な……障壁魔法か? だが、あんな規模の結界を維持できる魔導師など……!」


 その時、ブリッジの通信機にノイズが走った。

 ザザッ、という音の後、聞き覚えのある、しかし以前よりも遥かに冷たく、威厳に満ちた声が響き渡った。


『よう、セドリック。相変わらずだな。……力の使い方が雑で、見ていて退屈するよ』


「レ、レン……!?」


 セドリックの額に青筋が浮かぶ。

 かつて自分が「荷物持ち」と呼び、足蹴にしていた男の声。

 それが今は、まるで天空の支配者のように、上からの視線で語りかけてくる。


『攻撃はそれで終わりか? なら、次はこっちの番だ』


「黙れ! Fランク風情が、調子に乗るな! 第二射用意! 今度こそ粉々に……」


『遅い』


 レンの声と同時だった。

 リベルタ・アークの船体が、低く、腹の底に響くような唸り声を上げた。

 それは主砲の発射音ではない。

 星核ステラ・コアが解き放つ、重力干渉の波動だ。


「グラビティ・ダウンバースト」


 レンがコンソールのスイッチを押し込む。

 瞬間、渓谷一帯の重力定数が書き換えられた。


 ガギィィィィィン!


 悲鳴のような金属音が、王国艦隊全体から響き渡った。

 数百隻の飛空艇が、突如として見えない巨人の手によって上から押し潰されたかのように、一斉に高度を下げたのだ。

 浮遊石の出力が追いつかない。

 通常の十倍にも達する超重力が、彼らの翼をもぎ取り、船体を圧迫する。


「うわぁぁっ! 高度が維持できない!」

「船体が! 船体がきしむッ!」

「落ちる! 落ちるぞォォォ!」


 無線から絶叫が飛び交う。

 密集隊形をとっていたことが仇となった。

 制御を失った艦艇同士が次々と空中で衝突し、爆炎を上げて墜落していく。

 旗艦グロリアス・セイバーも例外ではない。

 巨大な船体が大きく傾き、セドリックは玉座から無様に転がり落ちた。


「ぐっ、うぅ……なんだ、何が起きている……! 体が、重い……!」


 床に這いつくばりながら、セドリックは見上げた。

 モニターの中で、黒い船だけが、何の影響も受けずに静止している。

 いや、静止しているのではない。

 彼らだけが、この異常な重力の支配者として君臨しているのだ。


『どうした勇者様。自慢の聖剣で、この重力を斬ってみたらどうだ?』


 レンの嘲笑が響く。

 セドリックは屈辱に顔を歪め、這うようにして聖剣に手を伸ばした。


「おのれ……おのれぇぇぇ! レン! 貴様ごときがぁぁぁ!」


 セドリックは魔力を爆発させ、聖剣エクスカリバーを引き抜いた。

 Sランクの身体能力と、聖剣の加護によって無理やり重力に逆らい、立ち上がる。

 だが、それこそがレンの狙いだった。


「アイギス。……教育してやれ」


『了解』


 リベルタ・アークのハッチが開き、そこから一つの影が飛び出した。

 翼を持たない鉄の人型。

 機神兵アイギスだ。

 彼は重力下を自由落下するのではなく、まるで空間を蹴るように加速し、一直線に旗艦のブリッジへと突撃した。


 ガシャァァァン!


 強化ガラスが粉砕され、嵐と共に鋼鉄の巨人がブリッジに侵入する。

 その手に握られているのは武器ではない。ただの拳だ。


「な、なんだこのゴーレムは!?」


 セドリックが聖剣を構える。

 光り輝く刀身が、アイギスの胴体を狙って一閃される。

 聖剣の切れ味は、ドラゴン鱗すら断つ。

 だが。


 ガキンッ。


 硬質な音が響き、聖剣が弾かれた。

 アイギスは剣を避けることすらせず、その分厚いオリハルコン装甲で真っ向から受け止めたのだ。

 数千年前のロストテクノロジーによって鍛え上げられた装甲の前では、現代の聖剣など、ガラス細工のように脆かった。


『脅威度判定、Eランク。……マスターノ敵デハアリマセン』


 アイギスが無機質に告げると、その巨大な掌でセドリックの聖剣を掴み取った。

 メキメキという音。

 国宝であり、勇者の象徴である聖剣の刀身に、亀裂が走る。


「や、やめろ! それは聖剣だぞ! 貴様ごとき鉄屑が触れていいものじゃ……」


 パリン。


 乾いた音がして、聖剣は飴細工のように砕け散った。

 その破片が、セドリックの足元に虚しく散らばる。

 武器を失い、誇りを砕かれ、セドリックは腰を抜かして後ずさった。


「ひッ……!」


 アイギスは攻撃しなかった。

 ただ、その深紅に輝く単眼で勇者を見下ろし、ゴミを見るように一瞥してから、踵を返した。

 背中のブースターが噴射され、アイギスは再び空へと舞い戻り、リベルタ・アークへと帰還していく。


 後には、半壊したブリッジと、聖剣の残骸、そして恐怖と屈辱に震える元勇者だけが残された。


 リベルタ・アークのブリッジでは、レンがモニター越しにその無様な姿を見届けていた。


「聖剣が折れたか。……作りが甘いな。俺ならもっといい剣が打てる」


「もう十分でしょう、レンさん。これ以上やると、彼、壊れちゃいますよ」


 リアが苦笑しながら言う。

 レンは肩をすくめ、操縦桿を引いた。


「そうだな。命まで取る価値もない。……行くぞ。ここはもう、俺たちの知っている戦場じゃない」


 リベルタ・アークが回頭する。

 重力制御が解除され、半壊した王国艦隊はようやく姿勢を制御し始めたが、もはや追撃する気力など残っている者はいなかった。

 彼らはただ、悠然と去っていく黒い船の背中を、恐怖と畏敬の眼差しで見送ることしかできなかった。


 竜の顎での戦い――いや、一方的な蹂躙劇は幕を閉じた。

 この日、世界は知ることになる。

 勇者の剣すら届かない高さに、新たな空の王が誕生したことを。


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